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  • 変化する高校野球 活躍できる選手が増える可能性に期待

    3月に甲子園で開催された第97回選抜高校野球大会 ■投手層の厚さや分業制が加速 甲子園で勝ち上がるカギ 3月から野球専門サイト「Full-Count」さまや「First-Pitch」さまでコラム寄稿の機会をいただいていることもあり、最近は「コラム読んでいます」と声をかけられる頻度が高くなっています。ご覧いただき、ありがとうございます。今回のコラムでは、私たちの時代とは大きく変化している高校野球についてつづります。   横浜高校の優勝で幕を下ろした今春の選抜高校野球大会では、第3、第4投手の重要性が高まっていると感じました。今から10数年前になりますが、私が大阪桐蔭高校でプレーしていた頃は大黒柱となるエースが全ての試合に先発するのが一般的でした。多くても二本柱と呼ばれる2人の投手がいて、交互に先発する形でした。当時の大阪桐蔭であれば、藤浪晋太郎投手(現:マリナーズ傘下3Aタコマ)と澤田圭佑投手(現:ロッテ)の2人以外は甲子園で登板していません。   ところが、近年は3人の投手で1試合を継投したり、エースナンバーの投手が守護神のような形で終盤から登場したりするチームが増えている印象です。今春のセンバツでも、横浜は背番号10の織田翔希投手が先発し、背番号1の奥村頼人投手につなぐ継投を必勝パターンとしていました。さらに、試合展開や相手打者を見て、2ケタの背番号をつけた投手がワンポイントや短いイニングで起用されていました。   ■数多くの選手が活躍する可能性 特徴生かしたチームづくり 連覇を狙って準決勝で敗れた健大高崎も、エース石垣元気投手が大会直前に脇腹を痛めた影響があったとは言え、本格派右腕の下重賢慎投手と技巧派左腕の山田遼太投手が相手チームに合わせて先発を任されていました。準々決勝の花巻東戦で好投した山田投手は変化球が多彩でタイミングやバットの芯を外すのが上手く、フルスイングする花巻東と相性が良いと感じました。   私は中学生まで投手をしていました。全国大会で完全試合をした投球が大阪桐蔭・西谷浩一監督の目に留まるきっかけでした。藤浪投手と澤田投手には遠く及ばなかったので、高校入学後は外野手専任になりましたが、今の時代であれば投手の練習をして、マウンドに立つ機会があったのではないかと思っています。ともに右投手だった藤浪投手や澤田投手の剛速球にタイミングを合わせていた打者が、私のように球速で勝負するタイプではない左投手の球に対応するのは大変です。ワンポイントで戦力になれたのではないかと想像しています。   高校野球は球数制限が設けられたこともあって、投手の分業制が進んでいます。エースが全試合で先発、完投するかつての戦い方は現実的ではありません。私は個人的に分業制に賛成です。数多くの投手が輝くチャンスが広がりますし、自分の役割も見えやすくなります。たとえスピードがなくても、コントロール抜群の投手、特定の変化球を武器にする投手、けん制やクイックに長けた投手など、個々の特徴を生かしたチームづくりができます。打者目線では、複数投手と対戦は対応する難しさを感じます。   これは野手も同じです。足が速い、小技が上手い、球際に強い、肩が強いといった個性を磨いて活躍する選手が増えてほしいですね。野球に限らず他の競技、さらには企業でも同じタイプばかり集まるよりも、様々な特徴を持った人が長所を発揮できるチームや組織の方が戦い方は増えますし、魅力的です。 今春のセンバツは横浜が智弁和歌山を下して優勝 ■フィジカル強化orスモールベースボール 低反発バットで二極化 もう1つ、私たちの時代と高校野球が大きく変化しているところは「低反発バットの導入」です。私も実際に低反発バットを使った経験があります。感覚的に、バットの芯で捉えた打球は今までの金属バットとほとんど違いはありません。ただ、詰まった時は打球の初速が遅く、飛距離も出ません。投球を弾き返すのではなく、バットで吸収するような感触があります。   低反発バットによって打球が全体的に飛ばなくなり、多くのチームが外野のポジションをかなり浅くしています。安打1本で二塁走者が還ってくるのが難しくなりました。   バットが代われば野球も変化します。打球が飛ばなくなったことで、打撃方針の二極化が加速している印象を受けています。低反発でも飛距離を出せるようにフィジカルを徹底的に強化するのか、機動力や小技を生かすのか、チーム方針が今まで以上にはっきりしてきたと感じます。どちらが正解というわけではなく、選手の体格や特徴に合わせたチームづくりが勝利に近づくと思っています。

  • 学生から一変する社会人野球 社業の挫折で学んだ適材適所の重要性

    ■亜細亜大学から東邦ガスへ入社 将来の監督に期待 前回のコラムでは亜細亜大学時代の「日本一厳しい環境」と、社会人につながった学びについてお届けしました。今回は、意外と聞く機会が少ない社会人野球のお話をしていきます。   4月は新社会人としてスタートを切る時期です。私は2017年に亜細亜大学卒業し、東邦ガスに入社して硬式野球部に入りました。東邦ガスの硬式野球部は名古屋市を拠点としています。   社会人野球の進路は東邦ガス一本でした。亜細亜大学の生田勉監督から入社を勧められました。私は石川県出身で、高校は大阪、大学は東京で過ごしました。全ての地区に行きやすい中間地点が愛知県だったことや、会社自体に学閥がなく自分の頑張りや結果次第で昇格できるところなどが私に合っていると生田監督から説明を受けました。   就職先を決める面談で初めて、私は生田監督から褒められました。監督からは「お前を選手としても人間としても一番良い人材だと思っている。そんな人間を送り出すので、東邦ガスの監督には『将来的に水本に監督をやらせてほしい』と伝えている」と言っていただきました。初めて褒められたうれしさ以上に、そんなに高く評価していただいたことにびっくりした記憶が残っています。   ■自由度の高い社会人野球 時間の使い方や考え方に変化 社会人野球はチームによって仕事と野球のバランスが異なります。東邦ガスの場合、朝から昼頃まで仕事をして、午後1時半頃から練習でした。午後4時頃まで全体練習で、その後は自主練習になります。土曜日に試合が入って、日曜日はオフになるケースが多かったです。ただ、都市対抗野球や日本選手権といった大きな大会前は強化練習に入り、会社に出勤せず野球に専念します。   前回のコラムで書いた亜細亜大学とは違って、自主練習の時間は長くありませんでした。私もそうでしたが、全体練習が終わったら帰宅する選手も多いです。社会人時代は疲れがたまっていない状態で過ごせていたので、体が軽すぎると感じる時もありましたね。   全体練習は各自でウォーミングアップをしてから、キャッチボール、ノック、フリー打撃をします。高校や大学のように走者をつけたノックや打撃練習はしません。社会人野球は自由度が高く、選手に任される部分が大きくなります。学生の頃は指導者から「こういう風に打て」と指摘されますが、社会人野球では「こういう風な動きになっているから、自分で確認してみて」とヒントをもらうイメージです。   高校や大学の時と比べて年齢的に体に無理が利かなくなってくることもあって、社会人野球は大まかに言うと量より質にこだわった時間の使い方にシフトします。バットを振る量を減らす分、スイングの映像を見たり、相手投手の分析をしたりして結果を出す方法を考えます。 社会人野球では東邦ガスで5年間プレー ■けがで苦しんだ4年間 5年目に自己最高の成績残して引退 私が全体練習後に自主練習しなかったのも、効率良く時間を使うための一環でした。自主練習のメインとなるウエイトトレーニングは毎朝の出勤前に済ませ、全体練習が終わったら将来を見据えてビジネスの勉強をしていました。当時、プロになる夢はあきらめていて、東邦ガスで野球部の監督に就くのか、野球を引退したら起業するのか、どちらかの道を考えていました。   東邦ガスでのモチベーションは、シーズンを通してチームに貢献することでした。私は入部してから3年連続でけがをしています。肺に穴が開いたり、試合中のタッチプレーで膝を痛めたり、避けるのが難しい故障もありました。3年目に膝を手術して4年目はリハビリで1年が終わってしまい、5年目は必ず復活すると強い決意を持っていました。   5年目は今までで一番の成績を残し、自分の中で納得できました。都市対抗野球の出場を最後に、現役引退を決めました。東邦ガスを勧めてくれた生田監督には電話で引退を報告しました。自分からユニホームを脱ぐ決断に反対されたり、怒られたりすると予想していましたが、「思ったよりも早かったが、よく頑張ったな。お疲れさま」とねぎらっていただきました。   野球部員は選手を退くと、他の社員と同じように社業に専念します。私は現役時代、営業部に所属していましたが、引退のタイミングでガス設備の担当に変わりました。東邦ガスが分社化された時期で、営業部門と導管部門に分かれました。私は導管部門が入る東邦ガスネットワークという分社化した会社に出向する形となりました。 ■営業からガス設備に異動 力を発揮できる場所求めて退社 営業担当だった頃は、業務時間が限られる中で一定の成果を残せていました。しかし、異動したガス設備の部署では全く戦力になれませんでした。会社への申し訳なさや自分に合った環境で働きたい気持ちが強くなり、起業を決めました。   入社する際、将来的に野球部の監督をする期待をかけられていたため、心苦しさはありました。ただ、東邦ガスで監督に就くには社内での昇格も必要で、年齢的には最短で30代半ばになります。私が現役を引退したのは26歳。会社に10年間残るよりも、退社して新たな道を選びました。   東邦ガスでプレーできた期間は短かったですが、得るものは多かったです。特に、社会人野球で長く活躍する選手の準備や自己管理の徹底を間近に見られたことと、仕事には向き不向きな業務があると実感できたことは今につながっています。   社会人野球で長くプレーしている選手は自らを知り尽くしています。スパイクを履く時期といった細かい年間スケジュールも含めて、自分に合った調整法を確立しています。年齢による体の変化も敏感に感じ取り、臨機応変にメニューを組み替える引き出しも多いです。学生のように卒業というゴールが決まっていない中で、体も心も整えて高いパフォーマンスを維持するのは、野球の技術だけではない要素も求められると感じました。 Ring Mattch設立後も野球をきっかけにした出会いに恵まれています ■野球経験者の引退後 成功のカギは企業とのマッチング サラリーマンを経験できたのも貴重でした。野球部員は引退後、大半が営業職に就きます。社内の営業成績上位者は野球部出身が占めていました。私も自分が営業には向いていると思っていました。一方、ガス設備の業務は土木や理系の知識が問われ、全く力になれませんでした。   野球も同じですが、仕事にもそれぞれに向いているポジションや役割があります。適材適所とよく言われますが、誰にも得意、不得意な分野があります。現在、弊社で進めている「野球経験者に特化した人材紹介」の事業でも、せっかくの能力が生かせていないと感じる求職者が多いです。   マッチングが上手くいけば、働く人も雇用する企業も幸せなのは間違いありません。これからも、野球経験者がネクストキャリアで輝ける場をサポートしていきたいと考えています。

  • 見据えるのは高校卒業後 個々を輝かせる西谷監督の進路相談

    ■「会社でレギュラーに」 将来考えた選手育成 前回のコラムでは甲子園をテーマにしました。今回は私の恩師、大阪桐蔭高校野球部の西谷浩一監督についてお届けします。   現在開催中の選抜高校野球大会には残念ながら出場していませんが、大阪桐蔭は毎年、日本一を本気で目指して練習しています。西谷先生は誰よりも勝利に貪欲で、頭の中は野球でいっぱいなのが分かります。寝ている間も野球のことを考えているのではないかと思うくらいです。勝利の確率を高めるため、試合に臨む前にあらゆる準備を整えます。   ただ、西谷先生は勝利を追求しながらも、甲子園出場や全国制覇をゴールにしていません。主将の私と副主将は練習後、西谷先生に時々呼ばれました。その時、「高校卒業後どこのチームに行っても、みんなが主将になれるようなチームをつくりなさい」と言われていました。   選手全員を集めた場では、「レギュラーの選手もメンバー外の選手も、就職した会社でレギュラーになれる人間を目指して野球に取り組みなさい」とおっしゃっていました。西谷先生は常に高校野球の先を見据えて選手と接していました。技術的な指導よりも、周りから必要とされる人間を育てる指導が根底にありました。   ■勝てる土俵で勝負する 西谷監督の考え方は弊社の事業と共通 目の前の勝利以上に選手の将来を大切にしていたからこそ、進路選択にも本気で向き合ってくれる指導者でした。西谷先生は大学野球や社会人野球の情報も豊富に持っています。私が亜細亜大学でプレーしていた頃、亜細亜大学が所属している東都大学野球の話題になり、各大学の選手に詳しくて驚いた記憶があります。   大学の主要リーグの選手、チーム方針や練習環境などに西谷先生が詳しいのは、私たち教え子がどこの大学に進めば活躍できるのかを見極めるためです。例えば大阪桐蔭でセカンドのレギュラーだった選手の進路を考える時、本人が希望する地域のリーグでレギュラーとして出場しているセカンドの能力と特徴を分析します。   チームのスタイルや4年生が占めている割合などもチェックして、入学して早い時期から試合に出られる確率が高い大学を探します。セカンドのレギュラーが2年生でチームの柱となる能力のある選手がいる大学は、入学しても出場機会が少なくなってしまいます。西谷先生には選手が次のステージでも活躍してほしい思いがあるので、教え子の大学入学後をイメージして進路相談を進めています。   選手が輝ける場所を見つける考え方は、私たちの会社が進める「野球経験者に特化した人材紹介」の事業と重なります。誰もが得意、不得意な分野があり、それぞれが長所を生かして勝てる土俵に立てば活躍できる確率はグッと高められます。   チームで唯一無二の存在と言える限られた選手や会社員を除き、主力になれるかどうかは選択する大学や企業によって変わります。左打者が右打者を必要としている大学を選んだり、長打力を武器にする打者が小技を多用する大学に入学したりすると力を発揮する場に恵まれない可能性が高くなります。 私が卒業した大阪桐蔭高校 ■西谷監督に誘導された!? 進路は亜細亜大学を選択 大阪桐蔭の進路相談では、2年生の年末に帰省した際に両親と相談して希望する大学をいくつか考えます。年明けに、関東や関西など地域の希望も決めて西谷先生に伝えます。西谷先生と選手で面談して、その後は親も交えて話し合う流れです。   私は東京六大学を漠然とイメージしていました。西谷先生からは明治と法政は右打者を必要としているので、左打者の私は1年生から試合に出るのは難しいかもしれないと説明を受けました。それから、東京六大学には特待生の制度がなかったので、東都を勧められました。   青山学院や立正といった選択肢がある中、青山学院は勉強の負担が大きく、立正は2部だったことから亜細亜を選びました。教員免許を取得しやすいことも決め手になりました。当時はプロ野球選手以外、やりたいことが見えていなかったので、教員免許は将来の安心材料になると考えていました。最終的には自分で進路を決めていますが、今思うと西谷先生に誘導されていた気もします(笑)。   亜細亜大学では1年生からレギュラーになれました。4年生の時は主将を任され、チームとしても結果を残せました。私に合った大学を勧めてくれた西谷先生には感謝しています。   ■日々の観察で選手を理解 進路相談で的確な助言 大阪桐蔭の選手が卒業後のステージでも活躍しているケースが多いのは、西谷先生の進路相談が大きな要因になっていると思います。そして、その裏には西谷先生の人脈づくりに加えて、選手に対する観察力があると考えています。   西谷先生は日頃から選手のちょっとした違いに気付きます。体調や気持ちの変化、スパイクや手袋を新しくした時もすぐに指摘されました。選手としての特徴はもちろん、プレーを見ただけでは分からない性格も深く理解しているので、進路相談で的確なアドバイスができるのだと思います。   指導者と経営者で立場は違いますが、私も今、野球経験者の次のステージをサポートする事業を展開しています。西谷先生の教えをビジネスの参考にしていくつもりです。

  • 子どもの運動減少は野球にも影響 動きの種類を増やす大人の役割

    野球塾「Amazing名古屋校」には愛知県外からもスクール生が集まっています ■ドッジボールは“死語”? 時代の変化を実感 ここ数年、子どもの運動能力が落ちているというニュースを見聞きします。スポーツ庁は毎年、小学5年生と中学2年生を対象に50メートル走やボール投げなどの項目で体力や運動能力を調査しています。今年度は中学生男子が新型コロナウイルス感染拡大前の数値を上回ったものの、小学生は男女ともに低下傾向が続いています。   私は野球塾「Amazing名古屋校」で日頃から小学生を指導していて、スポーツ庁の調査結果に納得できる部分があります。野球塾に来る子どもたちは運動に積極的なタイプが多いです。それでも、1つの動きしかできず、動きのバリエーションが少ないと感じます。これは、遊ぶ機会の減少が要因だと考えています。   私は2月で30歳になりました。石川県出身なので都市部で生まれ育った人たちと環境が違うのかもしれませんが、小学生の休み時間はグラウンドや体育館でドッジボールや鬼ごっこをしていました。放課後や休みの日は公園に集まって野球で遊ぶのが日常でした。   ただ、野球塾に来る子どもたちと話をしていると、休み時間を教室で過ごしたり、学校が終わってからは自宅で過ごしたりするケースが多いです。振り返ってみると、子どもたちからドッジボールという単語を聞いたことがないかもしれません。私が小学生の頃の遊びと言えば、ドッジボールが定番でした。   ■子どもの運動機会減少 動きの種類や空間認知能力が低下 どちらの時代が良い悪いという問題ではなく、運動する習慣がなくなった影響は野球の動きにも表れます。バットやグラブといった道具を扱う野球独特の競技性以前に、子どもたちは自分の体を上手く操作できていません。これは能力ではなく、経験の差です。   例えば、上半身だけひねる動きを教えても、首や顔、腰が一緒に動いてしまいます。誰でも不慣れな動きをするのは難しいんです。遊びを通して色んな動きが自然と身に付きますが、体を動かす習慣がなければ動きの種類が限られてしまいます。   空間認知にも影響が出ます。野球は物体の位置やスピードを把握する「空間認知力」が重要なスポーツです。投球のコースや高さ、速さに対応できなければ打ち返すことはできません。ゴロやフライの捕球も空間認知能力が問われます。   私たちの野球塾では空間認知を向上させるメニューも組んでいます。例えば、キャッチボールのように向き合って、指導者がスクール生に向かってボールをバウンドさせます。指導者はボールの速度や高さに変化をつけて、バウンドの仕方を変えます。一方、スクール生はどんなボールでも、ショートバウンドやツーバウンドなど指導者が指示した方法で捕球します。 野球塾「Amazing名古屋校」の様子 ■経験で改善する運動能力 不慣れな動きを練習 スクール生に初めて挑戦させると、半数くらいは上手くできません。バウンドを待ちすぎたり、突っ込み過ぎたりしてしまいます。ただ、繰り返し練習していると、どの辺りでバウンドするのか感覚がつかめてきます。経験して慣れれば、誰でもある程度できるようになります。   バウンドするボールが来ると分かっていて捕球できない子が、打者を抑えようとしている投手のボールにタイミングを合わせて打てるはずがありませんよね。野球塾では基本的な運動能力を磨くメニューも取り入れています。   動きのバリエーションを増やす練習には、右投げの子が右手で捕球したり、右打ちの子が左で打ったりするメニューもあります。できるだけたくさん馴染みのない動きを経験してもらう狙いです。   上のレベルに行くと分かってきますが、打撃であれば複数の打ち方が必要になります。体の成長やコンディション、相手投手のタイプや打席に立った時の場面などによって、打ち方を変えていける選手が結果を出す確率を高められます。体の動きや打ち方が限られると、それだけ安打の確率は下がってしまいます。   ■動きの正確さは二の次 自宅で親子一緒に 小学生世代で大切なのは間違った動きや打ち方をしていても、過度に気にしないことです。今までと違う体の使い方や打ち方をするだけで、動きのバリエーションは増えます。その引き出しが今すぐにではなくても、中学生や高校生になった時に生きてくるからです。   野球塾ではスクール生だけではなく保護者にも「動きが合っているか間違っているかは大きな問題ではない」と伝えています。そして、スクール生の練習を見ている保護者は多いので、あえて聞こえる声の大きさでスクール生に動きのポイントを説明してから「覚えている範囲で構わないから家に帰ってからやってみて」と勧めます。そうすると、保護者も内容を覚えて自宅で子どもの動きを確認しようする意識が芽生えます。子どもたちは正しい動きを覚えやすいですし、親子の会話にしてほしい気持ちも込めています。   最近の子どもたちは運動能力が低いと指摘するのは簡単です。ただ、その理由は子どもたちに原因や責任があるわけではありません。昔と比べて遊ぶ時間や場所が限られ、動きの幅を広げる機会が少ないためです。経験する場を大人が増やしていけば、運動能力も野球の技術も上がっていくと考えています。

  • 球児の意見は反映されている?甲子園の開催方法変えるべき?

    真夏の開催で是非が分かれている甲子園 ■大人は猛暑を懸念 球児の考えに隔たり センバツ高校野球は組み合わせが決まり、間もなく開幕します。私にとって、印象に残っている昨年の出来事の1つが甲子園球場で観戦した高校野球です。聖地へ行くのは、大阪桐蔭高校で2012年夏に日本一になって以来でした。   昨夏に甲子園を訪れた目的は母校の応援です。実は、聖地のスタンドで試合を見るのは3回目でした。中学生の時に1回、大阪桐蔭時代に次の対戦相手の研究で1回、それから昨夏です。   スタンド観戦とグラウンドでのプレーで甲子園の感じ方が全く違うことは、以前のコラムでお伝えしました。今回のコラムは、高校野球界を超えて議論になった「真夏の甲子園で大会を開催する是非」をテーマにします。   結論から申し上げますと、私は今の開催方法を変える必要はないと思っています。5年前、10年前と比べて夏の暑さが厳しくなり、熱中症のリスクが高まっているのは間違いありません。球児の体調を考慮して、「大会の開催時期を変える」、「会場を甲子園からドーム球場に変更する」といった意見が出ることに理解はできます。   しかし、周りの大人が懸念するほど、球児は暑さを苦にしていないと感じています。まず、野球は試合時間が他の競技よりも長いですが、選手はグラウンドにずっと立っているわけではありません。攻撃中は打者、走者、コーチャー以外はベンチにいるので、試合の半分近くは屋根の付いたベンチで自由に水分を取れます。 ■球児より暑いのは観客 甲子園より過酷な地方大会 甲子園のベンチ内にはジェットクーラーがついているので、すごく涼しいです。もちろん、試合中には汗をかきますが、甲子園でプレーしていて暑さが気になったことはありませんでした。私が高校生の時はクーリングタイムがなかったものの、ベンチに冷たいタオルが用意されていて試合中に頭や首を冷やしていました。   それから、昨夏に甲子園のスタンドで観戦して感じましたが、選手よりも観客の方が圧倒的に暑いです。個人的には人生で一番の暑さでした。日陰のない席で1試合通して観戦するのは、選手の何倍も暑いです。夏の甲子園が危険と指摘する人の中には、球児の意見よりも観客としての自身の経験をもとに話しているのかもしれません。   シンプルに暑さの程度という点で見ると、ベンチの中が涼しい甲子園よりも地方大会の方が過酷です。さらに、大阪桐蔭の選手にとっては普段の練習の方がきついです。おそらく、甲子園に出場する多くの高校は試合よりも練習の方が暑さと戦っている意識が強いと思います。   夏の暑さは年々厳しくなっていると感じます。だからと言って、甲子園の開催時期や会場を変更するのは違和感があります。周りにいる高校野球経験者も、ドーム球場への変更や真夏を避けた開催に賛成している人はいません。 グラウンドより暑さを感じる球場のスタンド ■「なぜ高校野球だけ問題視?」 球児の意見に納得 昨夏の甲子園に関する記事で、球児のコメントに「真夏に外で試合をしているのは野球だけではない。なぜ、高校野球ばかりが問題視されるのか」といった趣旨の内容がありました。確かに、サッカーやラグビー、マラソンなどの競技も屋外で大会が開かれますし、屋内競技の中には風の影響を考えて十分に窓を開けて試合ができないケースもあります。高校野球の危険性ばかりが議論になることに疑問を抱くのは自然です。少なくとも、関係者は選手が納得する説明をしたり、選手の意見をしっかりと聞いたりする必要があります。   私は社会人まで野球を続けました。高校や大学の時は日の丸を背負ってプレーした経験もあります。お客さんがたくさん入る中で試合をしてきましたが、ぎっしりと埋まったスタンドから一つひとつのプレーに大歓声が沸く夏の甲子園は特別です。盛り上がり方が他の大会とは全く違います。   仮に今夏から会場がドームに変更され、20年、30年と大会を重ねていけばドーム球場も“聖地”と呼ばれるようになるのかもしれません。ただ、個人的には甲子園球場以外が聖地となるイメージが沸きません。   甲子園をめぐっては猛暑対策の他にも、7イニング制の導入や球数制限、勝ち上がるごとに大きくなる出場校の費用負担など様々な議論があります。2024年に甲子園球場誕生から100年を迎え、時代に合った形への変化が求められる時期に来ているのかもしれません。聖地に憧れ続けた元高校球児としては、大人の事情ではなく、今の選手たちの意向が尊重されることを強く願っています。

  • 能登で復興イベント開催 地元出身のプロ野球選手も4人参加

    「GO!能登 応援プロジェクト」の様子 ■昨年末に石川県で開催 「GO!能登 応援プロジェクト」 起業してから、地元・石川県を訪れる機会が増えました。今年に入ってからも小松市で野球教室を開催したり、私が小学生の頃に所属していた学童野球チームで指導したりする場をいただきました。   昨年末には中能登町で、「GO!能登 応援プロジェクト」と銘打った野球イベントを開催しました。地震から1年経った今も復興の最中にある石川県を野球で元気づける目的です。チームに所属する地元の小学生80人以上が集まり、ロッテ・角中勝也外野手と岩下大輝投手、楽天・島内宏明外野手とヤクルト・北村拓己内野手、石川県出身のプロ野球選手4人に参加していただきました。   このイベントは能登半島地震発生の1週間後、ヤクルト・北村選手から私が連絡を受けたことがきっかけでした。北村選手は亜細亜大学野球部の1年後輩で、大学卒業後も親交があります。「次のオフシーズン(2024年のシーズンオフ)に能登復興のイベントを開催したいのですが、力を貸してもらえませんか?」と相談されました。   私自身も復興のサポートをしたいと考えていたので、快諾しました。子どもたちに夢やパワーを与えられるプロ野球選手が参加してくれるとあれば、断る理由はありません。後日聞いた話では、北村選手だけではなく、他の選手たちも考えは同じだったそうです。 イベントには石川県出身のプロ野球選手が参加 ■星稜野球部OBの力を実感 野々市市の企業も協力 イベント開催に向けて、様々な方々にご協力いただきました。会場でお借りした室内スポーツセンターは中能登町が所有している施設で、年末年始は通常閉まっています。町長や職員の方々にイベントの主旨を理解していただき、利用させていただきました。   イベント会場に中能登町を選んだのは理由がありました。中能登町は被災したものの、より大きな被害を受けた他の地域ほど報道されていませんでした。そのため、他の被災地と比べて、野球をはじめとするスポーツ関連の復興イベントが開催されていない事情がありました。地震によって、子どもたちの学校生活や野球の活動に影響が出ていたことを知り、中能登町での実施を決めました。   今回のイベントで特に実感したのは、星稜高校野球部の連携と行動力です。中能登町の職員さん、協賛企業の経営者の方、ボランティアの皆さんら、星稜OBの方々に支えていただきました。私たちの会社としては、イベントの協賛企業を集めたり、他の方からご紹介いただいた協賛企業にご挨拶へ伺ったりしました。   イベントを開催したのは中能登町でしたが、私が生まれ育った野々市市の企業にもスポンサーとして入っていただきました。昨年9月に野々市市で行った講演がご縁となり、協賛をお願いしたところ快く引き受けていただきました。これまでも企業として幅広く社会貢献活動を続ける中、「自分たちは本当に力になれているのか」と疑問を抱くことがあったそうです。今回の復興野球イベントは子どもたちの喜ぶ姿が目に見えて分かるので、協賛の意義を感じたとお話していました。 会場に設置した能登を応援する垂れ幕 ■プロ4人が野球教室 子どもたちとストラックアウト対決 イベントでは、プロ野球選手4人による野球教室とストラックアウト対決を開催しました。野球教室は子どもたちを4つのグループに分け、角中選手には素振り、島内選手にはティー打撃、岩下選手には投球、北村選手には守備の指導を担当してもらいました。   プロ野球選手にとって年末年始はオフの貴重な時期ですし、普段は子どもたちに教える場が少ないので、時間を長くし過ぎると負担をかけてしまうと想像していました。しかし、どの選手も時間が足りないくらいの熱量で子どもたちと接していました。寡黙で職人気質のイメージを持っていた角中選手が時間を過ぎても、1人1人にスイングのアドバイスをしていたのは印象的でした。   島内選手はお手本を示しながら打球を遠くに飛ばすコツを伝え、北村選手はお兄ちゃんのような親しみやすい距離感でエラーを減らすゴロ捕球のポイントを解説していました。岩下投手は子どもたちが憧れる速い球を投げるための体の使い方を丁寧に説明していました。それぞれが特徴や強みを生かした指導をしていて、子どもたちも興味津々でしたね。どの選手からも、野球を通じて能登の復興を後押ししたい気持ちが伝わってきました。   ストラックアウトも盛り上がりました。子どもたちがプロ野球選手を指名して対戦する形にできたら良いなと思い、ダメ元で選手たちにお願いしたところ、二つ返事で引き受けてくれました。オフの期間はボールを投げないプロや、軟式ボールを投げることに抵抗があるプロは少なくありません。その中で、全選手が子どもたちと対決してくれました。本当に頭が下がります。 私、水本がイベント冒頭で子どもたちに挨拶 ■参加者から感謝の言葉 継続的にイベント開催へ イベント後は、感謝の言葉がたくさん届きました。子どもたちは「憧れの選手を近くで見て体の大きさに驚きました。あんな選手になれるように頑張ります」と目を輝かせ、保護者も「子どもたちにとって刺激的な時間でした。貴重な機会をありがとうございました」などと喜んでいました。   能登半島地震から1年が経ちましたが、まだ復興が進んでいない地域もあります。私の身近でも被災した人がいます。日常を取り戻すには時間がかかりますし、多くの人たちの力が必要です。   私たちだけではなく、今回のイベントに携わった関係者の方々からも「一度で終わるのではなく、継続していくことに意味があるのではないか」という声が出ました。改良を重ねて、今回以上に満足していただけるイベントを続けていきたいと考えています。プロ野球選手にも協力してもらう大規模な企画だけではなく、私個人や私たちの会社として貢献できることも継続していくつもりです。

  • ビジネスでも輝ける土俵を 野球人の強みを生かした支援

    ■「力を発揮できていない」 企業でも生かせる野球人の強み 先日のコラム開始のご挨拶では、自己紹介をさせていただきました。実質的に最初のコラムとなる今回は、弊社で展開している事業の1つで、私が起業するきっかけとなった「野球経験者に特化した人材支援事業」についてお伝えします。   この事業を立ち上げた理由は前回のコラムで触れましたが、野球経験者が競技を終えた後に持っている力を発揮できていないと感じたからです。私も含めてですが、野球に没頭した人たちは競技を通して得た強みと同時に、他の人よりも時間をかけてこなかった弱点があります。   一般的に野球経験者は、体力や礼儀正しさに長けていると見られています。ただ、野球経験者の強みは、それだけではありません。例えば、打率3割が好打者の目安とされる野球は「失敗のスポーツ」と言われています。7割は失敗する難題に対して、自分の打撃フォームや相手バッテリーの配球などを研究して少しでも確率を上げる工夫や努力を重ねます。   これは、営業や企画の仕事にも共通します。断られる可能性が高い営業や最初から案が通りにくい企画の部署に配属された際、野球に打ち込んだ人たちは様々な方法で現状を打破する方法を考えます。失敗してもあきらめない継続力や課題を解決する力など、野球で身に付けた武器が社会に出てからも生きるわけです。   ■野球経験者と企業をつなぐ「Ring MATCH」 専門アドバイザーがサポート  一方、部活に所属せず勉強や就職活動に注力してきた人と比べると、専門的な知識やパソコンのスキルは劣る傾向にあります。インターンやアルバイトの経験も圧倒的に少なくなります。   野球経験者が、こうした苦手分野で勝負しようとしても、なかなか勝ち目はありません。野球でも適材適所があるように、個々の特長が発揮できる職種や企業にめぐり合うことができれば、野球経験者も企業も幸せです。そのサポートをしたいと私は起業を決めました。   私たちの会社「Ring MATCH」では、転職を希望している野球経験者に無料登録してもらいます。その後、オンラインやオフラインで面談し、企業に提出する履歴書や職務経歴書を一緒に作成していきます。そこから、求職者に合った企業をピックアップして、エントリーしていく流れです。   求職者をサポートする弊社のアドバイザーたちは、上場企業で豊富な経験を積んできました。全員が野球経験者なので、求職者の考え方や希望を汲み取り、企業へ分かりやすく伝える方法を熟知しています。   ■ 勤務地も業種も様々 企業から需要高い野球経験者 求職者からも野球未経験の社会人からも時々、「野球経験者に特化した人材紹介は需要があるんですか?」とたずねられます。その時、私は自信を持って答えています。「皆さんが想像している以上に需要は高いです」。弊社は2期目に入って知名度が上がってきたこともあり、求職者だけではなく、企業側からの問い合わせも大幅に増えています。需要があると確信しています。   野球経験者を必要としている企業は全国各地にあり、業種も多岐に渡ります。お問い合わせをいただくのは弊社が事務所を構える愛知県、東京都や大阪府といった都市部に加えて、北陸地方や北関東の企業も多いです。これまで内定をいただいた企業の業種は不動産、印刷会社、営業代行など幅広いです。   Ring MATCHの特徴はきめ細かいサポートにもあります。求職者の希望を聞いたり、適性を見極めたりする面談はオフラインやオンラインで複数回行います。遠方に住んでいる求職者には企業まで同行するケースもあります。例えば、北海道で働いていて愛知県の企業で面接を受けた求職者は土地勘がないため、私が企業まで一緒に行き、面接に同席したこともありました。   求職者のサポートは内定を取ったら終わりではありません。入社後も個別にフォローし、求職者にも企業側にも不都合がないか確認します。求職者に伴走する上で難しいのは、気持ちの波に寄り添うところですね。求職者は「現状を打破したい」と熱が高い時と、「転職は怖いから現状維持で良い」と弱気になってしまう時が周期で変わる傾向があります。   ■転職は「ポジティブ」 自分の価値を高める選択肢 私たちは「転職ありき」で相談に乗るわけではありません。取り組み方や考え方を変えれば今の職場で活躍できると感じた場合は、その方法をアドバイスします。ただ、より輝ける場所を見つけたいと前向きな気持ちになり、ふさわしい企業が見つかったにも関わらず、一歩を踏み出せなければ、せっかくのチャンスを逃してしまいます。求職者が1人で悩みや不安を抱えないように、いつでも気軽に連絡を取れる仕組みをつくっています。   事業は5月から2期目に入りました。やはり、最大のやりがいは求職者と企業、お互いが笑顔になるマッチングに成功した時です。私たちは求職者に転職先を押し付けず、希望や適性に合った企業しか紹介しません。そのため、入社後に「良い企業勧めていただき、ありがとうございます」、「仕事が楽しいし、先輩や上司にもかわいがってもらっています」など、感謝される機会が多いです。   企業側からもうれしい言葉をいただいています。中には「良い人材を紹介していただきました。他に利用している転職エージェントは全てやめて、Ring MATCHさん一本にします。紹介していただいた方は100%採用するので、今後もよろしくお願いいたします」と言っていただいた企業もあります。   転職のイメージは日本でも変化し、ポジティブに捉える人は増えています。私はキャリアにおいて、自分の価値を高めていくことが大事だと考えています。何かを達成したら、もう1つ上のレベルや新しいスキルの習得を目指して、自分の市場価値を上げていくわけです。   Ring MATCHの登録者は今すぐに転職したい人から、いずれ就職しようとぼんやり考えている人まで様々です。企業との出会いはタイミングもあります。キャリアアップを描いている野球経験者は、弊社までお気軽にお問い合わせください。野球人を求めている企業は皆さんが思っている以上にたくさんあります。ユニフォームを脱いだ後も野球人の可能性は広がっています。

  • 上手くなる独自の仕組み確立 大好評の野球塾は拡大中

    ■Amazing名古屋校 ジュニアレッスンも開始 前回のコラムでは、私が起業する理由となった事業「野球経験者に特化した人材支援」の内容やビジョンをお伝えしました。弊社では、この他に「野球塾の運営」と「バットの開発」を事業の柱としています。今回のコラムでは、野球塾の運営についてお届けします。   弊社は名古屋市で「野球塾Amazing名古屋校」を運営しています。Amazingは大阪桐蔭高校野球部の1学年先輩、廣畑実さんが立ちあげた野球塾で、大阪や東京など全国10か所で展開しています。業務委託の形で、弊社は名古屋校で小、中学生に野球を教えています。   名古屋校は口コミで評判が広がり、おかげさまで今は予約が難しいほど、選手が集まっています。元々、小学4年生から中学3年生を対象にしていましたが、今年9月から小学1年生から3年生までのジュニアレッスンも新たに始めました。   ジュニアレッスンの目的はシンプルです。「野球をめちゃくちゃ楽しんでもらいたい」。小学3年生まではフォームにこだわらず、とにかく野球を楽しんでもらいます。ボール遊びの延長で、楽しみながら運動機能を高める狙いがあります。この年代で色んな動きをしておくと、小学校高学年でバッティングを教える時、重要なポイントをスムーズに身に付けられるんです。スローイングやキャッチングにも共通していて、小学生の時に動きのバリエーションを増やすと、その後に生きてきます。   ■経験に基づく豊富な引き出し どのスタッフ質の高い指導 中には園児のうちから保護者の方と野球の練習をしているケースもあるので、その場合は技術的な指導も加えるなど、子どもたちの経験やレベルに合わせてメニューを組んでいます。小学4年生以降になると、技術を習得する指導の比重が大きくなり、「遊びに近い楽しさ」から「上達する楽しさ」に移行する形です。   Amazing名古屋校の最大の強みは、どの指導者が教えても技術を伸ばせるノウハウが確立されているところです。塾長の私だけではなく、他のスタッフでも同じように質の高い指導が可能です。   その理由は、選手の課題をパターンに分けて、改善するために最も効果的な練習を提案できるからです。例えば、指導で取り入れているティーバッティングは50種類以上あります。指導者が選手に修正すべき動きを指摘して、自然と理想的な動きを覚えられるメニューを選べば、効率良くバッティングが上達していきます。   野球塾の塾生は基本的に、チームに所属しています。チーム練習がない日や土日の午後や夕方、野球塾に来ています。愛知県は土日の練習が昼頃に終わるチームが多いんです。個のスキルを向上させたい選手たちが名古屋市だけではなく、愛知県外からも通っています。   ■「塾生は日本一練習」 野球が楽しくなる好循環 おもしろい場面に遭遇した時もありました。ある日、1人の選手がスクールの開始を待っていると、同じ時間のスクールを受けるために現れた別の選手と目が合って、お互いにびっくりしていました。その2人はチームでポジションを争うライバルだったんです。2人とも相手には内緒で定位置を獲るために、私たちの野球塾に来ていました。   他にも、所属するチームを強くしたい一心でチームメートを誘った塾生や、バッティングが急激に向上した選手がAmazing名古屋校に通っていると聞いて入会した塾生もいます。   私たち指導者は塾生を見ていると口をそろえることがあります。「ここにいる選手たちは日本一、一生懸命やっている」。指導では褒めることを大事にしています。選手を上手くする絶対の自信を持っていますし、実際にチームで結果を出している選手は多いです。「練習して上手くなる」→「褒められたり、試合で活躍したりできてうれしい」→「前向きに一生懸命練習する」という好循環が生まれています。   ■チームと野球塾 選手を板挟みで苦しめない方針 他の野球塾に通う選手や保護者からは時々、「チームの方針と野球塾の指導が違って、どちらの言うことに従えば良いのか子どもが困っている」という悩みを聞きます。私たちの野球塾では、ひと昔前とは異なるバッティングフォームを教えています。選手からは「チームで教わった打ち方と違う」という声が上がります。その時、私たちは「チームの監督の指導方針や選手が希望する打ち方」を優先します。   そして、レッスンでは「様々な打ち方を身に付けた方が、色んなピッチャーや球種に対応できるから、引き出しの1つとしてやっておこう」と伝えます。せっかく選手が上手くなりたいと思っているのに、チームと野球塾で板挟みになるのはかわいそうですからね。   Amazing名古屋校では指導者を増員してレッスンの枠を拡大し、できるだけ多くの塾生のサポートをしていくつもりです。ライバルに差をつけたい、ホームランを打ってみたい希望を叶えます。野球が好きで上手くなりたい選手をお待ちしています。

  • 打率と飛距離を両立 野球塾の指導から生まれたバット

    ■理想のスイングが自然と身に付くバット「Newton」開発 弊社では主に3つの事業を展開しています。今までのコラムで「野球経験者に特化した人材支援」と「野球塾の運営」についてお伝えしました。今回は「バットの開発・販売」のお話を進めていきたいと思います。   弊社では「Newton」と名付けたバットを販売しています。バットの開発に取り組んだ理由は、野球塾での指導経験でした。私たちの野球塾「Amazing 名古屋校」の打撃指導では、「バットの重みを感じるスイング」や「バットを寝かせる動きをつくって遠心力を生かしたスイング」を大事にしています。 打率を上げると同時に、体が小さくても飛距離が出るバッティングフォームを覚える上で重要な動きになるからです。   野球塾に定期的に通っている選手たちは、理想的なフォームを身に付けています。ただ、習得までの時間には個人差があります。特に知識や経験が少ない選手は、私たち指導者の説明をイメージするのが難しいケースがあります。「もっと効率良く選手たちが動きを習得する方法はないだろうのか」。私が考えたのは「スイングするだけで感覚が分かるバットの開発」でした。   ■試行錯誤重ねて実打可能に 実戦向きのバット スイングした時にバットの重さを感じ、バットを寝かせる感覚が分かれば選手の理解度や習熟度は上がります。また、野球塾に来ていない選手たちのバッティング向上もサポートできると思いました。   「Newton」はヘッドの部分に砂が入っています。この砂がスイングする時に動くため、バットの動きを感じやすくなります。試作の段階で砂の重さや種類を色々と比較して、今のバットが完成しました。スイングする時に耳元で砂が動く音が聞こえるので、正しくバットを振れているのかどうか自分で判断できます。   もう1つの大きな特徴は、実戦向きなところです。砂を入れているので、バットには空洞部分があります。開発の初期段階では、バットの強度が落ちて、ボールを打った時に割れてしまいました。   そこで、バットの素材を変えたり、空洞の直径を調整したりして、バッティング練習ができる強度を追求しました。20本くらい試作を重ねた結果、硬式ボールを使ったティー打撃、軟式ボールであればマシン打撃にも対応できるバットにたどり着きました。   ■選手から大好評 一時は生産追いつかず品切れに バットの長さと重さも実戦にこだわりました。種類は「小学1年生から4年生向け(68センチ、750グラム)」、「小学5年生から中学1年生向け(80センチ、820グラム)」、「中学2年生から成人向け(83センチ、960グラム)」の3つで、どれも試合で使うバットとほぼ同じです。   私たちの野球塾でも「Newton」を使っています。選手たちからは「振っていて気持ち良い」、「力いっぱい振らなくても体を大きく使えている感覚がある」、「砂の音でバットが寝ているかどうか分かる」といった声が上がっています。   一番長いサイズは製造が追いつかず一時は売り切れとなるほど、販売開始から多くの方にご購入いただいています。チームで複数本お買い上げいただき、普段の練習で活用しているという声も届いています。   開発には苦労もありましたが、想像を超える納得のバットに仕上がりました。野球塾や野球教室で子どもたちと接していて一番幸せを感じるのは、上手くできた時のうれしそうな表情を見た時です。「Newton」で子どもたちの笑顔を増やせたらと思っています。バットの詳しい特徴や使い方は動画で公開しているので、興味のある方はご覧ください。

  • 地元・石川県で初の講演 野球でつながる縁に感謝

    ■ 生まれ育った石川県野々市市から基調講演の依頼 私が野球をしてきて良かったと感じていることの1つに「出会い・ご縁」があります。大阪桐蔭高校では遠征が多かったこともあり、全国各地に野球を共通言語にした仲間が増えました。亜細亜大学や東邦ガスでも同様、チームメートだけにとどまらず、所属チームや年齢を超えて様々な人たちと親しくなりました。共通の知人がいたことから話が盛り上がり、距離が縮まったケースも多いです。   2年前に起業してからも、野球を通じた縁に恵まれています。先日初めて経験した基調講演も、その1つです。9月27日、私は生まれ育った石川県野々市市の依頼を受けて、「これまでの野球人生と企業スポーツの支援」をテーマに講演してきました。きっかけは、その3か月前に地元の少年野球チームにバットやグラブを寄贈したことでした。   野々市市で野球を始めていなければ、間違いなく今の私はありません。楽しい思い出や人間的な成長、財産となっている人とのつながりも野球をしていたからです。起業を決めた時、どこかのタイミングで地元や野球界に恩返ししたいと考えていました。   まだ私が経営する会社の規模は大きくありません。ただ、自分にできることから始めていこうと思い、6月に野々市市を訪れて子どもたちに野球用具を手渡しました。その時、野々市市から「機会があったら、今までの経験をお話していただけませんか?」と声をかけていただき、今回の基調講演が実現しました。今後も野々市市をはじめとする石川県で積極的に活動していきたい私にとっては、すごくありがたいお話でした。   ■大阪桐蔭の強さの理由に参加者は興味津々 これまでに取材を受けたり、YouTubeの動画を撮影したりする経験はありますが、講演は初めてでした。地元の企業やスポーツ協会の方々が約100人集まる場で、45分もスピーチできるのか。光栄で楽しみな気持ちがある反面、不安もありました。   まずは、何を話すのか構成を考えました。自分の野球人生を振り返ってメモしていくと、次々に思い出や学びが出てきました。その中から、基調講演の出席者が興味を持ちそうな話題や参考にしてもらえそうなテーマをしぼっていきました。原稿を書いてパワーポイントの資料をつくり、リハーサルしてから本番に臨みました。   本番で心掛けたのは間の取り方です。緊張すると話すスピードが速くなってしまい、一方的に伝える形になってしまいます。しっかり準備できたこともあって、当日は参加者の反応を見る余裕がありました。時間配分も予定通りで、45分の講演と10分の質疑応答を無事に終えられました。   参加した方々の関心が高かったのは大阪桐蔭高校の練習メニューや西谷浩一監督の指導方針、それから選手の体が大きいイメージがあるようで食事に関する質問もありました。私は人一倍きつい練習や寮生活を経験してきたので、その経験が「野球引退後にどのように生きているのか」もたずねられました。   ■ドジャース・大谷翔平選手とのエピソードも披露 その他には、ドジャースでプレーしている大谷翔平選手についての話も反応が良かったです。私は高校2年生のセンバツで初めて甲子園に出場しました。その時に初戦で対戦したのが大谷選手擁する岩手県の花巻東高校でした。試合には勝利したものの、投打で大谷選手のすごさを実感した試合でした。マウンドに立った大谷選手に私はノーヒットに抑えられ、打撃ではライトを守っていた私の頭上を越えるホームランを見せつけられました。   甲子園での対戦は、この一度だけでした。ただ、高校3年生の時に18歳以下の日本代表でチームメートになりました。そこから親交が深まり、大学時代は当時日本ハムに所属していた大谷選手に食事やサプリメントについて聞くために連絡したこともありました。   講演後は全ての参加者と言っても良いくらい、皆さんがご挨拶に来てくださいました。講演の感想をいただいたり、石川県のために力を貸してほしいとお声がけいただいたり、新たな出会いに恵まれる充実した時間でした。講演の依頼をいただいた野々市市や参加していただいた方々には、改めて感謝申し上げます。   講演翌日には、石川県金沢市で小、中学生を対象にした野球指導のイベントを開催しました。石川県での野球イベントは3回目でしたが、今回は募集をかけてわずか1日で定員が埋まりました。できるだけ多くの子どもたちと触れ合いたいので、頻度を増やしていけたらと思っています。   ■石川県に室内練習場の計画 年末は復興イベント 実は今、石川県に室内練習場をつくって、野球塾を運営する計画を進めています。最大のハードルは場所です。室内で硬式ボールを使える場所は、なかなか見つからないんです。雨や雪で練習ができずに悩んでいるチームや選手の声も聞いているので、野球塾の時間以外は一般向けの貸し出しを予定しています。   起業したことで自分のスケジュールを調整しやすくなり、最近は石川県に行く機会を増やしています。12月28日には能登町の「スポーツセンターろくせい」で石川県にゆかりのあるプロ野球選手を招いたイベント「GO能登!野球応援プロジェクト」を開催します。被災地を野球で元気にする目的です。   うれしいことに、基調講演で知り合ったことがきっかけで「GO能登!野球応援プロジェクト」に協賛してくださる企業も現れました。こうやって同じ思いを持った人たちとつながり、輪が広がっていくことが一番の喜びです。   地元への恩返しは一般的に、事業で成功してから行動する人が多いと思います。私も元々、経営者として会社の収益を安定させて、お金や時間にゆとりができてから動き出そうと考えていました。でも、今は事業と地元での活動を同時に進めていく考え方に変わりました。その理由は、いくつかあります。   ■「今を大切に」 地元での活動と事業を同時進行 元日の能登半島地震では、当たり前の日常が奪われました。「そのうち行動しよう」という考え方では、手遅れになって後悔するかもしれません。これまで以上に、「今」を大切にしようと痛感しました。   それから、地元での活動や出会いは仕事の活力にもなります。業績を伸ばせば、それだけ地元に還元できることが増えるわけです。野球用品の寄贈は基調講演につながり、基調講演は野球イベントや室内練習場の計画へと発展しています。今後も石川県の皆さんと交流を広げ、故郷の力になりたいと考えています。   講演は初めての経験でしたが、すごく楽しい時間でした。話し切れなかったエピソードもまだまだあるので、また機会をいただけたらうれしいです。

  • 高校卒業以来初の甲子園 よみがえる聖地の記憶

    ■人生で3度目 甲子園のスタンドで観戦 今回のコラムでは甲子園の話をしたいと思います。今夏、甲子園球場に行きました。高校最後の夏に日本一を達成して以来の訪問です。お目当ては、母校・大阪桐蔭と小松大谷の一戦。実は甲子園のスタンドで観戦するのは人生3回目で、大阪桐蔭の試合を見るのは初めてでした。最初に甲子園で試合を見たのは中学生の時、2回目は高校3年生のセンバツで1回戦に勝った後、2回戦の偵察でした。   高校を卒業してから10年以上経ちましたが、母校の試合結果はずっと気にかけています。私たちの頃と違って、今の大阪桐蔭は「甲子園に出るのは当たり前」という目で見られています。ミスをしたり、相手チームがチャンスをつくったりすると、球場全体が大阪桐蔭にとって“完全アウェー”に変わるとニュースで見ていました。実際の雰囲気を確かめたくて、甲子園を訪れました。   購入したチケットは大阪桐蔭のベンチ上でした。まず感じたのは、スタンドとグラウンドで感覚が全く違ったことです。スタンドにいると、「こんなに見られていたのか」、「応援がものすごい」と驚きました。   もちろん、グラウンドにいる時も声援は聞こえます。スタンドを見る余裕もあったので、「お客さんがたくさん入っているな」と感じながらプレーしていました。ただ、スタンドからプレーを見ている方が声援を大きく感じて、高揚感がありました。高校時代に平常心でよく試合ができていたなと思うくらい、スタンドで体感した声援は迫力がありました。   ■“完全アウェー”を体感 高校球界トップに立った証 振り返ってみると、私たちの時のチームは大半の選手が大阪を中心に関西出身者でした。主力メンバーで遠方から来ていたのは、石川県出身の私と愛媛県出身で現在はロッテに所属している沢田圭佑投手くらいでした。今は全国各地から選手が集まっています。   そして、西谷浩一監督が甲子園の通算勝利数で歴代1位に立っていることからも分かるように、日本中の強豪校が「打倒・大阪桐蔭」を掲げています。私たちの頃は関西出身者でチームが構成され、そこまで絶対的な存在ではなかったため、“完全アウェー”にはならなかったのだと思っています。   今回、甲子園のスタンドで“完全アウェー”の空気を感じたタイミングはありました。ただ、大阪桐蔭は決して“悪役”として見られているわけではありません。良いプレーをすれば拍手が沸きますし、得点した時にもため息が漏れるわけではなく歓声が上がります。   アウェーの雰囲気がつくられるのは、チャンスや得点の場面で起こる声援や歓声が、大阪桐蔭に対してよりも相手チームに向けたものの方が大きいからだと思います。これは、大阪桐蔭が高校球界で確固たる地位を築いた証と言えます。   今の大阪桐蔭の選手たちは、スタンドの声にも動じない心が求められています。高校生にとっては低いハードルではありません。でも、常に日本一を掲げている大阪桐蔭は、あらゆる状況を受け入れて、準備や対策を講じているはずです。今夏の観戦では母校の勝利を見ることはできませんでしたが、次回はスタンドで校歌を歌いたいですね。   ■最も印象深い花巻東戦 大谷翔平選手と対戦 私は主将を務めた2012年の春と夏に甲子園に出場しました。仲間に恵まれて、史上7校目となる春夏連覇を成し遂げました。記憶に残っている試合はいくつかありますが、特に印象深いのは2012年センバツの初戦で対戦した花巻東戦です。開幕日の最後の試合に組まれ、私にとって初めての甲子園で初のナイターでした。   試合中は半分夢の中にいるようにフワフワしていて、試合展開がものすごく早く感じました。後にも先にも体験したことのない感覚でした。最終的には9-2と差を付けて勝利しましたが、5回まで0-2でリードを許す苦しい展開でした。当時は「自分たちは強い」と全く思っていなかったので、「やばい、やばい」とものすごく焦っていました。   その中でも、西谷監督は全く動じず、普段通りでした。ベンチでは「この試合は後半勝負になる。耐えていればチャンスがくる」と繰り返していました。花巻東の先発投手は現在ドジャースに所属する大谷翔平選手でした。実は、大谷選手はけがの影響で岩手大会や東北大会にほとんど登板しないまま、センバツに入っていました。   ぶっつけ本番でも好投できるのが他の選手との違いですが、西谷監督は1試合を投げ切れる体力がないと見ていました。その分析通り、6回にチャンスが訪れます。2つの四球と2本の安打で3点を奪って逆転。さらに、7回に4番・田端良基選手の2ランでリードを広げました。   ■ヒットを打っていれば…出塁は人生の自慢 甲子園初勝利は、これまでにない特別な1勝です。ただ、この試合では1つだけ心残りがあります。野球を辞めて社会人になってからも、大谷選手と対戦した話をする機会があります。その時、必ずと言っていいほど、「ヒットを打ったんですか?」と聞かれます。私は大谷選手にノーヒットに抑えられました。あの時、ヒットを打っていれば…。大谷選手からヒットを打ったと言えるか言えないかで全然違ったという後悔があります。   ヒットは打てませんでしたが、1つ誇れるのは6回に選んだ四球です。私が先頭打者で出塁して、結果的に逆転につながりました。この貴重な出塁は自慢です(笑)。

  • 「弱点が見つからない」 野球人生で出会った「最強打者」

    ■大学1年であきらめたプロ 日本代表の練習で自信喪失  前回のコラムでは甲子園の思い出をお伝えしました。今回のテーマは、私の野球人生で出会った「最強の打者」についてです。   小学2年生で野球を始めてから社会人野球の東邦ガスで現役を退くまで、私は何百、何千の選手を見てきました。プロ野球選手になった選手も数多くいます。中学時代に所属していた石川県の白山能美ボーイズでは、現在DeNAに所属する京田陽太選手が同学年のチームメートでした。亜細亜大学では阪神の木浪聖也選手が同級生です。   大阪桐蔭高校では、米国でプレーしている藤浪晋太郎投手やロッテの澤田圭佑投手が同級生でした。高校3年生の時に選出された日本代表のチームメートには、ドジャースの大谷翔平選手もいました。   私は大学1年生まで、プロ野球選手を目指していました。しかし、ある出来事から夢をあきらめました。それは、日米野球の大学日本代表に選ばれた際の練習です。当時はバッティングに絶対の自信を持っていましたが、2人の選手のフリー打撃を見て愕然としました。   その2人は、ソフトバンクの山川穂高選手とレッドソックスの吉田正尚選手です。スイングスピード、飛距離、ミート全てにおいて格が違いました。吉田選手は私より体が小さいのに、逆方向に柵越えを連発していました。   ■山川選手と吉田選手を超える驚き 「最強打者」は大阪桐蔭の後輩  私は足が速いわけでも、肩が強いわけでもなかったので、プロで活躍するにはバッティングしかないと考えていました。ところが、山川選手や吉田選手とは勝負できるレベルにないと痛感しました。この時、所属していた亜細亜大学での残り3年間はチームの勝利のために全てを尽くそうと決めました。   山川選手と吉田選手は学年が上という要素を差し引いても、私のバッティングでは到底及びません。ただ、この2人以上にすごいと感じた「最強打者」がいます。今までに出会った中で最もすごかった選手を問われたら、私は迷わず「森友哉」の名前を挙げます。   1学年下の森選手は、大阪桐蔭に入学してきた当初からバットの芯で捉える技術が突出していました。芯を外すことはほとんどありませんでした。今振り返ると、タイミングの取り方が上手かったと感じています。   打球の音も1人だけ異次元でした。チームには色んなメーカーの金属バットがあるので、それぞれ音に特徴がありました。でも、森選手だけは、どのバットを使ってもみんなと音が違うんです。金属バットの音ではない、パカーンという聞いたことのない音がグラウンドに響いていました。   ■「弱点が分からない」 森選手にだけ感じたすごさ 練習では、どの選手も自分のバットを使います。ところが、森選手は「バット借りま~す」と先輩に声をかけ、バッティング練習で自分のバットを使っていませんでした。それでも、シート打撃で2打席、3打席連続でホームラン。森選手にはバットの長さや重さは関係ありませんでした。   私が森選手に感じた一番のすごさは「弱点がなく、調子の浮き沈みが小さいところ」です。同じチームでプレーして距離が近くなると、味方の弱点が分かります。日本代表のように一緒に過ごす期間が短くても、普段は対戦して怖さを感じる打者の苦手な球種やコースが見えてきます。同じチームになると、どんなすごい打者でも怖さがなくなるんです。   私は高校、大学、社会人、さらには選抜チームや日本代表で、後にプロ入りした多くの選手とともにプレーしました。その中で、森選手だけは最後まで弱点が分かりませんでした。高校時代は打率だけは負けない思いで練習し、大会によっては森選手の数字を上回った時もありましたが、バッティング技術という面では全く届かなかったですね。   森選手と自分の差を感じたエピソードには「情報共有」があります。大阪桐蔭では、打席で目にした相手投手の投球について選手同士が情報を共有します。当時、森選手の打順は1番で、私は3番でした。森選手がヒットで出塁すると、コーチャーを通じて森選手が打席で感じた印象が私に伝えられました。   ■「球が全然きていない」 森選手の言葉を信じたら凡退 他の選手からは、「真っ直ぐが手元で伸びて、球速表示より速く感じる」、「スライダーの曲がりが小さくてカットボールに近い」といった細かい情報が入ってきます。しかし、森選手からの情報は、いつも同じ内容でした。「真っ直ぐは全然きていません」、「変化球も問題なく見えます」。森選手の言葉を信じて打席に入った結果、真っ直ぐに差し込まれて凡退した時もありました。   森選手からは、相手投手を警戒する言葉を聞いたことはないですね。高校時代は、ずっと「球がきていない」感覚で打席に立っていたのだと思います。   森選手は野球の才能が突出していたのは間違いありません。ただ、その能力に胡坐(あぐら)をかいていたわけではなく、しっかり練習もしていました。自主練習を人一倍やるよりも、全体練習でいかにパフォーマンスを上げていくかを考えながら動いていた印象です。   森選手を含み、大阪桐蔭からは毎年のようにプロ野球選手が誕生しています。チーム内競争が激しい大阪桐蔭では、プロに行けるレベルの選手を目指して練習するので自然と個々の力が上がります。当たり前の基準が高くなっていくわけです。そこに、毎年選手が入れ替わっていく中でも安定した成績を残せている理由があると考えています。

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