大谷翔平投手は4位 打席で絶句…衝撃を受けた投手ベスト5
- ja0214jp
- 5月17日
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■現在は日米で活躍 アマ時代から別格だった5人の投手
ありがいことに、最近は取材を受けたり、講演の依頼を受けたりする機会が増えています。Ring Matchの事業や引退後のネクストキャリアの歩み方に加えて、現役時代のエピソードを披露する場も多く、選手だった頃を思い返しています。
そこで、今回のコラムでは私が現役の時に対戦した投手の中で、特に驚かされた印象深い選手をランキング形式で発表します。名前を挙げたい投手は多数いますが、5人に絞りました。5位から1位まで、理由とあわせてお伝えします。
【5位:九里亜蓮投手(オリックス)】
亜細亜大学で3学年上の先輩でした。シートバッティングや紅白戦で何度も対戦した投手です。チームには当時、山﨑康晃投手、薮田和樹投手、大下佑馬投手と後にプロ入りする先輩がいました。球速や球威、変化球の切れなど球自体は、この3投手の方が九里投手より上でした。
ブルペンで見る限りは、九里投手を攻略できそうに感じます。ところが、コントロールが抜群でした。球1つ分の出し入れができる投手で、自分のスイングをさせてもらえません。私は打席の中で遊ばれていました。
【4位:大谷翔平投手(ドジャース)】
高校3年生になるタイミングの春の選抜高校野球大会の初戦で、大谷投手擁する花巻東と対戦しました。大谷投手は万全とは言えないコンディションでセンバツのマウンドに立っていましたが、私はノーヒットに封じられました。
大谷投手は長身から投げ下ろすので、リリースからベースに届くまでが近く感じます。高校生で150キロを超えるストレートを投げる投手との対戦は少ない上、角度のある球に苦戦しました。また、高校生では珍しく、落ちる球で空振りを狙うだけではなく、カウントを取る上手さもありました。
大谷投手とは高校日本代表でチームメートとなり、一緒にキャッチボールをしていました。前置きなしに突然スローカーブを混ぜてくることがありましたが、ストレートと真逆のきれいな回転をしていました。球を自在に操る器用さを感じましたね。
【3位:有原航平投手(ソフトバンク)】
大学は違いましたが、2学年上の有原投手とは大学日本代表の選考会で一緒になりました。対戦したのは紅白戦の1打席だけでしたが、その時の衝撃を今もはっきりと覚えています。
有原投手は当時から最速150キロを超えるストレートに威力がありました。ストレートを待っている打者に対しても力で圧倒する球威です。驚いたのは、そのストレートがカットボールのようにナチュラルに変化するんです。150キロを超える投球が打者の手元で動いていたら、お手上げです。
【2位:今永昇太投手(カブス)】
1学年上で駒澤大学の今永投手とは大学時代にリーグ戦で3年間、対戦しました。ストレートの質が別格でした。手元で伸びてホップするように見えます。今永投手は左打者に対して、基本的にストレートとスライダーしか投じませんでした。
球種が2つだけなら、どちらかに絞って対応できそうですが、ほとんど打った記憶がありません。ストレートには差し込まれてしまいますし、ストレートを狙ってポイントを前にするとスライダーで泳がされました。翻弄され続けた3年間でしたね。
【1位:山﨑福也投手(日本ハム)】
大学のオープン戦で、よく対戦しました。山﨑投手は私より学年が2つ上で、明治大学出身です。衝撃を受けたのはプロでも代名詞となっている「カーブ」。左打者の私からは、山﨑投手のカーブが頭に当たりそうなところからストライクゾーンに落ちてくるように見えました。
ベンチから見ていると、そこまで落差が大きく感じません。ところが、打席に入ると恐怖を感じるほどの変化でした。カーブを意識しすぎるとストレートに振り遅れてしまうので、ストレートを待ちながらカーブに対応する必要があります。打席では引っ張る考えを捨てて、逆方向に打つ形で対策しました。投球が頭の方に向かってきて、カーブではなくてストレートだった時は死球でも構わないという気持ちで打席に入っていましたね。
私が野球人生で対戦して印象に残っている投手ベスト5は、いかがでしたか?高校や大学で対戦した頃と、どの投手もイメージは大きく変わっていません。それぞれタイプは異なりますが、学生時代の武器がプロでも長所になっていると感じます。学生時代は打ち取られた悔しさでいっぱいでしたが、プロで活躍している姿を見ると、今は対戦できたことが誇らしいです。