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  • 高校野球は進化中 甲子園で感じた低反発バットと体づくり

    ■2年連続で夏の甲子園観戦 選手が低反発バットに順応 今夏も甲子園で試合を観戦しました。昨夏、高校3年生以来10年以上ぶりに甲子園を訪れており、今年で2年連続です。   昨夏は母校・大阪桐蔭の試合に合わせてチケットを取り、桐蔭ベンチのすぐ近くの席に座りました。グラウンドに近くて臨場感があった一方、ずっと日向でものすごい暑さでした。高校生の時にプレーしていた時は、甲子園の暑さがきついと感じたことはありません。スタンドの方が断然、暑いですね。   今年は暑さを避けるため、バックネット裏上段の席を選びました。臨場感は昨夏より劣りましたが、聖地の雰囲気は存分に感じられます。甲子園全体が見える景色は新鮮でしたし、日陰で風も通っていたので快適でした。   甲子園はテレビでも観戦していますが、昨夏と比べて選手たちが低反発バットに順応してきたと感じました。それでも、打った瞬間は外野の頭を越えると思った打球が定位置で捕球されるケースもありました。やはり、かつてのバットとは違うと感じています。   ■花巻東や山梨学院など フィジカル重視するチーム増加 私も昨年、低反発バットを試した経験があります。バットの芯に当たった時は、私たちが使っていた頃の金属バットと飛距離に違いは感じません。ただ、詰まった時は打球の初速が鈍く、飛距離も出ない感覚がありました。   低反発バットが導入された昨春のセンバツでは、大半のチームが長打を狙わず、スイングをコンパクトにして内野の間を抜く打球を意識しているように見えました。その傾向は昨夏の甲子園でも大きく変わっていませんでした。   ところが、今夏の甲子園では「バットによって飛距離が落ちるなら、それを補う体をつくる」というフィジカル強化に重点を置くチームが増えてきた印象を受けました。中でも、花巻東の選手たちは目を引きました。花巻東は低反発バット導入前から選手の体格の良さが目立ち、私たちが対戦した頃とは明らかにモデルチェンジしたイメージです。   花巻東の他にも今大会は山梨学院や仙台育英など、フィジカルを重要視していると感じさせるチームがありました。全国トップレベルのチームは、選手の体が大きい。厚みがあり、威圧感を漂わせています。   私たちの頃の大阪桐蔭も、体つきから相手を圧倒する雰囲気がありました。大阪桐蔭の試合は大阪大会から気にかけて見ていますが、最近は体格にやや物足りなさを感じます。大阪桐蔭がフィジカルを軽視しているわけではなく、その重要性に気付いて力を入れているチームが増えているのだと思います。 沖縄尚学の優勝で幕を下ろした今夏の甲子園 ■もう高校球児に戻れるなら…見せ方に工夫の余地 今夏は東大阪大柏原と尽誠学園の試合を甲子園で観戦しました。東大阪大柏原は尽誠学園の左腕・広瀬賢汰投手を攻略できず、0-3で敗れました。大阪桐蔭出身の私としては、やはり大阪代表はどの学校が出場してもベスト8くらいまでは勝ち進んでほしい思いがあります。大阪桐蔭不在の甲子園にも寂しさを感じました。   ただ、純粋に高校野球ファンの1人として、球児のプレーや甲子園の雰囲気を楽しませてもらいました。高校を卒業して10年以上経ちますが、高校野球を見ていると、もう一度、甲子園でプレーしたい気持ちが年々大きくなっています。   自分が高校生だった頃は、グラウンドの中で全力を尽くすことだけに集中していました。スタンドを意識することはあまりなく、「お客さんが多いな」というくらいの感覚でした。2年連続で甲子園のスタンドから観戦して観客の目線を知った今は、見せ方を工夫できたと思っています。親や友人をはじめとするアルプスの応援や高校野球ファンの視線を感じながらプレーできたら、また違った感覚を味わえたと想像しています。   もし、高校生に戻って甲子園のグラウンドに立てるのであれば、プレー以外でも注目を集める方法を考えたと思います。例えば、打席に入る前のルーティーンや球場を沸かせる攻守交替の全力疾走など、名物をつくるのも一案です。試合前のノックで特徴を出すのも良いですね。個人やチームをブランディングすれば、相手にプレッシャーをかけたり、観客を味方につけたりする効果を期待できます。少しビジネス的な発想で、高校球児らしさには欠けるかもしれませんね。

  • 3ミリ差の丸刈りやSサイズの美学 大阪桐蔭は見た目も勝負

    ■サイズはSかM 小さめのユニフォームが伝統 夏の甲子園は佳境を迎えています。残念ながら母校・大阪桐蔭が甲子園出場を逃しましたが、今夏は1点を争う好ゲームが多く、テレビ観戦を楽しんでいます。   甲子園は普段あまり野球を見ない人たちの関心が高いこともあり、試合以外の部分が注目されるケースが少なくありません。私たちの年代の大阪桐蔭では、ユニフォームが話題になりました。   大阪桐蔭では体にピタッとフィットしたユニフォームを着用します。おそらく、そのスタイルが始まったのは私たちの4学年先輩の代だと思います。現在、東北楽天イーグルスでプレーしている浅村栄斗選手を擁して、夏の甲子園で優勝したチームです。そこから小さめのユニフォームを着るのが大阪桐蔭の“伝統”となっています。   選手が着るユニフォームのサイズは大半がSかMです。大阪桐蔭に入学して最初に採寸した際に「少しきついかな」と感じましたが、担当者の方から「先輩たちはSかMを選んでいるよ」と言われたので、そのサイズ感に納得しました。ウエイトトレーニングで筋肉がついてくるとユニフォームがきつくなってきますが、当時は「いかに小さく着るか」にこだわっていましたね。 大阪桐蔭は出場できなかった今夏の甲子園 ■横は6ミリ、上は9ミリ 丸刈りにもこだわり ユニフォームの下に着るアンダーシャツにも、大阪桐蔭のスタイルがありました。高校野球ファンの方は、大阪桐蔭の選手がタートルネックのアンダーシャツを着ている印象がありませんか?ノースリーブでタートルネックという熱いのか寒いのか混乱するスタイルが、自分たちの少し上の世代では流行っていました。他の高校では見かけなかったので、既製品ではなくオーダーだったのかもしれません。   自分たちの代では一時期、ピチピチの半袖アンダーシャツが流行しました。ユニフォームもピッタリしていて袖が短く、その袖から少しだけアンダーシャツが見える着こなしに、かっこよさを感じていました。   見た目に関しては、実は髪型にもこだわりがありました。大阪桐蔭の野球部は全員が丸刈りです。ただ、何ミリにするかのルールはありません。それぞれが長くなってきたと判断して、バリカンを使って自分で短くします。   私は長さ6ミリの丸刈りを基本にしていました。そして、一見しただけでは分からないと思いますが、横は6ミリ、上は9ミリに整えます。少しだけ高さに差をつけた髪型が当時の大阪桐蔭では“おしゃれ”とされていました。やはり高校生なので、ルールの中で少しでもかっこよく見せたい気持ちがありましたね。   ■角を立たせた形が流行 帽子には洗濯ばさみ 帽子は角を立たせた形が流行りでしたね。これは大阪桐蔭だけではなく、当時の高校野球界全体の主流だったと思います。入学当初から先輩たちを見ていたので、きれいに角ができていないとイケてない感じがしました。寮では全選手が帽子に洗濯ばさみをつけて、角をつくっていました。   最近の高校野球では丸型の帽子が多くなっていますし、髪型も自由な学校が増えています。私が高校を卒業して10年余りですが、見た目の面でも時代の変化を感じます。

  • 4番を意識しすぎて迷走 亜細亜大の夏練習と教訓

    ■高校と異なる大学の夏季練習 「個のスキル向上」がテーマ 前回のコラムでは「大阪桐蔭時代の夏休みの練習」をテーマにしました。今回は亜細亜大学野球部の夏休み期間についてお伝えします。   高校野球は春と夏の甲子園に照準を合わせるのに対し、大学は春と秋のリーグ戦で優勝を目指します。高校野球において夏休みは大会の真っ最中であり、大会直前は大切な練習や調整期間になります。   一方、大学はリーグ戦の合間になるので、高校とは位置付けが変わります。亜細亜大学では、個のスキルを高める期間と捉えていました。普段は選手の在籍する学部によって練習時間は異なりますが、夏休みは授業がないため全員が同じ時間に集まります。   夏休みの全体練習は午前6~7時に始まり、午後3~4時まででした。その後、夜7時頃まで自主練習となります。リーグ戦が近づくとノックで守備の連係を高めたり、投手のタイプ別に盗塁したりする実戦的なメニューになります。一方、夏休みはスイングする力をつけたり、走るスピードを高めたり、プレーのベースとなる部分を強化しました。 亜細亜大学でプレーしていた頃の水本 ■大学では4番で起用 長打力を求めて見失った長所 リーグ戦が終わると、ベンチ入りしていたかどうかも関係なくなるため、全員に同じ練習メニューが課されます。ただ、同じティー打撃やフリー打撃であっても、個々にテーマを持って取り組むことができます。   私の場合は、春のリーグ戦で見つかった課題を改善する時間にしていました。1、2年生の夏休み期間であれば、「長打力」をテーマに掲げました。大阪桐蔭ではバットの芯に当てるコンタクト率の高さを武器にしていたので、打順は主に1~3番を任されていました。   ところが、亜細亜大学に入学してからは4番や5番で起用されるケースが増えました。そこで、打球の飛距離を伸ばそうとスイングを大きくしたり、長いバットを試したりしました。   課題と向き合って試行錯誤すること自体は成長につながります。ただ、今振り返ると、違う方法や考え方があったと感じています。当時、私は今までのスタイルを捨てて、とにかくスイングを大きく豪快にする練習を繰り返しました。その結果、自分の打撃を見失い、スランプに陥りました。   ■長打力アップの方法は1つではない 失敗から学んだ教訓 社会人野球を経験し、現役引退後は野球指導の道を歩んだ今、フルモデルチェンジする必要はなかったと考えています。自分の長所を生かしながら、4番の役割を果たす方法もありました。打撃フォームは変えずにウエイトトレーニングでフィジカル強化するやり方も1つですし、打球方向を変える選択肢もあります。もし、当時の自分と同じ悩みに直面している選手がいたら、打率か長打かの一方に絞るのではなく、打率を残しながら長打力をアップさせる考え方を伝えたいですね。   前回のコラムで触れたように、大阪桐蔭では夏休み期間に暑さに慣れる練習もします。夏の大会に向けた対策の一環です。それに対し、亜細亜大学では暑さをしのぐ取り組みを積極的に進めていました。   例えば、夏場の練習ではソフトボール用のユニフォームが支給されました。ソフトボール用はハーフパンツなので、風通しが良くて野球用よりもかなり涼しいです。また、帽子もマラソンランナーがかぶるネットカバー付きのものでした。首の後ろが日に当たらないので、暑さをしのげます。チームを率いる生田勉監督は考え方が柔軟で、選手のパフォーマンスや練習環境を向上させるために、新しいことを取り入れようとしていましたね。

  • 甲子園春夏連覇よりも強烈な記憶 大阪桐蔭“地獄”の夏練習

    ■年2回の強化練習 夏は厚着で走り込み 学生たちは夏休みに入りましたね。高校野球は夏の甲子園出場に向け、全国各地で熱戦が繰り広げられています。今回のコラムでは、野球関係者に質問されることも多い「大阪桐蔭高校の夏季練習」についてお届けします。   私が大阪桐蔭高校を卒業したのは2013年なので、今は野球部の練習が変化しているかもしれません。10年以上前とは言え、夏が来ると1年で一番きつかった練習を思い出します。   大阪桐蔭では夏休みと冬休みの年2回、強化練習期間が設けられています。練習は量も質も普段以上になる“地獄の期間”です。特に、夏は暑さとの戦いもあります。   他の高校と違う特徴として、大阪桐蔭の野球部は夏休みが長いです。他の生徒より早く夏休みを迎え、「追い込み」と呼ぶ強化練習に入ります。期間は5日から1週間を1クールとして、3~4クールありました。   この間、まずは暑さに慣れるところからスタートします。ユニホームの上にグラウンドコートを着て、マスクを着用して練習します。全体練習は朝から夕方まで続きます。練習メニュー自体は実戦を想定したノック、打撃や走塁など大きく変わりません。しかし、ウォーミングアップや全体練習後に走り込みが加わるなど、ランニングの強度が上がります。厚着をして練習しているので負荷も大きくなります。 大阪桐蔭では3年生の時に甲子園春夏連覇を達成   ■対策の成果 甲子園でも暑さ気にならず 追い込みを経験しているため、夏の大会でも暑さが全く苦になりませんでした。大阪大会でも甲子園でも、頭がボーっとしたり、足を吊ったりすることはなかったです。強化練習に参加するのは2、3年生に限られますが、離脱する選手はいなかったですね。   入学してから3か月ほどしか経っていない1年生は、夏までは環境に慣れる時期と位置付けられています。強化練習中は2、3年生より早めに練習を終え、先輩たちが寮に帰ってくる前に食事も済ませます。追い込みの最終クールだけ走り込みに加わるなど、段階を踏んでいきます。   甲子園切符をかけた大阪大会が近づくと、練習の目的が「調整」に変わります。全体練習の主なメニューはノック、シートバッティング、フリーバッティング、5カ所バント、守備課題。ベンチ入りメンバーは昼過ぎに練習を終えます。疲労を残さず、大会に向けてコンディションを整えます。   夏の追い込み期間が終わると、引退が見えてきたという感覚になります。それくらい、やり切った気持ちが大きいです。私は高校3年生の夏に甲子園で優勝しましたが、その時よりも追い込みを乗り切った瞬間の方が達成感は大きいかもしれません。今でも大阪桐蔭時代の思い出を聞かれると、甲子園の春夏連覇よりも先に、追い込みのきつさがよみがえります。

  • 努力家・人間力・天才肌 心に残る最強のチームメートベスト5

    ■グラウンド内外で心強い仲間 1位の選手は「人生の師」 5月に投稿した「打席で驚いた投手ベスト5」のコラムの反響が大きかったので、シリーズ第2弾をお届けします。今回は「心に残るチームメートベスト5」です。   打席で驚いた投手ベスト5の時と同様、5人に絞り込むのは難しい内容でした。ランキングは高校や大学が同じだった選手だけではなく、日本代表など短期間のチームメートも対象にしています。   【5位:森友哉捕手(オリックス)】 森選手は大阪桐蔭高校で1学年後輩でした。打撃がセンスの塊で、「天才」の一言に尽きます。2024年11月に投稿したコラムでも森選手の打撃については触れましたが、体が強くて技術も高い。弱点が見当たらず、フリー打撃をしていても1人だけバットから響く音が違いました。   森選手が打撃に悩んでいる姿を見たのは一度だけでした。最終的に優勝を果たした2012年選抜高校野球大会の開幕直前、「調子が悪い」といって室内練習場に残って打撃練習をしていました。   森選手は打線の中心を担っていたので心配していましたが、センバツ初戦では花巻東の大谷翔平投手から逆方向への長打を放つなど、3打数2安打、2四死球と打線を牽引しました。その後も準々決勝の浦和学院戦で3安打、準決勝の健大高崎戦で本塁打を記録するなど大活躍でした。   【4位:吉田正尚外野手(レッドソックス)】 大学は違いましたが、大学日本代表で一緒にプレーした1学年先輩です。決して体は大きくないにもかかわらず、飛距離がずば抜けていました。しかも、コンタクト率が高く選球眼も抜群。どんな投手に対してもタイミングを合わせるのが上手かったですね。   それから、自らを客観視する「メタ認知」にも長けていました。自分自身を知り尽くしているので、全員がウォーミングアップでランニングしている時、吉田選手だけはフェンス際でチューブを使って内転筋を刺激するメニューに取り組んでいました。どんな練習や準備をすれば試合でベストな結果を残せるのか、大学生の時点で熟知していたのだと思います。   意外だったのは、ウエイトトレーニングをしていなかったことです。日本代表では同じ部屋で2週間くらい過ごしましたが、一度もウエイトをしていませんでした。おととし、一緒に自主トレする機会をいただいてジムに行った時も、ベンチプレスやスクワットでも軽い負荷で下半身と上半身を連動させるメニューがメインでした。吉田選手はマッチョマンと呼ばれていますが、そのイメージとトレーニング内容にギャップを感じました。   【3位:坂本誠志郎捕手(阪神)】 坂本選手も1学年上で大学は違いましたが、大学日本代表でチームメートでした。坂本選手とも代表の部屋が同じでした。3位に挙げた理由は観察力です。グラウンド内外で、どの選手が何をしているのか、どんなクセがあるのかなど見ていました。   私は外野手だったので練習中の接点は少なかったものの、部屋ではよく会話しました。坂本選手は「あの投手はブルペンで投げ過ぎたらダメなタイプ」、「あの投手はスライダーでストライクを取れなくなったら交代のタイミング」など、限られた期間で投手の特徴を詳しく理解していました。監督のような存在でしたね。   【2位:木浪聖也内野手(阪神)】 亜細亜大学の同級生です。グラウンドに一番早く来て、最後まで練習する努力家でした。亜細亜大学の練習は「日本一厳しい」とも言われています。その中で、木浪選手は全体練習の後も自主練習で個人の課題に取り組む並外れた体力と精神力がありました。チームの模範となる選手でしたね。野球塾を運営する立場となった今、私は木浪選手を思い出しながら「練習できる体力がないと上手くなれない」と子どもたちに伝えています。   木浪選手は走力や肩の強さも突出していません。体は私より細いくらいでした。けがもあってレギュラーに定着できない時期があり、そこまで目立つ選手ではありませんでした。正直、大学時代はプロになる選手とは想像していませんでした。   ところが、Hondaに進んで社会人野球で対戦した時、あまりの変化にビックリしました。打撃が大学時代と比較にならないほど、スケールアップしていたんです。亜細亜大学では長距離砲がいたこともあって、木浪選手はバットを短く持って、つなぎ役に徹していました。Hondaではバットを長く持つスタイルに変え、飛距離も柔らかさも格段に向上していました。大学を卒業してから開花したのは、それまでの努力の積み重ねがあったからこそだと思っています。   【1位:嶺井博希捕手(ソフトバンク)】 亜細亜大学で3学年上の先輩でした。嶺井選手のすごさは、人間性です。細かいところまで目配り、気配りができる先輩で「嶺井さんのような人間になりたい」と思わせる存在でした。   社会人になってから嶺井選手の教えが生きた場面が多々あります。例えば、亜細亜大学では納会や祝勝会で、会場にいる関係者の方々に挨拶回りをします。その際、嶺井選手に同行していた私は、関係者と会話をしながらグラスを見てお酒を注いだり、灰皿を用意したり、取り皿を交換したりするなど、相手を見て一歩先に行動する大切さを学びました。相手の行動を観察し、気持ちや考えを想像する姿勢はビジネスの場で大切にしています。   大学の1年生と4年生は一般的に直接話をする機会がほとんどありません。特に嶺井選手はグラウンド内で厳しく、2、3年生もあまり話しかけているところを見かけませんでした。私はオフの日に治療院へ連れて行ってもらったり、2人で食事に行ったり、目をかけてもらいました。生田勉監督から「水本の面倒を見てほしい」と頼まれたのか、私が1年生から試合に出ていたからなのか、理由は分かりませんが、嶺井選手の近くで過ごした時間は人生の財産になっています。   以上、「心に残る最強のチームメートベスト5」でした。私は東邦ガスで社会人まで選手を続け、野球を通じて多くの人たちと出会いました。まだまだ紹介したい選手がいるので、コラムでも伝えていきたいと思います。

  • 野球と起業がつないだ縁 人前で語る“失敗談の価値”

    ■5月に名古屋市で卓話 「野球から得た財産」を披露 先日、名古屋市で卓話の機会をいただきました。5月で起業して丸2年が経ちましたが、最近は講演や卓話など、人前で話す依頼が増えました。今回の卓話は参加者に経営者が多く、依頼を受けた際は「まだ経営者の経験が浅い自分で大丈夫なのだろうか?」と少し不安がありました。   しかし、実際に卓話を終えると、わざわざ多くの参加者から「すごく良い内容だった」、「講演を仕事にできるんじゃない」などと声をかけていただきました。自分の経験や考え方が、年齢や職種の異なる方々にも参考になったのであれば、すごくうれしいですね。   今回の卓話では「野球から得た財産」がテーマでした。参加者の興味を最も惹きつけられたのは、大阪桐蔭高校時代の話だったと思います。「春夏連続で甲子園優勝」という結果は、間違いなく私の人生で大きなターニングポイントになりました。選手だった頃はもちろん、野球を引退してからも「甲子園春夏連覇」と「大阪桐蔭元主将」の肩書きは、私の強みです。初対面の人たちと会話のきっかけになり、顔と名前を覚えてもらいやすいです。人脈を広げる上で、強力な武器になっています。   ただ、大阪桐蔭時代を振り返ると、一番の思い出は甲子園優勝ではありません。よみがえるのは、きつかった練習ばかり。痛みや疲労で動かない体に鞭を打って泣きながらトレーニングしたり、暑さ対策として真夏に厚着をしてマスクをつけてフラフラになる中でボールを追ったりした記憶を真っ先に思い出します。実は春夏連覇を成し遂げた直後も、達成感や喜び以上に沸き上がった感情がありました。   「ようやく、高校野球が終わった。きつい練習から解放される」 名古屋市で卓話の機会をいただきました ■成功の裏にある苦労や失敗 ビジネスや人生にも共通点 甲子園優勝を目標に掲げるのは簡単です。でも、高い目標を達成するには文字通り「血のにじむような努力」が求められます。それを高校生で経験できたのは、その後の人生に役立っています。成功を収めるには必ず理由があり、成功の裏には周りの人からは見えない苦労や失敗があると知っているからこそ、起業してからも課題に対して前向きに取り組めています。   野球を通じた苦労話や失敗談は、ここで書ききれないほどあります。人前で披露する機会が訪れるとは想像していませんでしたが、他の競技やビジネスにも共通する部分があるので、講演で好まれているのだと思います。   卓話や講演は話す時間が長いので、“箸休め”になる話題も入れています。反応が良いのは、やはり大谷翔平選手の話。春のセンバツでの対戦や高校日本代表でチームメートだった時のエピソードは、参加者の興味が一段階上がっているのが分かります。   ■講演は新たな出会いの場 輪が広がるワクワク感 初めて講演を打診された時は引き受けるか迷いましたが、何度か回数を重ねる中で「挑戦して良かった」と感じるようになりました。その理由は、いくつかあります。一番の理由は、新たな出会いの場になるところです。   経歴や考え方、今後の目標など自分自身について1時間も人前で話し続ける機会は日常生活でほとんどありません。「私がどんな人間なのか」を知ってもらった上で関心を持ってくれた方々と講演後にお話すると、親近感を持って接してもらえます。野球談議や共通の知人、同じような苦労話や失敗談で盛り上がります。   また、講演の中で触れた弊社の事業に興味を持ち、「野球経験者に特化した人材紹介について、改めて詳しくお話を聞かせてください」という連絡も受けました。野球をしていた頃にも感じていましたが、交流が広がっていくのはワクワクします。 卓話では野球を通じて得た学びや出会いについてお話しました ■恩師の話し方も参考に 継続する重要性を実感 それから、継続する大切さも実感します。私は大阪桐蔭高校でも亜細亜大学でも野球部の主将でした。全校生徒が集まる激励会や報告会など、大勢の前で話すことに慣れていました。ところが、社会人になって人前で話す場が全くなくなりました。社内で発表する機会が訪れたのは、選手を引退して社業に専念してからです。ブランクがあったため苦手意識が芽生えていました。   起業してからは営業先の限られた人数の前でプレゼンをするくらいでした。そのため、最初に講演の依頼を受けた時は自信がありませんでした。ただ、講演を重ねるうちに、参加者の表情や反応を見ながら話すペースや内容を調整するなど、感覚が戻ってきました。今は苦手意識もなく、迷わずに依頼を受けています。やはり、継続や慣れが何事にも大切だと感じています。   振り返ると、大阪桐蔭の西谷浩一監督や亜細亜の生田勉監督は人前で話すのが上手かったですね。西谷監督は「謙虚」、生田監督は「強気」とタイプは異なりましたが、報告会や納会などで聞いている人たちを惹きつける話し方をしていました。自然と周りが応援したくなる、周りを味方にしていく印象を受けました。   私は学生時代に偉人の自伝を読むのが好きでした。失敗を乗り越えたり、崖っぷちから這い上がったりするストーリーを読むと活力が湧いてきます。私も失敗を恐れずに挑戦を続け、講演では参加者の方々の心を動かすお話ができるように努めていきたいです。

  • 岐阜で新たな野球塾スタート 東海最大級の練習場と融合

    D-Star★のバッティングレーン ■岐阜県可児市に開校 小・中学生対象の野球塾「D-Star★」 5月に投稿したコラムで触れましたが、6月に岐阜県可児市に新たな野球塾「D-Star★」を開校しました。2階建て800坪の練習場には酸素カプセルや初動負荷の器具、甲子園と同じ土を使ったブルペンやシャワールームなどを完備。映像を使った動作分析も可能で、学校を除くと東海地区最大規模の室内施設です。   弊社では名古屋市で野球塾を運営していますが、スペースに限りがあり、入塾希望者を受け入れられない状況が続いていました。私たちが培った打撃向上のノウハウをより多くの子どもたちに伝えるため、野球塾の新設を考えていました。ただ、最大のハードルが「場所」。近隣に迷惑がかからず、硬式球も使える室内練習場に適した場所を見つけるのは簡単ではありません。   条件に合った物件を探していた時、岐阜県美濃加茂市にある企業「株式会社ダイエイ」さまから、「うちが所有している室内練習場を使いませんか?」と声をかけていただきました。 施設はトレーニング機器も充実 大画面モニターで映像を確認 ■能登半島の復興イベントが縁 施設提供で全面サポート ダイエイさまとの縁は、昨年末に石川県中能登町で開催した野球イベント「GO!能登 応援プロジェクト」でした。能登半島地震の影響で野球の機会が減ってしまった小学生に声をかけて、石川県出身のプロ野球選手による野球教室を開催した際、趣旨に賛同したダイエイさまに協賛していただきました。   そこから親交を深め、今回は「D-Star★」の施設を提供していただく形となりました。野球への情熱や愛情が伝わってくる社長さんで、「野球が好きな子どもたちのために施設を活用してもらえるのはうれしいです」とありがたい言葉を受けました。こうやって、野球をきっかけにつながりが生まれていくのは野球の力を感じます。   多治見市、土岐市、美濃加茂市と隣接している岐阜県可児市は野球チームが比較的多く、名古屋の野球塾にも岐阜県から通っている子どもたちが20人ほどいます。その野球熱の高さはオープン直後から感じています。体験会には1週間で80人が集まり、現時点で想定の3~5倍の子どもたちが入会しています。   「D-Star★」は小学3年生から中学3年生を対象に、打撃向上のプログラムを組んでいます。1クラスの枠は4人で、子どもたちの野球歴や課題に合わせて個別に指導します。名古屋の野球塾で築き上げた技術指導やトレーニング方法などを伝え、試合で結果を出せる打力を磨いていきます。 伊藤塾長が子どもたちの打力アップを全力サポート ■塾長は亜細亜大時代の後輩 甲子園出場&独立リーグでもプレー 「D-Star★」の塾長を務めるのは伊藤優希です。現役時代は俊足強打の外野手で、駒大苫小牧高校時代にセンバツに出場。18歳以下の日本代表候補にも選ばれています。その後は亜細亜大学、社会人の北海道ガスやTRANSYS、独立リーグの徳島インディゴソックスでプレーしました。現役引退後は地元・北海道で野球指導をしていました。   伊藤は亜細亜大学で私の2年後輩にあたり、同じ部屋で寮生活を送っていた時期もあります。お互いが野球指導者になってからは一緒に北海道で野球イベントも開催しました。伊藤が指導者を始めた頃、「いずれ弦さんと野球の仕事をしたいです!」と熱のこもった言葉をもらったことをずっと覚えていたこともあって、新たな野球塾開校を決めた時に伊藤の顔を最初に思い浮かべました。給与体系などの条件を伝える前から、「岐阜に行きます!野球指導を勉強させてください」と二つ返事でした。私も伊藤の考え方や教え方から学びを得て、指導の引き出しを増やすのが楽しみです。   名古屋の野球塾に通っている子どもたちの成長を見て、私たちは指導に絶対の自信を持っています。野球歴が浅くても、体が小さくても、正しい体の使い方を身に付けて練習を重ねれば、ホームランを打てるようになります。「D-Star★」では伊藤塾長を中心に、子どもたちに野球が上手くなる喜びを伝えていきます。

  • 売上倍増で2期連続の黒字 成長の裏に「縁」と「仕組み」

    ■2期目の収穫は人材紹介 仕組み確立で事業拡大 起業してから学びや発見の毎日で、あっという間に1か月、1年が経っていきます。Ring Matchは4月に2期目の決算を終え、5月から3期目に入りました。   野球をきっかけにしたつながりを中心に「人」に恵まれ、会社は順調に成長しています。まだ最終的な数字は出ていませんが、2期連続の黒字で、2期目の売上は1期目の2倍近くまで増えました。   コラムを開始した当初にお伝えしましたが、弊社では「野球塾の運営」、「バットの開発・販売」、「野球経験者に特化した人材紹介」と3つの事業を展開しています。   2期目で最も収穫が大きかった事業は「人材紹介」です。東邦ガス野球部の後輩で、ITコンサルティング会社でも勤務経験のある小林満平が執行役員として加わったことで、事業の仕組みを確立できました。転職希望の登録者は北海道から沖縄県まで、野球経験者を求める企業も北海道から九州まで広がっています。 執行役員の小林(左)とキャッチボール ■新卒の就職強化へ 転職者とは異なるサポート 3期目は転職希望者に加えて、新卒の就職サポートを強化していく方針です。最近は全国各地にある大学の野球部へ伺って、学生と直接話をさせていただく機会をいただいています。   野球部の大学生は4年生の秋までリーグ戦があるため、他の学生と比べて就職活動の時間が圧倒的に少なくなります。野球に集中する中で、業界や企業の研究をしたり、エントリーシートや面接の対策をしたりするのは、簡単ではありません。その結果、全く想像と違う企業に就職すると、本人だけではなく、採用に費用や時間をかけた企業側も不幸です。両者のミスマッチを防ぐため、今期は積極的に動いていくつもりです。   実際に大学生から問い合わせも受けています。求職者と企業をマッチさせる事業自体は、登録者が新卒入社する大学生でも社会人経験のある転職者でも変わりません。ただ、サポートの内容は異なります。   弊社では求職者と面談を重ねて、個々の強みや相性の良い企業をブラッシュアップしていきます。そこから、企業側に求職者の特長が伝わるエントリーシートの書き方や面接のアドバイスをしていきます。   ■大半がアルバイト未経験 ビジネスマナーも指導 転職者の場合、働いていた会社のどのような部分が自分の希望とギャップが大きいのか、どんな条件を優先して次の勤務先を見つけたいのかなど、具体的な情報を元に面談を進められます。そして、面談をしていても、メールやLINEで連絡を取っていても、社会人経験者の大半は言葉遣いや返信のタイミングといったビジネスマナーを知っています。   一方、新卒入社となる求職者は当然ながら社会人の経験がありません。特に野球部はアルバイトの経験もないケースがほとんどなので、目上の人となると先輩や指導者、学校の先生や保護者くらいです。野球部員は挨拶や礼儀が身に付いています。ただ、ビジネスに求められる話し方、文章での伝え方には不慣れな面があります。   そこで、大学生との面談ではビジネスマナーを伝えたり、長所を生かせる業種を提案したりするところからスタートします。転職希望者と比べて企業との面接に至るまで時間を要する面はありますが、段々と求職者のビジョンが明確になったり、面接の練習で成長が見えたりするのは、やりがいが大きいですね 野球塾の事業は2期目も順調に成長 ■野球塾は予想以上の業績 指導者のスキル向上 野球塾は当初の予想以上に業績を伸ばせました。1期目から定員がいっぱいの状態が続いていたので、事業としては頭打ちと捉えていました。野球塾のレッスンは、それぞれの選手に合った個別指導です。直接指導をしていない時間は、個々に合わせたドリルやトレーニングに取り組んでもらいます。   2期目の途中からは各レッスンの定員を6人から、7~8人に増やしました。これは、指導者のスキルが向上したことで、選手の人数が増えても待ち時間を増やさずに回せるようになったためです。   また、土日を中心に小学1年生から3年生を対象にしたジュニアレッスンも2期目から新たに始めました。ジュニアレッスンでは、技術の習得よりも野球の楽しさを伝えることや運動能力を高めることを意識しています。低学年の時期に動きのバリエーションを増やしておくと、高学年以降に野球の技術を習得する際に大きなアドバンテージとなるためです。   各レッスンの人数を増やしてから、すぐに枠が埋まり、現在は新規のスクール生が入会できない状況となっています。愛知県外から通っている子どもたちも多いことから、6月には岐阜県で新たな野球塾を立ち上げます。詳細は決まり次第、このホームページやSNSで発信します。   私が直接教えられる人数は限られるため、野球塾では私が考える打撃理論や練習法を他の指導者と共有してきました。どの指導者も、選手の動きを見て的確なアドバイスや最適なドリルの提案ができています。3期目以降は野球塾の数を増やして、野球が上手くなる楽しさをもっと多くの子どもたちに伝えていきたいです。 打力アップをサポートするNewton Bat ■Newton Batも好評 赤色のデザイン新たに登場 最後に、私が開発に携わったトレーニングバット「Newton Bat」は1期目と同様のペースで売れています。最近は赤色のデザインが新たに加わりました。   「Newton Bat」は、打撃で重要なバットを内側から出す「インサイドアウト」の動きが自然と身に付く設計になっています。野球塾でも導入していて、購入しているスクール生もいます。サイズは3種類で、中学2年生以上を対象にした「プロサイズ」が特に人気です。   実際にバットを使った選手たちからは「打撃の感覚を掴めた」、「試合で結果を出せるようになった」と好評です。まだ広く知られていない課題があるので、3期目は認知度を高めていくつもりです。

  • 大谷翔平投手は4位 打席で絶句…衝撃を受けた投手ベスト5

    ■現在は日米で活躍 アマ時代から別格だった5人の投手 ありがいことに、最近は取材を受けたり、講演の依頼を受けたりする機会が増えています。Ring Matchの事業や引退後のネクストキャリアの歩み方に加えて、現役時代のエピソードを披露する場も多く、選手だった頃を思い返しています。   そこで、今回のコラムでは私が現役の時に対戦した投手の中で、特に驚かされた印象深い選手をランキング形式で発表します。名前を挙げたい投手は多数いますが、5人に絞りました。5位から1位まで、理由とあわせてお伝えします。   【5位:九里亜蓮投手(オリックス)】 亜細亜大学で3学年上の先輩でした。シートバッティングや紅白戦で何度も対戦した投手です。チームには当時、山﨑康晃投手、薮田和樹投手、大下佑馬投手と後にプロ入りする先輩がいました。球速や球威、変化球の切れなど球自体は、この3投手の方が九里投手より上でした。   ブルペンで見る限りは、九里投手を攻略できそうに感じます。ところが、コントロールが抜群でした。球1つ分の出し入れができる投手で、自分のスイングをさせてもらえません。私は打席の中で遊ばれていました。   【4位:大谷翔平投手(ドジャース)】 高校3年生になるタイミングの春の選抜高校野球大会の初戦で、大谷投手擁する花巻東と対戦しました。大谷投手は万全とは言えないコンディションでセンバツのマウンドに立っていましたが、私はノーヒットに封じられました。   大谷投手は長身から投げ下ろすので、リリースからベースに届くまでが近く感じます。高校生で150キロを超えるストレートを投げる投手との対戦は少ない上、角度のある球に苦戦しました。また、高校生では珍しく、落ちる球で空振りを狙うだけではなく、カウントを取る上手さもありました。   大谷投手とは高校日本代表でチームメートとなり、一緒にキャッチボールをしていました。前置きなしに突然スローカーブを混ぜてくることがありましたが、ストレートと真逆のきれいな回転をしていました。球を自在に操る器用さを感じましたね。   【3位:有原航平投手(ソフトバンク)】 大学は違いましたが、2学年上の有原投手とは大学日本代表の選考会で一緒になりました。対戦したのは紅白戦の1打席だけでしたが、その時の衝撃を今もはっきりと覚えています。   有原投手は当時から最速150キロを超えるストレートに威力がありました。ストレートを待っている打者に対しても力で圧倒する球威です。驚いたのは、そのストレートがカットボールのようにナチュラルに変化するんです。150キロを超える投球が打者の手元で動いていたら、お手上げです。   【2位:今永昇太投手(カブス)】 1学年上で駒澤大学の今永投手とは大学時代にリーグ戦で3年間、対戦しました。ストレートの質が別格でした。手元で伸びてホップするように見えます。今永投手は左打者に対して、基本的にストレートとスライダーしか投じませんでした。   球種が2つだけなら、どちらかに絞って対応できそうですが、ほとんど打った記憶がありません。ストレートには差し込まれてしまいますし、ストレートを狙ってポイントを前にするとスライダーで泳がされました。翻弄され続けた3年間でしたね。   【1位:山﨑福也投手(日本ハム)】 大学のオープン戦で、よく対戦しました。山﨑投手は私より学年が2つ上で、明治大学出身です。衝撃を受けたのはプロでも代名詞となっている「カーブ」。左打者の私からは、山﨑投手のカーブが頭に当たりそうなところからストライクゾーンに落ちてくるように見えました。   ベンチから見ていると、そこまで落差が大きく感じません。ところが、打席に入ると恐怖を感じるほどの変化でした。カーブを意識しすぎるとストレートに振り遅れてしまうので、ストレートを待ちながらカーブに対応する必要があります。打席では引っ張る考えを捨てて、逆方向に打つ形で対策しました。投球が頭の方に向かってきて、カーブではなくてストレートだった時は死球でも構わないという気持ちで打席に入っていましたね。   私が野球人生で対戦して印象に残っている投手ベスト5は、いかがでしたか?高校や大学で対戦した頃と、どの投手もイメージは大きく変わっていません。それぞれタイプは異なりますが、学生時代の武器がプロでも長所になっていると感じます。学生時代は打ち取られた悔しさでいっぱいでしたが、プロで活躍している姿を見ると、今は対戦できたことが誇らしいです。

  • 野球経験はアドバンテージ 企業が求める人材の共通点とは

    ■野球経験者に特化した人材紹介 求職者も企業も登録が増加 Ring Matchは5月から3期目に突入しました。2期目の重点に置いていた「野球経験者に特化した人材紹介」は、ITコンサルティング会社で勤務経験のある執行役員の小林満平を中心に据えたことで仕組みが整い、事業を拡大しています。   求職の登録者は北海道から沖縄まで、お取引きいただいている企業は北海道から九州まで広がりました。数多くの求職者が入社に至り、企業側からも「素晴らしい人材をご紹介いただきありがとうございます」と感謝の言葉が届いています。まだまだ「やりたいこと」や「できること」がたくさんあるので現状に満足していませんが、成果が出ていることへの充実感があります。   Ring Matchの人材事業では、野球経験のある求職者が活躍できる場と野球経験者を必要としている企業をマッチさせるサポートをしています。サービスに登録いただいた求職者とは面談、エントリーシートや面接対策などで就職・転職を支援し、企業側にはどのような人材を求めているのかヒアリングします。   企業の経営者や採用担当者と話していると、野球経験者のニーズが高いと改めて感じます。野球部に所属していた社員が社内で結果を出していたり、野球経験者に好印象を持っていたりする企業は多いと実感しています。 人材紹介事業の中心を担う執行役員の小林(左)と打ち合わせ ■企業が求める人材の共通点 コミュニケーション能力とは? 中には、高校や大学でレギュラーになれなかった人材や、甲子園出場の目標がかなわなかった人材を好む企業もあります。野球で成功できなかった経験が社会人になってからのハングリー精神につながると判断しているそうです。   業種を問わず、企業が求めている人材には共通点があります。それは「コミュニケーション能力」です。この能力が高い求職者は、いくつもの企業から内定を得ています。   コミュニケーション能力と聞くと、雄弁さや話術をイメージする人がいるかもしれません。しかし、話し上手である必要はありません。時に、話し過ぎることはマイナスに働きます。私が考えるビジネスにおける主なコミュニケーション能力は以下の3点です。この力が企業との面接でも問われます。   ・質問に対して的確に回答する力 ・相手が求める回答の範囲を察する力 ・伝えたい内容に合わせた声のトーン   ■企業が評価する課題解決能力 野球経験者にアドバンテージ 例えば、どれだけ詳しい知識を持っていても、相手が知りたい内容とずれていたり、必要以上に説明したりすると、会話の質は低くなります。相手が今、何を知りたいのか、どこまでの回答を希望しているのかを把握して話す力こそが、ビジネスで求められるコミュニケーション能力だと私は考えています。相手の気持ちや考えを想像する力と重なるかもしれません。   コミュニケーション能力が高い求職者は、学歴や職歴で他の受験者より見劣りしても、エントリーシートを通過して面接まで進めば企業の評価を逆転できます。採用後に企業の力になれるのは書類上の肩書きよりも、社内外で生きる能力を持っているかどうかですからね。   コミュニケーション能力は心掛けや練習で誰でも向上します。私たちの会社では求職者が面接で不採用となった際、企業側からフィードバックを受け取っています。求職者が自分の課題を知り、解決する方法を明確にして改善するためです。一度上手くいかなかったら、就職・転職活動は終わるわけではありません。課題を克服できれば、次の企業で内定を得る確率を高められます。   こうした課題解決能力は入社後も大切になります。そして、野球経験者にはアドバンテージがあると私は思っています。野球は失敗のスポーツです。一流打者の証は打率3割と言われており、7割は失敗するわけです。先発投手は防御率3点台で合格点が与えられ、好投手でも安打を許して失点もします。 求職者に紹介する企業の選択肢を増やすことも私の役割の1つです ■野球部では控え選手 転職で年収150万円以上アップに成功 この失敗の確率を少しでも下げるために、選手はフォームを見直したり、練習メニューを考えたり、相手を分析したりするわけです。野球経験者には試行錯誤して課題に粘り強く取り組む習慣が身に付いています。仕事も上手くいくことばかりではないので、野球で培った経験や能力は社会人になってからも必ず財産になります。   最近入社が決まった求職者の中にも、企業から「解決策を見出す力に長けている」と評価されたケースがあります。その求職者は甲子園常連校でレギュラーにはなれなかったものの、ベンチ入りしていました。チームに何が足りないのか、自分がどんな役割を担えばベンチに入れるのかを常に考えていたそうです。複数の企業から内定をもらって最も希望に合った企業を選び、年収は前職から150万円以上アップしました。   一方、野球の経験を就職・転職活動や就職後に生かせていない人にも共通点があります。それは、「野球以外の知識や交流が極端に少ないこと」です。野球部に所属していると野球以外の時間は決して多くないと思います。それでも、時間はつくれます。世の中にはどんな仕事があるのか、自分はどんな仕事にワクワクするのかなど、インターネットや書籍で情報に触れたり、野球とは関係のない人から話を聞いたりするだけで全く違います。   新しく何かを知るためには時間や労力がかかります。しかし、それを避けて何となく業界や企業を選んでしまうと、結果的にイメージとのギャップを感じて不満が大きくなります。就職・転職活動が上手くいっていない野球経験者は、野球+αの意識を持ってみてください。現状に変化が生まれるはずです。それから、Ring Matchにご相談ください。自分の長所を生かして輝ける企業を一緒に見つけましょう。

  • “日本一厳しい”亜細亜大学の野球部 社会に出て生きた金言

    ■「基準が違う」 入寮初日に痛感した厳しさ 新年度を迎えました。新生活が始まった方、入学式を終えたばかりの方も多いと思います。今回のコラムでは、私の大学時代について書いていきます。   私が卒業した亜細亜大学は「日本一厳しい野球部」とも言われています。4年間過ごした卒業生としては、「間違いなく日本一厳しい」と断言できます。   実は入学が決まるまで、私は亜細亜大学硬式野球部について何の情報も持っていませんでした。私の母校、大阪桐蔭高校は寮生活で携帯電話が認められていなかったので、情報に触れる機会が極端に少なかったんです。当時は東京六大学と東都の違いやリーグが一部と二部に分かれていることさえ把握していませんでした。   亜細亜大学への入学が決まり、その厳しさを知る人たちからは「よく自分から、あんなに厳しい環境を選んだな」と言われました。その時は、「そうか、厳しいのか」くらいに軽く考えていました。   亜細亜大学の厳しさは入寮初日に知りました。全体練習後に自主練習でマシン打撃を勧められ、30分ほどバットを振っていました。そろそろ終わりかなと思っても、なかなか終了の声がかかりません。結局、休憩なく1時間半打ち続けました。高校までとは基準が全く違うと痛感しましたね。 亜細亜大学時代にプレーした思い出の地・神宮球場 ■1日の半分は野球 量も質も「日本一の練習」 練習は量も質も桁違いでした。野球部員は他の生徒よりも授業のコマ数が少なく、平日でも丸一日練習するケースが多いんです。練習は朝6時から始まります。7時まで練習して朝礼や朝食、生田勉監督のミーティングを終えて、午前9時半に全体練習がスタートします。午後3時までチーム全体で練習し、そこから自主練習に入ります。夜8時頃まで自主練習するので、1日のうち半分は野球をしている感覚です。   自主練習は文字通り、何時までやるのか、何をやるのか自分で決められます。周りの選手が夜まで練習するので、全員がやらざるを得ない雰囲気です。場所はグラウンドもウエイト場もどこでも使えます。ただ、グラウンドにいる監督やコーチにアピールできるように、指導者が見えるところで打撃や守備の練習をしている選手が多いです。   練習は量だけではなく、質も追求しています。例えば盗塁の練習では、走者をしていない周りの選手も指をさしながら、「バック」、「ゴー」と大きな声を出します。守備や走塁はもちろん、声出しでも誰かがミスするとチーム全体の責任となり、グラウンドを走るなどペナルティが課せられます。   これは、入部したばかりの1年生がミスしても例外ではありません。部員は1学年30人前後いるので全体で100人を超える大所帯です。これだけたくさんの部員がいるとどこかで気を緩められそうですが、練習中は常にピリピリして緊張感がものすごかったです。   ■課題を翌日に持ち越さない ミスは連帯責任 試合でのミスも連帯責任でした。1人の選手がバントを失敗したら、試合が終わってからグラウンドに戻って全員でバント練習します。夜に2時間バントだけ練習した時もありました。亜細亜大学では「課題が見つかったら、その日のうちに潰す」が口癖になっていました。   バント練習をした翌日の試合でバントのサインが出た選手は、失敗する怖さと戦います。自分がミスしたらチームメートを巻き込んでしまうので責任重大です。でも、そのプレッシャーに勝てる選手にならないといけないんです。   リーグ戦で相手に勝ち点を取られた時は地獄でしたね。1日に2、3試合を戦ってからグラウンドに戻って、真っ暗な中で全体練習が始まります。試合に勝つか負けるかは雲泥の差。とにかく負けたくない気持ちで必死でした。   亜細亜の厳しさは伝統として根付いています。「戦国リーグ」と言われる東都で何度も優勝し、プロで活躍する選手も多数輩出しているのは、日本一厳しい練習があるからだと思っています。 亜細亜大学4年生でキャプテンを経験 ■寮でも緊張感 監督の言葉には生きるヒント 下級生の頃はグラウンドだけではなく、寮でもずっと緊張感を保っていました。寮の部屋は各学年1人ずつの4人部屋です。上下関係がきっちりとしていて、1年生の役割はたくさんあります。   まずは、起床です。1年生が一番に起きて、先輩たちを起こします。寝坊は絶対にできないので深い眠りにはつけません。朝のルーティーンにはごみ捨てや部屋の掃除などがあり、寮に放送が流れた時はすぐに部屋の外に出て内容を聞き取って先輩たちに伝えます。放送はミーティング時間の連絡をはじめ、監督やコーチ、選手から様々な内容があります。大阪桐蔭高校でも寮生活でしたが、同級生の3人部屋なので部屋にいる時は気持ちが休まりました。   グラウンドも寮も厳しい環境で毎日を過ごしていましたが、野球部を辞めようとは一度も思いませんでした。それは、野球の技術以上に人生に生きる学びが多かったからです。   私の土台は亜細亜大学で築かれたと考えています。生田監督のミーティングには生きるヒントが詰まっていました。例えば、会食に行った時は相手を観察したり、何気ない雑談をしたりして好みを知るように教わりました。どんなお酒が好きなのか、どんなブランドを身に着けているのかを把握しておくことで、相手と盛り上がる会話や喜ぶプレゼントを準備できます。   ■社会に出て実感 怒ってもらうありがたみ 相手の情報がないままお金や時間を使っても、有難迷惑になってしまう可能性があります。どんなにおいしいワインをプレゼントしても、相手がダイエット期間で禁酒していたら歓迎されませんよね。野球でもチームメートの特徴や考え方を知った上で付き合っていけば、信頼関係は深まります。生田監督には野球を通じて、社会で生きる金言をたくさんいただきました。   私は4年生でキャプテンを務めたので、生田監督と接する機会に恵まれました。監督室に呼ばれて、唐突に「きょうは、どんな練習をするんだ?」と問われたこともありました。普段とは違う質問をされるのは、いつもの流れとは違う練習を望んでいるためです。私は、その狙いを予測しながら練習メニューを提案しました。   生田監督は最終的に、質問や発言の意図をしっかりと話してくれました。「なぜ、あの場面で、この言葉を選んだのか」など、常に学びながら実践していました。時には厳しく怒られましたが、理由を説明してもらえるので嫌ではありませんでした。   大学を卒業してから、怒ってくれる存在へのありがたみを実感します。特に今、事業の柱で「野球経験者に特化した就職・転職サービス」を展開する中で、先輩や上司から怒られずに会社から評価される社会人が多いと感じます。改善点や反省点は指摘されないと分かりません。何も言われずに評価を下げられるのは理不尽ですし、働くモチベーションを失いかねません。

  • 甲子園春夏連覇 大阪桐蔭の元主将が起業したワケ

    春夏2連覇を成し遂げた甲子園球場 ■26歳で現役引退 2023年5月に「Ring MATCH」起業 株式会社「Ring MATCH(リングマッチ)」の代表・水本弦です。今月からコラムをスタートします。私の人生に不可欠な「野球」をテーマに、私の考えや経験をお伝えしていきます。現在野球をしている選手や保護者、野球経験のある社会人、野球観戦が趣味の人たち、「野球」をキーワードに皆さんとつながったり、参考になるお話をお届けしたりできればと思っています。   まずは自己紹介です。私は石川県野々市市で生まれ育ち、小学2年生で野球を始めました。高校は大阪桐蔭高校に進学。指導者やチームメートに恵まれ、主将を務めた3年生の時に甲子園で春夏連覇を成し遂げました。高校では藤浪晋太郎投手が同級生、森友哉捕手が1学年下の後輩でした。   高校卒業後は亜細亜大学、東邦ガスで野球を続けました。怪我の影響もあって26歳で現役を引退。野球部を離れてからも東邦ガスで2年ほど社業に専念してから独立し、名古屋市に「Ring MATCH」を起業しました。会社は2024年5月から2期目に入っています。   起業した理由はいくつかあります。その中で最も大きかったのは、東邦ガスでの会社員の経験でした。野球部に所属した時は午前中に営業マン、午後から野球部員という生活でした。ユニホームを脱いでからはガス管の工事を手配したり、施工を管理したりする部署に異動して社業に専念しました。   ■会社員生活で「適材適所」痛感 野球人の就職・転職支援を決意 営業の仕事は自分に合っていて、勤務時間が短いながらも一定の成果を出せていました。ところが、土木や理系の知識が全くない私は、工事や施工管理の業務で全く力になれませんでした。周りへの申し訳なさが大きくなると同時に、「野球と同じで、仕事にも適材適所がある」と強く感じました。   野球をしていた頃は明確な目標を持ち、苦しさの中にも充実感や達成感を抱いていたにもかかわらず、社会に出たら自分と同じように居場所を見つけられない人は多いのではないか。野球人には引退後も輝ける場所、情熱を注ぐ仕事と出会ってほしい。そうした思いから、「野球経験者に特化した人材支援事業」をやりたいと考えました。 弊社では就職や転職を希望する野球経験者と、野球経験者の採用を希望する企業の橋渡しをしています。社名の「リングマッチ」には、それぞれがふさわしい「リング(土俵)」で活躍できる企業と「マッチ」させる意味を込めています。   その他にも、「野球塾の運営」や「バットの開発・販売」といった野球関連の事業を展開しています。選手を退いてからも野球と深く関わっているのは、野球を通じて広がった人脈や野球で得た経験が大きいです。野球をして過ごした時間は技術の向上や勝利だけではなく、社会に出てからも財産になっています。野球に育ててもらった1人として、その魅力をコラムでも発信していきたいと思います。

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