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- 大谷翔平投手は4位 打席で絶句…衝撃を受けた投手ベスト5
■現在は日米で活躍 アマ時代から別格だった5人の投手 ありがいことに、最近は取材を受けたり、講演の依頼を受けたりする機会が増えています。Ring Matchの事業や引退後のネクストキャリアの歩み方に加えて、現役時代のエピソードを披露する場も多く、選手だった頃を思い返しています。 そこで、今回のコラムでは私が現役の時に対戦した投手の中で、特に驚かされた印象深い選手をランキング形式で発表します。名前を挙げたい投手は多数いますが、5人に絞りました。5位から1位まで、理由とあわせてお伝えします。 【5位:九里亜蓮投手(オリックス)】 亜細亜大学で3学年上の先輩でした。シートバッティングや紅白戦で何度も対戦した投手です。チームには当時、山﨑康晃投手、薮田和樹投手、大下佑馬投手と後にプロ入りする先輩がいました。球速や球威、変化球の切れなど球自体は、この3投手の方が九里投手より上でした。 ブルペンで見る限りは、九里投手を攻略できそうに感じます。ところが、コントロールが抜群でした。球1つ分の出し入れができる投手で、自分のスイングをさせてもらえません。私は打席の中で遊ばれていました。 【4位:大谷翔平投手(ドジャース)】 高校3年生になるタイミングの春の選抜高校野球大会の初戦で、大谷投手擁する花巻東と対戦しました。大谷投手は万全とは言えないコンディションでセンバツのマウンドに立っていましたが、私はノーヒットに封じられました。 大谷投手は長身から投げ下ろすので、リリースからベースに届くまでが近く感じます。高校生で150キロを超えるストレートを投げる投手との対戦は少ない上、角度のある球に苦戦しました。また、高校生では珍しく、落ちる球で空振りを狙うだけではなく、カウントを取る上手さもありました。 大谷投手とは高校日本代表でチームメートとなり、一緒にキャッチボールをしていました。前置きなしに突然スローカーブを混ぜてくることがありましたが、ストレートと真逆のきれいな回転をしていました。球を自在に操る器用さを感じましたね。 【3位:有原航平投手(ソフトバンク)】 大学は違いましたが、2学年上の有原投手とは大学日本代表の選考会で一緒になりました。対戦したのは紅白戦の1打席だけでしたが、その時の衝撃を今もはっきりと覚えています。 有原投手は当時から最速150キロを超えるストレートに威力がありました。ストレートを待っている打者に対しても力で圧倒する球威です。驚いたのは、そのストレートがカットボールのようにナチュラルに変化するんです。150キロを超える投球が打者の手元で動いていたら、お手上げです。 【2位:今永昇太投手(カブス)】 1学年上で駒澤大学の今永投手とは大学時代にリーグ戦で3年間、対戦しました。ストレートの質が別格でした。手元で伸びてホップするように見えます。今永投手は左打者に対して、基本的にストレートとスライダーしか投じませんでした。 球種が2つだけなら、どちらかに絞って対応できそうですが、ほとんど打った記憶がありません。ストレートには差し込まれてしまいますし、ストレートを狙ってポイントを前にするとスライダーで泳がされました。翻弄され続けた3年間でしたね。 【1位:山﨑福也投手(日本ハム)】 大学のオープン戦で、よく対戦しました。山﨑投手は私より学年が2つ上で、明治大学出身です。衝撃を受けたのはプロでも代名詞となっている「カーブ」。左打者の私からは、山﨑投手のカーブが頭に当たりそうなところからストライクゾーンに落ちてくるように見えました。 ベンチから見ていると、そこまで落差が大きく感じません。ところが、打席に入ると恐怖を感じるほどの変化でした。カーブを意識しすぎるとストレートに振り遅れてしまうので、ストレートを待ちながらカーブに対応する必要があります。打席では引っ張る考えを捨てて、逆方向に打つ形で対策しました。投球が頭の方に向かってきて、カーブではなくてストレートだった時は死球でも構わないという気持ちで打席に入っていましたね。 私が野球人生で対戦して印象に残っている投手ベスト5は、いかがでしたか?高校や大学で対戦した頃と、どの投手もイメージは大きく変わっていません。それぞれタイプは異なりますが、学生時代の武器がプロでも長所になっていると感じます。学生時代は打ち取られた悔しさでいっぱいでしたが、プロで活躍している姿を見ると、今は対戦できたことが誇らしいです。
- 野球経験はアドバンテージ 企業が求める人材の共通点とは
■野球経験者に特化した人材紹介 求職者も企業も登録が増加 Ring Matchは5月から3期目に突入しました。2期目の重点に置いていた「野球経験者に特化した人材紹介」は、ITコンサルティング会社で勤務経験のある執行役員の小林満平を中心に据えたことで仕組みが整い、事業を拡大しています。 求職の登録者は北海道から沖縄まで、お取引きいただいている企業は北海道から九州まで広がりました。数多くの求職者が入社に至り、企業側からも「素晴らしい人材をご紹介いただきありがとうございます」と感謝の言葉が届いています。まだまだ「やりたいこと」や「できること」がたくさんあるので現状に満足していませんが、成果が出ていることへの充実感があります。 Ring Matchの人材事業では、野球経験のある求職者が活躍できる場と野球経験者を必要としている企業をマッチさせるサポートをしています。サービスに登録いただいた求職者とは面談、エントリーシートや面接対策などで就職・転職を支援し、企業側にはどのような人材を求めているのかヒアリングします。 企業の経営者や採用担当者と話していると、野球経験者のニーズが高いと改めて感じます。野球部に所属していた社員が社内で結果を出していたり、野球経験者に好印象を持っていたりする企業は多いと実感しています。 人材紹介事業の中心を担う執行役員の小林(左)と打ち合わせ ■企業が求める人材の共通点 コミュニケーション能力とは? 中には、高校や大学でレギュラーになれなかった人材や、甲子園出場の目標がかなわなかった人材を好む企業もあります。野球で成功できなかった経験が社会人になってからのハングリー精神につながると判断しているそうです。 業種を問わず、企業が求めている人材には共通点があります。それは「コミュニケーション能力」です。この能力が高い求職者は、いくつもの企業から内定を得ています。 コミュニケーション能力と聞くと、雄弁さや話術をイメージする人がいるかもしれません。しかし、話し上手である必要はありません。時に、話し過ぎることはマイナスに働きます。私が考えるビジネスにおける主なコミュニケーション能力は以下の3点です。この力が企業との面接でも問われます。 ・質問に対して的確に回答する力 ・相手が求める回答の範囲を察する力 ・伝えたい内容に合わせた声のトーン ■企業が評価する課題解決能力 野球経験者にアドバンテージ 例えば、どれだけ詳しい知識を持っていても、相手が知りたい内容とずれていたり、必要以上に説明したりすると、会話の質は低くなります。相手が今、何を知りたいのか、どこまでの回答を希望しているのかを把握して話す力こそが、ビジネスで求められるコミュニケーション能力だと私は考えています。相手の気持ちや考えを想像する力と重なるかもしれません。 コミュニケーション能力が高い求職者は、学歴や職歴で他の受験者より見劣りしても、エントリーシートを通過して面接まで進めば企業の評価を逆転できます。採用後に企業の力になれるのは書類上の肩書きよりも、社内外で生きる能力を持っているかどうかですからね。 コミュニケーション能力は心掛けや練習で誰でも向上します。私たちの会社では求職者が面接で不採用となった際、企業側からフィードバックを受け取っています。求職者が自分の課題を知り、解決する方法を明確にして改善するためです。一度上手くいかなかったら、就職・転職活動は終わるわけではありません。課題を克服できれば、次の企業で内定を得る確率を高められます。 こうした課題解決能力は入社後も大切になります。そして、野球経験者にはアドバンテージがあると私は思っています。野球は失敗のスポーツです。一流打者の証は打率3割と言われており、7割は失敗するわけです。先発投手は防御率3点台で合格点が与えられ、好投手でも安打を許して失点もします。 求職者に紹介する企業の選択肢を増やすことも私の役割の1つです ■野球部では控え選手 転職で年収150万円以上アップに成功 この失敗の確率を少しでも下げるために、選手はフォームを見直したり、練習メニューを考えたり、相手を分析したりするわけです。野球経験者には試行錯誤して課題に粘り強く取り組む習慣が身に付いています。仕事も上手くいくことばかりではないので、野球で培った経験や能力は社会人になってからも必ず財産になります。 最近入社が決まった求職者の中にも、企業から「解決策を見出す力に長けている」と評価されたケースがあります。その求職者は甲子園常連校でレギュラーにはなれなかったものの、ベンチ入りしていました。チームに何が足りないのか、自分がどんな役割を担えばベンチに入れるのかを常に考えていたそうです。複数の企業から内定をもらって最も希望に合った企業を選び、年収は前職から150万円以上アップしました。 一方、野球の経験を就職・転職活動や就職後に生かせていない人にも共通点があります。それは、「野球以外の知識や交流が極端に少ないこと」です。野球部に所属していると野球以外の時間は決して多くないと思います。それでも、時間はつくれます。世の中にはどんな仕事があるのか、自分はどんな仕事にワクワクするのかなど、インターネットや書籍で情報に触れたり、野球とは関係のない人から話を聞いたりするだけで全く違います。 新しく何かを知るためには時間や労力がかかります。しかし、それを避けて何となく業界や企業を選んでしまうと、結果的にイメージとのギャップを感じて不満が大きくなります。就職・転職活動が上手くいっていない野球経験者は、野球+αの意識を持ってみてください。現状に変化が生まれるはずです。それから、Ring Matchにご相談ください。自分の長所を生かして輝ける企業を一緒に見つけましょう。
- “日本一厳しい”亜細亜大学の野球部 社会に出て生きた金言
■「基準が違う」 入寮初日に痛感した厳しさ 新年度を迎えました。新生活が始まった方、入学式を終えたばかりの方も多いと思います。今回のコラムでは、私の大学時代について書いていきます。 私が卒業した亜細亜大学は「日本一厳しい野球部」とも言われています。4年間過ごした卒業生としては、「間違いなく日本一厳しい」と断言できます。 実は入学が決まるまで、私は亜細亜大学硬式野球部について何の情報も持っていませんでした。私の母校、大阪桐蔭高校は寮生活で携帯電話が認められていなかったので、情報に触れる機会が極端に少なかったんです。当時は東京六大学と東都の違いやリーグが一部と二部に分かれていることさえ把握していませんでした。 亜細亜大学への入学が決まり、その厳しさを知る人たちからは「よく自分から、あんなに厳しい環境を選んだな」と言われました。その時は、「そうか、厳しいのか」くらいに軽く考えていました。 亜細亜大学の厳しさは入寮初日に知りました。全体練習後に自主練習でマシン打撃を勧められ、30分ほどバットを振っていました。そろそろ終わりかなと思っても、なかなか終了の声がかかりません。結局、休憩なく1時間半打ち続けました。高校までとは基準が全く違うと痛感しましたね。 亜細亜大学時代にプレーした思い出の地・神宮球場 ■1日の半分は野球 量も質も「日本一の練習」 練習は量も質も桁違いでした。野球部員は他の生徒よりも授業のコマ数が少なく、平日でも丸一日練習するケースが多いんです。練習は朝6時から始まります。7時まで練習して朝礼や朝食、生田勉監督のミーティングを終えて、午前9時半に全体練習がスタートします。午後3時までチーム全体で練習し、そこから自主練習に入ります。夜8時頃まで自主練習するので、1日のうち半分は野球をしている感覚です。 自主練習は文字通り、何時までやるのか、何をやるのか自分で決められます。周りの選手が夜まで練習するので、全員がやらざるを得ない雰囲気です。場所はグラウンドもウエイト場もどこでも使えます。ただ、グラウンドにいる監督やコーチにアピールできるように、指導者が見えるところで打撃や守備の練習をしている選手が多いです。 練習は量だけではなく、質も追求しています。例えば盗塁の練習では、走者をしていない周りの選手も指をさしながら、「バック」、「ゴー」と大きな声を出します。守備や走塁はもちろん、声出しでも誰かがミスするとチーム全体の責任となり、グラウンドを走るなどペナルティが課せられます。 これは、入部したばかりの1年生がミスしても例外ではありません。部員は1学年30人前後いるので全体で100人を超える大所帯です。これだけたくさんの部員がいるとどこかで気を緩められそうですが、練習中は常にピリピリして緊張感がものすごかったです。 ■課題を翌日に持ち越さない ミスは連帯責任 試合でのミスも連帯責任でした。1人の選手がバントを失敗したら、試合が終わってからグラウンドに戻って全員でバント練習します。夜に2時間バントだけ練習した時もありました。亜細亜大学では「課題が見つかったら、その日のうちに潰す」が口癖になっていました。 バント練習をした翌日の試合でバントのサインが出た選手は、失敗する怖さと戦います。自分がミスしたらチームメートを巻き込んでしまうので責任重大です。でも、そのプレッシャーに勝てる選手にならないといけないんです。 リーグ戦で相手に勝ち点を取られた時は地獄でしたね。1日に2、3試合を戦ってからグラウンドに戻って、真っ暗な中で全体練習が始まります。試合に勝つか負けるかは雲泥の差。とにかく負けたくない気持ちで必死でした。 亜細亜の厳しさは伝統として根付いています。「戦国リーグ」と言われる東都で何度も優勝し、プロで活躍する選手も多数輩出しているのは、日本一厳しい練習があるからだと思っています。 亜細亜大学4年生でキャプテンを経験 ■寮でも緊張感 監督の言葉には生きるヒント 下級生の頃はグラウンドだけではなく、寮でもずっと緊張感を保っていました。寮の部屋は各学年1人ずつの4人部屋です。上下関係がきっちりとしていて、1年生の役割はたくさんあります。 まずは、起床です。1年生が一番に起きて、先輩たちを起こします。寝坊は絶対にできないので深い眠りにはつけません。朝のルーティーンにはごみ捨てや部屋の掃除などがあり、寮に放送が流れた時はすぐに部屋の外に出て内容を聞き取って先輩たちに伝えます。放送はミーティング時間の連絡をはじめ、監督やコーチ、選手から様々な内容があります。大阪桐蔭高校でも寮生活でしたが、同級生の3人部屋なので部屋にいる時は気持ちが休まりました。 グラウンドも寮も厳しい環境で毎日を過ごしていましたが、野球部を辞めようとは一度も思いませんでした。それは、野球の技術以上に人生に生きる学びが多かったからです。 私の土台は亜細亜大学で築かれたと考えています。生田監督のミーティングには生きるヒントが詰まっていました。例えば、会食に行った時は相手を観察したり、何気ない雑談をしたりして好みを知るように教わりました。どんなお酒が好きなのか、どんなブランドを身に着けているのかを把握しておくことで、相手と盛り上がる会話や喜ぶプレゼントを準備できます。 ■社会に出て実感 怒ってもらうありがたみ 相手の情報がないままお金や時間を使っても、有難迷惑になってしまう可能性があります。どんなにおいしいワインをプレゼントしても、相手がダイエット期間で禁酒していたら歓迎されませんよね。野球でもチームメートの特徴や考え方を知った上で付き合っていけば、信頼関係は深まります。生田監督には野球を通じて、社会で生きる金言をたくさんいただきました。 私は4年生でキャプテンを務めたので、生田監督と接する機会に恵まれました。監督室に呼ばれて、唐突に「きょうは、どんな練習をするんだ?」と問われたこともありました。普段とは違う質問をされるのは、いつもの流れとは違う練習を望んでいるためです。私は、その狙いを予測しながら練習メニューを提案しました。 生田監督は最終的に、質問や発言の意図をしっかりと話してくれました。「なぜ、あの場面で、この言葉を選んだのか」など、常に学びながら実践していました。時には厳しく怒られましたが、理由を説明してもらえるので嫌ではありませんでした。 大学を卒業してから、怒ってくれる存在へのありがたみを実感します。特に今、事業の柱で「野球経験者に特化した就職・転職サービス」を展開する中で、先輩や上司から怒られずに会社から評価される社会人が多いと感じます。改善点や反省点は指摘されないと分かりません。何も言われずに評価を下げられるのは理不尽ですし、働くモチベーションを失いかねません。
- 甲子園春夏連覇 大阪桐蔭の元主将が起業したワケ
春夏2連覇を成し遂げた甲子園球場 ■26歳で現役引退 2023年5月に「Ring MATCH」起業 株式会社「Ring MATCH(リングマッチ)」の代表・水本弦です。今月からコラムをスタートします。私の人生に不可欠な「野球」をテーマに、私の考えや経験をお伝えしていきます。現在野球をしている選手や保護者、野球経験のある社会人、野球観戦が趣味の人たち、「野球」をキーワードに皆さんとつながったり、参考になるお話をお届けしたりできればと思っています。 まずは自己紹介です。私は石川県野々市市で生まれ育ち、小学2年生で野球を始めました。高校は大阪桐蔭高校に進学。指導者やチームメートに恵まれ、主将を務めた3年生の時に甲子園で春夏連覇を成し遂げました。高校では藤浪晋太郎投手が同級生、森友哉捕手が1学年下の後輩でした。 高校卒業後は亜細亜大学、東邦ガスで野球を続けました。怪我の影響もあって26歳で現役を引退。野球部を離れてからも東邦ガスで2年ほど社業に専念してから独立し、名古屋市に「Ring MATCH」を起業しました。会社は2024年5月から2期目に入っています。 起業した理由はいくつかあります。その中で最も大きかったのは、東邦ガスでの会社員の経験でした。野球部に所属した時は午前中に営業マン、午後から野球部員という生活でした。ユニホームを脱いでからはガス管の工事を手配したり、施工を管理したりする部署に異動して社業に専念しました。 ■会社員生活で「適材適所」痛感 野球人の就職・転職支援を決意 営業の仕事は自分に合っていて、勤務時間が短いながらも一定の成果を出せていました。ところが、土木や理系の知識が全くない私は、工事や施工管理の業務で全く力になれませんでした。周りへの申し訳なさが大きくなると同時に、「野球と同じで、仕事にも適材適所がある」と強く感じました。 野球をしていた頃は明確な目標を持ち、苦しさの中にも充実感や達成感を抱いていたにもかかわらず、社会に出たら自分と同じように居場所を見つけられない人は多いのではないか。野球人には引退後も輝ける場所、情熱を注ぐ仕事と出会ってほしい。そうした思いから、「野球経験者に特化した人材支援事業」をやりたいと考えました。 弊社では就職や転職を希望する野球経験者と、野球経験者の採用を希望する企業の橋渡しをしています。社名の「リングマッチ」には、それぞれがふさわしい「リング(土俵)」で活躍できる企業と「マッチ」させる意味を込めています。 その他にも、「野球塾の運営」や「バットの開発・販売」といった野球関連の事業を展開しています。選手を退いてからも野球と深く関わっているのは、野球を通じて広がった人脈や野球で得た経験が大きいです。野球をして過ごした時間は技術の向上や勝利だけではなく、社会に出てからも財産になっています。野球に育ててもらった1人として、その魅力をコラムでも発信していきたいと思います。
- 変化する高校野球 活躍できる選手が増える可能性に期待
3月に甲子園で開催された第97回選抜高校野球大会 ■投手層の厚さや分業制が加速 甲子園で勝ち上がるカギ 3月から野球専門サイト「Full-Count」さまや「First-Pitch」さまでコラム寄稿の機会をいただいていることもあり、最近は「コラム読んでいます」と声をかけられる頻度が高くなっています。ご覧いただき、ありがとうございます。今回のコラムでは、私たちの時代とは大きく変化している高校野球についてつづります。 横浜高校の優勝で幕を下ろした今春の選抜高校野球大会では、第3、第4投手の重要性が高まっていると感じました。今から10数年前になりますが、私が大阪桐蔭高校でプレーしていた頃は大黒柱となるエースが全ての試合に先発するのが一般的でした。多くても二本柱と呼ばれる2人の投手がいて、交互に先発する形でした。当時の大阪桐蔭であれば、藤浪晋太郎投手(現:マリナーズ傘下3Aタコマ)と澤田圭佑投手(現:ロッテ)の2人以外は甲子園で登板していません。 ところが、近年は3人の投手で1試合を継投したり、エースナンバーの投手が守護神のような形で終盤から登場したりするチームが増えている印象です。今春のセンバツでも、横浜は背番号10の織田翔希投手が先発し、背番号1の奥村頼人投手につなぐ継投を必勝パターンとしていました。さらに、試合展開や相手打者を見て、2ケタの背番号をつけた投手がワンポイントや短いイニングで起用されていました。 ■数多くの選手が活躍する可能性 特徴生かしたチームづくり 連覇を狙って準決勝で敗れた健大高崎も、エース石垣元気投手が大会直前に脇腹を痛めた影響があったとは言え、本格派右腕の下重賢慎投手と技巧派左腕の山田遼太投手が相手チームに合わせて先発を任されていました。準々決勝の花巻東戦で好投した山田投手は変化球が多彩でタイミングやバットの芯を外すのが上手く、フルスイングする花巻東と相性が良いと感じました。 私は中学生まで投手をしていました。全国大会で完全試合をした投球が大阪桐蔭・西谷浩一監督の目に留まるきっかけでした。藤浪投手と澤田投手には遠く及ばなかったので、高校入学後は外野手専任になりましたが、今の時代であれば投手の練習をして、マウンドに立つ機会があったのではないかと思っています。ともに右投手だった藤浪投手や澤田投手の剛速球にタイミングを合わせていた打者が、私のように球速で勝負するタイプではない左投手の球に対応するのは大変です。ワンポイントで戦力になれたのではないかと想像しています。 高校野球は球数制限が設けられたこともあって、投手の分業制が進んでいます。エースが全試合で先発、完投するかつての戦い方は現実的ではありません。私は個人的に分業制に賛成です。数多くの投手が輝くチャンスが広がりますし、自分の役割も見えやすくなります。たとえスピードがなくても、コントロール抜群の投手、特定の変化球を武器にする投手、けん制やクイックに長けた投手など、個々の特徴を生かしたチームづくりができます。打者目線では、複数投手と対戦は対応する難しさを感じます。 これは野手も同じです。足が速い、小技が上手い、球際に強い、肩が強いといった個性を磨いて活躍する選手が増えてほしいですね。野球に限らず他の競技、さらには企業でも同じタイプばかり集まるよりも、様々な特徴を持った人が長所を発揮できるチームや組織の方が戦い方は増えますし、魅力的です。 今春のセンバツは横浜が智弁和歌山を下して優勝 ■フィジカル強化orスモールベースボール 低反発バットで二極化 もう1つ、私たちの時代と高校野球が大きく変化しているところは「低反発バットの導入」です。私も実際に低反発バットを使った経験があります。感覚的に、バットの芯で捉えた打球は今までの金属バットとほとんど違いはありません。ただ、詰まった時は打球の初速が遅く、飛距離も出ません。投球を弾き返すのではなく、バットで吸収するような感触があります。 低反発バットによって打球が全体的に飛ばなくなり、多くのチームが外野のポジションをかなり浅くしています。安打1本で二塁走者が還ってくるのが難しくなりました。 バットが代われば野球も変化します。打球が飛ばなくなったことで、打撃方針の二極化が加速している印象を受けています。低反発でも飛距離を出せるようにフィジカルを徹底的に強化するのか、機動力や小技を生かすのか、チーム方針が今まで以上にはっきりしてきたと感じます。どちらが正解というわけではなく、選手の体格や特徴に合わせたチームづくりが勝利に近づくと思っています。
- 学生から一変する社会人野球 社業の挫折で学んだ適材適所の重要性
■亜細亜大学から東邦ガスへ入社 将来の監督に期待 前回のコラムでは亜細亜大学時代の「日本一厳しい環境」と、社会人につながった学びについてお届けしました。今回は、意外と聞く機会が少ない社会人野球のお話をしていきます。 4月は新社会人としてスタートを切る時期です。私は2017年に亜細亜大学卒業し、東邦ガスに入社して硬式野球部に入りました。東邦ガスの硬式野球部は名古屋市を拠点としています。 社会人野球の進路は東邦ガス一本でした。亜細亜大学の生田勉監督から入社を勧められました。私は石川県出身で、高校は大阪、大学は東京で過ごしました。全ての地区に行きやすい中間地点が愛知県だったことや、会社自体に学閥がなく自分の頑張りや結果次第で昇格できるところなどが私に合っていると生田監督から説明を受けました。 就職先を決める面談で初めて、私は生田監督から褒められました。監督からは「お前を選手としても人間としても一番良い人材だと思っている。そんな人間を送り出すので、東邦ガスの監督には『将来的に水本に監督をやらせてほしい』と伝えている」と言っていただきました。初めて褒められたうれしさ以上に、そんなに高く評価していただいたことにびっくりした記憶が残っています。 ■自由度の高い社会人野球 時間の使い方や考え方に変化 社会人野球はチームによって仕事と野球のバランスが異なります。東邦ガスの場合、朝から昼頃まで仕事をして、午後1時半頃から練習でした。午後4時頃まで全体練習で、その後は自主練習になります。土曜日に試合が入って、日曜日はオフになるケースが多かったです。ただ、都市対抗野球や日本選手権といった大きな大会前は強化練習に入り、会社に出勤せず野球に専念します。 前回のコラムで書いた亜細亜大学とは違って、自主練習の時間は長くありませんでした。私もそうでしたが、全体練習が終わったら帰宅する選手も多いです。社会人時代は疲れがたまっていない状態で過ごせていたので、体が軽すぎると感じる時もありましたね。 全体練習は各自でウォーミングアップをしてから、キャッチボール、ノック、フリー打撃をします。高校や大学のように走者をつけたノックや打撃練習はしません。社会人野球は自由度が高く、選手に任される部分が大きくなります。学生の頃は指導者から「こういう風に打て」と指摘されますが、社会人野球では「こういう風な動きになっているから、自分で確認してみて」とヒントをもらうイメージです。 高校や大学の時と比べて年齢的に体に無理が利かなくなってくることもあって、社会人野球は大まかに言うと量より質にこだわった時間の使い方にシフトします。バットを振る量を減らす分、スイングの映像を見たり、相手投手の分析をしたりして結果を出す方法を考えます。 社会人野球では東邦ガスで5年間プレー ■けがで苦しんだ4年間 5年目に自己最高の成績残して引退 私が全体練習後に自主練習しなかったのも、効率良く時間を使うための一環でした。自主練習のメインとなるウエイトトレーニングは毎朝の出勤前に済ませ、全体練習が終わったら将来を見据えてビジネスの勉強をしていました。当時、プロになる夢はあきらめていて、東邦ガスで野球部の監督に就くのか、野球を引退したら起業するのか、どちらかの道を考えていました。 東邦ガスでのモチベーションは、シーズンを通してチームに貢献することでした。私は入部してから3年連続でけがをしています。肺に穴が開いたり、試合中のタッチプレーで膝を痛めたり、避けるのが難しい故障もありました。3年目に膝を手術して4年目はリハビリで1年が終わってしまい、5年目は必ず復活すると強い決意を持っていました。 5年目は今までで一番の成績を残し、自分の中で納得できました。都市対抗野球の出場を最後に、現役引退を決めました。東邦ガスを勧めてくれた生田監督には電話で引退を報告しました。自分からユニホームを脱ぐ決断に反対されたり、怒られたりすると予想していましたが、「思ったよりも早かったが、よく頑張ったな。お疲れさま」とねぎらっていただきました。 野球部員は選手を退くと、他の社員と同じように社業に専念します。私は現役時代、営業部に所属していましたが、引退のタイミングでガス設備の担当に変わりました。東邦ガスが分社化された時期で、営業部門と導管部門に分かれました。私は導管部門が入る東邦ガスネットワークという分社化した会社に出向する形となりました。 ■営業からガス設備に異動 力を発揮できる場所求めて退社 営業担当だった頃は、業務時間が限られる中で一定の成果を残せていました。しかし、異動したガス設備の部署では全く戦力になれませんでした。会社への申し訳なさや自分に合った環境で働きたい気持ちが強くなり、起業を決めました。 入社する際、将来的に野球部の監督をする期待をかけられていたため、心苦しさはありました。ただ、東邦ガスで監督に就くには社内での昇格も必要で、年齢的には最短で30代半ばになります。私が現役を引退したのは26歳。会社に10年間残るよりも、退社して新たな道を選びました。 東邦ガスでプレーできた期間は短かったですが、得るものは多かったです。特に、社会人野球で長く活躍する選手の準備や自己管理の徹底を間近に見られたことと、仕事には向き不向きな業務があると実感できたことは今につながっています。 社会人野球で長くプレーしている選手は自らを知り尽くしています。スパイクを履く時期といった細かい年間スケジュールも含めて、自分に合った調整法を確立しています。年齢による体の変化も敏感に感じ取り、臨機応変にメニューを組み替える引き出しも多いです。学生のように卒業というゴールが決まっていない中で、体も心も整えて高いパフォーマンスを維持するのは、野球の技術だけではない要素も求められると感じました。 Ring Mattch設立後も野球をきっかけにした出会いに恵まれています ■野球経験者の引退後 成功のカギは企業とのマッチング サラリーマンを経験できたのも貴重でした。野球部員は引退後、大半が営業職に就きます。社内の営業成績上位者は野球部出身が占めていました。私も自分が営業には向いていると思っていました。一方、ガス設備の業務は土木や理系の知識が問われ、全く力になれませんでした。 野球も同じですが、仕事にもそれぞれに向いているポジションや役割があります。適材適所とよく言われますが、誰にも得意、不得意な分野があります。現在、弊社で進めている「野球経験者に特化した人材紹介」の事業でも、せっかくの能力が生かせていないと感じる求職者が多いです。 マッチングが上手くいけば、働く人も雇用する企業も幸せなのは間違いありません。これからも、野球経験者がネクストキャリアで輝ける場をサポートしていきたいと考えています。
- 見据えるのは高校卒業後 個々を輝かせる西谷監督の進路相談
■「会社でレギュラーに」 将来考えた選手育成 前回のコラムでは甲子園をテーマにしました。今回は私の恩師、大阪桐蔭高校野球部の西谷浩一監督についてお届けします。 現在開催中の選抜高校野球大会には残念ながら出場していませんが、大阪桐蔭は毎年、日本一を本気で目指して練習しています。西谷先生は誰よりも勝利に貪欲で、頭の中は野球でいっぱいなのが分かります。寝ている間も野球のことを考えているのではないかと思うくらいです。勝利の確率を高めるため、試合に臨む前にあらゆる準備を整えます。 ただ、西谷先生は勝利を追求しながらも、甲子園出場や全国制覇をゴールにしていません。主将の私と副主将は練習後、西谷先生に時々呼ばれました。その時、「高校卒業後どこのチームに行っても、みんなが主将になれるようなチームをつくりなさい」と言われていました。 選手全員を集めた場では、「レギュラーの選手もメンバー外の選手も、就職した会社でレギュラーになれる人間を目指して野球に取り組みなさい」とおっしゃっていました。西谷先生は常に高校野球の先を見据えて選手と接していました。技術的な指導よりも、周りから必要とされる人間を育てる指導が根底にありました。 ■勝てる土俵で勝負する 西谷監督の考え方は弊社の事業と共通 目の前の勝利以上に選手の将来を大切にしていたからこそ、進路選択にも本気で向き合ってくれる指導者でした。西谷先生は大学野球や社会人野球の情報も豊富に持っています。私が亜細亜大学でプレーしていた頃、亜細亜大学が所属している東都大学野球の話題になり、各大学の選手に詳しくて驚いた記憶があります。 大学の主要リーグの選手、チーム方針や練習環境などに西谷先生が詳しいのは、私たち教え子がどこの大学に進めば活躍できるのかを見極めるためです。例えば大阪桐蔭でセカンドのレギュラーだった選手の進路を考える時、本人が希望する地域のリーグでレギュラーとして出場しているセカンドの能力と特徴を分析します。 チームのスタイルや4年生が占めている割合などもチェックして、入学して早い時期から試合に出られる確率が高い大学を探します。セカンドのレギュラーが2年生でチームの柱となる能力のある選手がいる大学は、入学しても出場機会が少なくなってしまいます。西谷先生には選手が次のステージでも活躍してほしい思いがあるので、教え子の大学入学後をイメージして進路相談を進めています。 選手が輝ける場所を見つける考え方は、私たちの会社が進める「野球経験者に特化した人材紹介」の事業と重なります。誰もが得意、不得意な分野があり、それぞれが長所を生かして勝てる土俵に立てば活躍できる確率はグッと高められます。 チームで唯一無二の存在と言える限られた選手や会社員を除き、主力になれるかどうかは選択する大学や企業によって変わります。左打者が右打者を必要としている大学を選んだり、長打力を武器にする打者が小技を多用する大学に入学したりすると力を発揮する場に恵まれない可能性が高くなります。 私が卒業した大阪桐蔭高校 ■西谷監督に誘導された!? 進路は亜細亜大学を選択 大阪桐蔭の進路相談では、2年生の年末に帰省した際に両親と相談して希望する大学をいくつか考えます。年明けに、関東や関西など地域の希望も決めて西谷先生に伝えます。西谷先生と選手で面談して、その後は親も交えて話し合う流れです。 私は東京六大学を漠然とイメージしていました。西谷先生からは明治と法政は右打者を必要としているので、左打者の私は1年生から試合に出るのは難しいかもしれないと説明を受けました。それから、東京六大学には特待生の制度がなかったので、東都を勧められました。 青山学院や立正といった選択肢がある中、青山学院は勉強の負担が大きく、立正は2部だったことから亜細亜を選びました。教員免許を取得しやすいことも決め手になりました。当時はプロ野球選手以外、やりたいことが見えていなかったので、教員免許は将来の安心材料になると考えていました。最終的には自分で進路を決めていますが、今思うと西谷先生に誘導されていた気もします(笑)。 亜細亜大学では1年生からレギュラーになれました。4年生の時は主将を任され、チームとしても結果を残せました。私に合った大学を勧めてくれた西谷先生には感謝しています。 ■日々の観察で選手を理解 進路相談で的確な助言 大阪桐蔭の選手が卒業後のステージでも活躍しているケースが多いのは、西谷先生の進路相談が大きな要因になっていると思います。そして、その裏には西谷先生の人脈づくりに加えて、選手に対する観察力があると考えています。 西谷先生は日頃から選手のちょっとした違いに気付きます。体調や気持ちの変化、スパイクや手袋を新しくした時もすぐに指摘されました。選手としての特徴はもちろん、プレーを見ただけでは分からない性格も深く理解しているので、進路相談で的確なアドバイスができるのだと思います。 指導者と経営者で立場は違いますが、私も今、野球経験者の次のステージをサポートする事業を展開しています。西谷先生の教えをビジネスの参考にしていくつもりです。
- 子どもの運動減少は野球にも影響 動きの種類を増やす大人の役割
野球塾「Amazing名古屋校」には愛知県外からもスクール生が集まっています ■ドッジボールは“死語”? 時代の変化を実感 ここ数年、子どもの運動能力が落ちているというニュースを見聞きします。スポーツ庁は毎年、小学5年生と中学2年生を対象に50メートル走やボール投げなどの項目で体力や運動能力を調査しています。今年度は中学生男子が新型コロナウイルス感染拡大前の数値を上回ったものの、小学生は男女ともに低下傾向が続いています。 私は野球塾「Amazing名古屋校」で日頃から小学生を指導していて、スポーツ庁の調査結果に納得できる部分があります。野球塾に来る子どもたちは運動に積極的なタイプが多いです。それでも、1つの動きしかできず、動きのバリエーションが少ないと感じます。これは、遊ぶ機会の減少が要因だと考えています。 私は2月で30歳になりました。石川県出身なので都市部で生まれ育った人たちと環境が違うのかもしれませんが、小学生の休み時間はグラウンドや体育館でドッジボールや鬼ごっこをしていました。放課後や休みの日は公園に集まって野球で遊ぶのが日常でした。 ただ、野球塾に来る子どもたちと話をしていると、休み時間を教室で過ごしたり、学校が終わってからは自宅で過ごしたりするケースが多いです。振り返ってみると、子どもたちからドッジボールという単語を聞いたことがないかもしれません。私が小学生の頃の遊びと言えば、ドッジボールが定番でした。 ■子どもの運動機会減少 動きの種類や空間認知能力が低下 どちらの時代が良い悪いという問題ではなく、運動する習慣がなくなった影響は野球の動きにも表れます。バットやグラブといった道具を扱う野球独特の競技性以前に、子どもたちは自分の体を上手く操作できていません。これは能力ではなく、経験の差です。 例えば、上半身だけひねる動きを教えても、首や顔、腰が一緒に動いてしまいます。誰でも不慣れな動きをするのは難しいんです。遊びを通して色んな動きが自然と身に付きますが、体を動かす習慣がなければ動きの種類が限られてしまいます。 空間認知にも影響が出ます。野球は物体の位置やスピードを把握する「空間認知力」が重要なスポーツです。投球のコースや高さ、速さに対応できなければ打ち返すことはできません。ゴロやフライの捕球も空間認知能力が問われます。 私たちの野球塾では空間認知を向上させるメニューも組んでいます。例えば、キャッチボールのように向き合って、指導者がスクール生に向かってボールをバウンドさせます。指導者はボールの速度や高さに変化をつけて、バウンドの仕方を変えます。一方、スクール生はどんなボールでも、ショートバウンドやツーバウンドなど指導者が指示した方法で捕球します。 野球塾「Amazing名古屋校」の様子 ■経験で改善する運動能力 不慣れな動きを練習 スクール生に初めて挑戦させると、半数くらいは上手くできません。バウンドを待ちすぎたり、突っ込み過ぎたりしてしまいます。ただ、繰り返し練習していると、どの辺りでバウンドするのか感覚がつかめてきます。経験して慣れれば、誰でもある程度できるようになります。 バウンドするボールが来ると分かっていて捕球できない子が、打者を抑えようとしている投手のボールにタイミングを合わせて打てるはずがありませんよね。野球塾では基本的な運動能力を磨くメニューも取り入れています。 動きのバリエーションを増やす練習には、右投げの子が右手で捕球したり、右打ちの子が左で打ったりするメニューもあります。できるだけたくさん馴染みのない動きを経験してもらう狙いです。 上のレベルに行くと分かってきますが、打撃であれば複数の打ち方が必要になります。体の成長やコンディション、相手投手のタイプや打席に立った時の場面などによって、打ち方を変えていける選手が結果を出す確率を高められます。体の動きや打ち方が限られると、それだけ安打の確率は下がってしまいます。 ■動きの正確さは二の次 自宅で親子一緒に 小学生世代で大切なのは間違った動きや打ち方をしていても、過度に気にしないことです。今までと違う体の使い方や打ち方をするだけで、動きのバリエーションは増えます。その引き出しが今すぐにではなくても、中学生や高校生になった時に生きてくるからです。 野球塾ではスクール生だけではなく保護者にも「動きが合っているか間違っているかは大きな問題ではない」と伝えています。そして、スクール生の練習を見ている保護者は多いので、あえて聞こえる声の大きさでスクール生に動きのポイントを説明してから「覚えている範囲で構わないから家に帰ってからやってみて」と勧めます。そうすると、保護者も内容を覚えて自宅で子どもの動きを確認しようする意識が芽生えます。子どもたちは正しい動きを覚えやすいですし、親子の会話にしてほしい気持ちも込めています。 最近の子どもたちは運動能力が低いと指摘するのは簡単です。ただ、その理由は子どもたちに原因や責任があるわけではありません。昔と比べて遊ぶ時間や場所が限られ、動きの幅を広げる機会が少ないためです。経験する場を大人が増やしていけば、運動能力も野球の技術も上がっていくと考えています。
- 球児の意見は反映されている?甲子園の開催方法変えるべき?
真夏の開催で是非が分かれている甲子園 ■大人は猛暑を懸念 球児の考えに隔たり センバツ高校野球は組み合わせが決まり、間もなく開幕します。私にとって、印象に残っている昨年の出来事の1つが甲子園球場で観戦した高校野球です。聖地へ行くのは、大阪桐蔭高校で2012年夏に日本一になって以来でした。 昨夏に甲子園を訪れた目的は母校の応援です。実は、聖地のスタンドで試合を見るのは3回目でした。中学生の時に1回、大阪桐蔭時代に次の対戦相手の研究で1回、それから昨夏です。 スタンド観戦とグラウンドでのプレーで甲子園の感じ方が全く違うことは、以前のコラムでお伝えしました。今回のコラムは、高校野球界を超えて議論になった「真夏の甲子園で大会を開催する是非」をテーマにします。 結論から申し上げますと、私は今の開催方法を変える必要はないと思っています。5年前、10年前と比べて夏の暑さが厳しくなり、熱中症のリスクが高まっているのは間違いありません。球児の体調を考慮して、「大会の開催時期を変える」、「会場を甲子園からドーム球場に変更する」といった意見が出ることに理解はできます。 しかし、周りの大人が懸念するほど、球児は暑さを苦にしていないと感じています。まず、野球は試合時間が他の競技よりも長いですが、選手はグラウンドにずっと立っているわけではありません。攻撃中は打者、走者、コーチャー以外はベンチにいるので、試合の半分近くは屋根の付いたベンチで自由に水分を取れます。 ■球児より暑いのは観客 甲子園より過酷な地方大会 甲子園のベンチ内にはジェットクーラーがついているので、すごく涼しいです。もちろん、試合中には汗をかきますが、甲子園でプレーしていて暑さが気になったことはありませんでした。私が高校生の時はクーリングタイムがなかったものの、ベンチに冷たいタオルが用意されていて試合中に頭や首を冷やしていました。 それから、昨夏に甲子園のスタンドで観戦して感じましたが、選手よりも観客の方が圧倒的に暑いです。個人的には人生で一番の暑さでした。日陰のない席で1試合通して観戦するのは、選手の何倍も暑いです。夏の甲子園が危険と指摘する人の中には、球児の意見よりも観客としての自身の経験をもとに話しているのかもしれません。 シンプルに暑さの程度という点で見ると、ベンチの中が涼しい甲子園よりも地方大会の方が過酷です。さらに、大阪桐蔭の選手にとっては普段の練習の方がきついです。おそらく、甲子園に出場する多くの高校は試合よりも練習の方が暑さと戦っている意識が強いと思います。 夏の暑さは年々厳しくなっていると感じます。だからと言って、甲子園の開催時期や会場を変更するのは違和感があります。周りにいる高校野球経験者も、ドーム球場への変更や真夏を避けた開催に賛成している人はいません。 グラウンドより暑さを感じる球場のスタンド ■「なぜ高校野球だけ問題視?」 球児の意見に納得 昨夏の甲子園に関する記事で、球児のコメントに「真夏に外で試合をしているのは野球だけではない。なぜ、高校野球ばかりが問題視されるのか」といった趣旨の内容がありました。確かに、サッカーやラグビー、マラソンなどの競技も屋外で大会が開かれますし、屋内競技の中には風の影響を考えて十分に窓を開けて試合ができないケースもあります。高校野球の危険性ばかりが議論になることに疑問を抱くのは自然です。少なくとも、関係者は選手が納得する説明をしたり、選手の意見をしっかりと聞いたりする必要があります。 私は社会人まで野球を続けました。高校や大学の時は日の丸を背負ってプレーした経験もあります。お客さんがたくさん入る中で試合をしてきましたが、ぎっしりと埋まったスタンドから一つひとつのプレーに大歓声が沸く夏の甲子園は特別です。盛り上がり方が他の大会とは全く違います。 仮に今夏から会場がドームに変更され、20年、30年と大会を重ねていけばドーム球場も“聖地”と呼ばれるようになるのかもしれません。ただ、個人的には甲子園球場以外が聖地となるイメージが沸きません。 甲子園をめぐっては猛暑対策の他にも、7イニング制の導入や球数制限、勝ち上がるごとに大きくなる出場校の費用負担など様々な議論があります。2024年に甲子園球場誕生から100年を迎え、時代に合った形への変化が求められる時期に来ているのかもしれません。聖地に憧れ続けた元高校球児としては、大人の事情ではなく、今の選手たちの意向が尊重されることを強く願っています。
- 能登で復興イベント開催 地元出身のプロ野球選手も4人参加
「GO!能登 応援プロジェクト」の様子 ■昨年末に石川県で開催 「GO!能登 応援プロジェクト」 起業してから、地元・石川県を訪れる機会が増えました。今年に入ってからも小松市で野球教室を開催したり、私が小学生の頃に所属していた学童野球チームで指導したりする場をいただきました。 昨年末には中能登町で、「GO!能登 応援プロジェクト」と銘打った野球イベントを開催しました。地震から1年経った今も復興の最中にある石川県を野球で元気づける目的です。チームに所属する地元の小学生80人以上が集まり、ロッテ・角中勝也外野手と岩下大輝投手、楽天・島内宏明外野手とヤクルト・北村拓己内野手、石川県出身のプロ野球選手4人に参加していただきました。 このイベントは能登半島地震発生の1週間後、ヤクルト・北村選手から私が連絡を受けたことがきっかけでした。北村選手は亜細亜大学野球部の1年後輩で、大学卒業後も親交があります。「次のオフシーズン(2024年のシーズンオフ)に能登復興のイベントを開催したいのですが、力を貸してもらえませんか?」と相談されました。 私自身も復興のサポートをしたいと考えていたので、快諾しました。子どもたちに夢やパワーを与えられるプロ野球選手が参加してくれるとあれば、断る理由はありません。後日聞いた話では、北村選手だけではなく、他の選手たちも考えは同じだったそうです。 イベントには石川県出身のプロ野球選手が参加 ■星稜野球部OBの力を実感 野々市市の企業も協力 イベント開催に向けて、様々な方々にご協力いただきました。会場でお借りした室内スポーツセンターは中能登町が所有している施設で、年末年始は通常閉まっています。町長や職員の方々にイベントの主旨を理解していただき、利用させていただきました。 イベント会場に中能登町を選んだのは理由がありました。中能登町は被災したものの、より大きな被害を受けた他の地域ほど報道されていませんでした。そのため、他の被災地と比べて、野球をはじめとするスポーツ関連の復興イベントが開催されていない事情がありました。地震によって、子どもたちの学校生活や野球の活動に影響が出ていたことを知り、中能登町での実施を決めました。 今回のイベントで特に実感したのは、星稜高校野球部の連携と行動力です。中能登町の職員さん、協賛企業の経営者の方、ボランティアの皆さんら、星稜OBの方々に支えていただきました。私たちの会社としては、イベントの協賛企業を集めたり、他の方からご紹介いただいた協賛企業にご挨拶へ伺ったりしました。 イベントを開催したのは中能登町でしたが、私が生まれ育った野々市市の企業にもスポンサーとして入っていただきました。昨年9月に野々市市で行った講演がご縁となり、協賛をお願いしたところ快く引き受けていただきました。これまでも企業として幅広く社会貢献活動を続ける中、「自分たちは本当に力になれているのか」と疑問を抱くことがあったそうです。今回の復興野球イベントは子どもたちの喜ぶ姿が目に見えて分かるので、協賛の意義を感じたとお話していました。 会場に設置した能登を応援する垂れ幕 ■プロ4人が野球教室 子どもたちとストラックアウト対決 イベントでは、プロ野球選手4人による野球教室とストラックアウト対決を開催しました。野球教室は子どもたちを4つのグループに分け、角中選手には素振り、島内選手にはティー打撃、岩下選手には投球、北村選手には守備の指導を担当してもらいました。 プロ野球選手にとって年末年始はオフの貴重な時期ですし、普段は子どもたちに教える場が少ないので、時間を長くし過ぎると負担をかけてしまうと想像していました。しかし、どの選手も時間が足りないくらいの熱量で子どもたちと接していました。寡黙で職人気質のイメージを持っていた角中選手が時間を過ぎても、1人1人にスイングのアドバイスをしていたのは印象的でした。 島内選手はお手本を示しながら打球を遠くに飛ばすコツを伝え、北村選手はお兄ちゃんのような親しみやすい距離感でエラーを減らすゴロ捕球のポイントを解説していました。岩下投手は子どもたちが憧れる速い球を投げるための体の使い方を丁寧に説明していました。それぞれが特徴や強みを生かした指導をしていて、子どもたちも興味津々でしたね。どの選手からも、野球を通じて能登の復興を後押ししたい気持ちが伝わってきました。 ストラックアウトも盛り上がりました。子どもたちがプロ野球選手を指名して対戦する形にできたら良いなと思い、ダメ元で選手たちにお願いしたところ、二つ返事で引き受けてくれました。オフの期間はボールを投げないプロや、軟式ボールを投げることに抵抗があるプロは少なくありません。その中で、全選手が子どもたちと対決してくれました。本当に頭が下がります。 私、水本がイベント冒頭で子どもたちに挨拶 ■参加者から感謝の言葉 継続的にイベント開催へ イベント後は、感謝の言葉がたくさん届きました。子どもたちは「憧れの選手を近くで見て体の大きさに驚きました。あんな選手になれるように頑張ります」と目を輝かせ、保護者も「子どもたちにとって刺激的な時間でした。貴重な機会をありがとうございました」などと喜んでいました。 能登半島地震から1年が経ちましたが、まだ復興が進んでいない地域もあります。私の身近でも被災した人がいます。日常を取り戻すには時間がかかりますし、多くの人たちの力が必要です。 私たちだけではなく、今回のイベントに携わった関係者の方々からも「一度で終わるのではなく、継続していくことに意味があるのではないか」という声が出ました。改良を重ねて、今回以上に満足していただけるイベントを続けていきたいと考えています。プロ野球選手にも協力してもらう大規模な企画だけではなく、私個人や私たちの会社として貢献できることも継続していくつもりです。
- ビジネスでも輝ける土俵を 野球人の強みを生かした支援
■「力を発揮できていない」 企業でも生かせる野球人の強み 先日のコラム開始のご挨拶では、自己紹介をさせていただきました。実質的に最初のコラムとなる今回は、弊社で展開している事業の1つで、私が起業するきっかけとなった「野球経験者に特化した人材支援事業」についてお伝えします。 この事業を立ち上げた理由は前回のコラムで触れましたが、野球経験者が競技を終えた後に持っている力を発揮できていないと感じたからです。私も含めてですが、野球に没頭した人たちは競技を通して得た強みと同時に、他の人よりも時間をかけてこなかった弱点があります。 一般的に野球経験者は、体力や礼儀正しさに長けていると見られています。ただ、野球経験者の強みは、それだけではありません。例えば、打率3割が好打者の目安とされる野球は「失敗のスポーツ」と言われています。7割は失敗する難題に対して、自分の打撃フォームや相手バッテリーの配球などを研究して少しでも確率を上げる工夫や努力を重ねます。 これは、営業や企画の仕事にも共通します。断られる可能性が高い営業や最初から案が通りにくい企画の部署に配属された際、野球に打ち込んだ人たちは様々な方法で現状を打破する方法を考えます。失敗してもあきらめない継続力や課題を解決する力など、野球で身に付けた武器が社会に出てからも生きるわけです。 ■野球経験者と企業をつなぐ「Ring MATCH」 専門アドバイザーがサポート 一方、部活に所属せず勉強や就職活動に注力してきた人と比べると、専門的な知識やパソコンのスキルは劣る傾向にあります。インターンやアルバイトの経験も圧倒的に少なくなります。 野球経験者が、こうした苦手分野で勝負しようとしても、なかなか勝ち目はありません。野球でも適材適所があるように、個々の特長が発揮できる職種や企業にめぐり合うことができれば、野球経験者も企業も幸せです。そのサポートをしたいと私は起業を決めました。 私たちの会社「Ring MATCH」では、転職を希望している野球経験者に無料登録してもらいます。その後、オンラインやオフラインで面談し、企業に提出する履歴書や職務経歴書を一緒に作成していきます。そこから、求職者に合った企業をピックアップして、エントリーしていく流れです。 求職者をサポートする弊社のアドバイザーたちは、上場企業で豊富な経験を積んできました。全員が野球経験者なので、求職者の考え方や希望を汲み取り、企業へ分かりやすく伝える方法を熟知しています。 ■ 勤務地も業種も様々 企業から需要高い野球経験者 求職者からも野球未経験の社会人からも時々、「野球経験者に特化した人材紹介は需要があるんですか?」とたずねられます。その時、私は自信を持って答えています。「皆さんが想像している以上に需要は高いです」。弊社は2期目に入って知名度が上がってきたこともあり、求職者だけではなく、企業側からの問い合わせも大幅に増えています。需要があると確信しています。 野球経験者を必要としている企業は全国各地にあり、業種も多岐に渡ります。お問い合わせをいただくのは弊社が事務所を構える愛知県、東京都や大阪府といった都市部に加えて、北陸地方や北関東の企業も多いです。これまで内定をいただいた企業の業種は不動産、印刷会社、営業代行など幅広いです。 Ring MATCHの特徴はきめ細かいサポートにもあります。求職者の希望を聞いたり、適性を見極めたりする面談はオフラインやオンラインで複数回行います。遠方に住んでいる求職者には企業まで同行するケースもあります。例えば、北海道で働いていて愛知県の企業で面接を受けた求職者は土地勘がないため、私が企業まで一緒に行き、面接に同席したこともありました。 求職者のサポートは内定を取ったら終わりではありません。入社後も個別にフォローし、求職者にも企業側にも不都合がないか確認します。求職者に伴走する上で難しいのは、気持ちの波に寄り添うところですね。求職者は「現状を打破したい」と熱が高い時と、「転職は怖いから現状維持で良い」と弱気になってしまう時が周期で変わる傾向があります。 ■転職は「ポジティブ」 自分の価値を高める選択肢 私たちは「転職ありき」で相談に乗るわけではありません。取り組み方や考え方を変えれば今の職場で活躍できると感じた場合は、その方法をアドバイスします。ただ、より輝ける場所を見つけたいと前向きな気持ちになり、ふさわしい企業が見つかったにも関わらず、一歩を踏み出せなければ、せっかくのチャンスを逃してしまいます。求職者が1人で悩みや不安を抱えないように、いつでも気軽に連絡を取れる仕組みをつくっています。 事業は5月から2期目に入りました。やはり、最大のやりがいは求職者と企業、お互いが笑顔になるマッチングに成功した時です。私たちは求職者に転職先を押し付けず、希望や適性に合った企業しか紹介しません。そのため、入社後に「良い企業勧めていただき、ありがとうございます」、「仕事が楽しいし、先輩や上司にもかわいがってもらっています」など、感謝される機会が多いです。 企業側からもうれしい言葉をいただいています。中には「良い人材を紹介していただきました。他に利用している転職エージェントは全てやめて、Ring MATCHさん一本にします。紹介していただいた方は100%採用するので、今後もよろしくお願いいたします」と言っていただいた企業もあります。 転職のイメージは日本でも変化し、ポジティブに捉える人は増えています。私はキャリアにおいて、自分の価値を高めていくことが大事だと考えています。何かを達成したら、もう1つ上のレベルや新しいスキルの習得を目指して、自分の市場価値を上げていくわけです。 Ring MATCHの登録者は今すぐに転職したい人から、いずれ就職しようとぼんやり考えている人まで様々です。企業との出会いはタイミングもあります。キャリアアップを描いている野球経験者は、弊社までお気軽にお問い合わせください。野球人を求めている企業は皆さんが思っている以上にたくさんあります。ユニフォームを脱いだ後も野球人の可能性は広がっています。
- 上手くなる独自の仕組み確立 大好評の野球塾は拡大中
■Amazing名古屋校 ジュニアレッスンも開始 前回のコラムでは、私が起業する理由となった事業「野球経験者に特化した人材支援」の内容やビジョンをお伝えしました。弊社では、この他に「野球塾の運営」と「バットの開発」を事業の柱としています。今回のコラムでは、野球塾の運営についてお届けします。 弊社は名古屋市で「野球塾Amazing名古屋校」を運営しています。Amazingは大阪桐蔭高校野球部の1学年先輩、廣畑実さんが立ちあげた野球塾で、大阪や東京など全国10か所で展開しています。業務委託の形で、弊社は名古屋校で小、中学生に野球を教えています。 名古屋校は口コミで評判が広がり、おかげさまで今は予約が難しいほど、選手が集まっています。元々、小学4年生から中学3年生を対象にしていましたが、今年9月から小学1年生から3年生までのジュニアレッスンも新たに始めました。 ジュニアレッスンの目的はシンプルです。「野球をめちゃくちゃ楽しんでもらいたい」。小学3年生まではフォームにこだわらず、とにかく野球を楽しんでもらいます。ボール遊びの延長で、楽しみながら運動機能を高める狙いがあります。この年代で色んな動きをしておくと、小学校高学年でバッティングを教える時、重要なポイントをスムーズに身に付けられるんです。スローイングやキャッチングにも共通していて、小学生の時に動きのバリエーションを増やすと、その後に生きてきます。 ■経験に基づく豊富な引き出し どのスタッフ質の高い指導 中には園児のうちから保護者の方と野球の練習をしているケースもあるので、その場合は技術的な指導も加えるなど、子どもたちの経験やレベルに合わせてメニューを組んでいます。小学4年生以降になると、技術を習得する指導の比重が大きくなり、「遊びに近い楽しさ」から「上達する楽しさ」に移行する形です。 Amazing名古屋校の最大の強みは、どの指導者が教えても技術を伸ばせるノウハウが確立されているところです。塾長の私だけではなく、他のスタッフでも同じように質の高い指導が可能です。 その理由は、選手の課題をパターンに分けて、改善するために最も効果的な練習を提案できるからです。例えば、指導で取り入れているティーバッティングは50種類以上あります。指導者が選手に修正すべき動きを指摘して、自然と理想的な動きを覚えられるメニューを選べば、効率良くバッティングが上達していきます。 野球塾の塾生は基本的に、チームに所属しています。チーム練習がない日や土日の午後や夕方、野球塾に来ています。愛知県は土日の練習が昼頃に終わるチームが多いんです。個のスキルを向上させたい選手たちが名古屋市だけではなく、愛知県外からも通っています。 ■「塾生は日本一練習」 野球が楽しくなる好循環 おもしろい場面に遭遇した時もありました。ある日、1人の選手がスクールの開始を待っていると、同じ時間のスクールを受けるために現れた別の選手と目が合って、お互いにびっくりしていました。その2人はチームでポジションを争うライバルだったんです。2人とも相手には内緒で定位置を獲るために、私たちの野球塾に来ていました。 他にも、所属するチームを強くしたい一心でチームメートを誘った塾生や、バッティングが急激に向上した選手がAmazing名古屋校に通っていると聞いて入会した塾生もいます。 私たち指導者は塾生を見ていると口をそろえることがあります。「ここにいる選手たちは日本一、一生懸命やっている」。指導では褒めることを大事にしています。選手を上手くする絶対の自信を持っていますし、実際にチームで結果を出している選手は多いです。「練習して上手くなる」→「褒められたり、試合で活躍したりできてうれしい」→「前向きに一生懸命練習する」という好循環が生まれています。 ■チームと野球塾 選手を板挟みで苦しめない方針 他の野球塾に通う選手や保護者からは時々、「チームの方針と野球塾の指導が違って、どちらの言うことに従えば良いのか子どもが困っている」という悩みを聞きます。私たちの野球塾では、ひと昔前とは異なるバッティングフォームを教えています。選手からは「チームで教わった打ち方と違う」という声が上がります。その時、私たちは「チームの監督の指導方針や選手が希望する打ち方」を優先します。 そして、レッスンでは「様々な打ち方を身に付けた方が、色んなピッチャーや球種に対応できるから、引き出しの1つとしてやっておこう」と伝えます。せっかく選手が上手くなりたいと思っているのに、チームと野球塾で板挟みになるのはかわいそうですからね。 Amazing名古屋校では指導者を増員してレッスンの枠を拡大し、できるだけ多くの塾生のサポートをしていくつもりです。ライバルに差をつけたい、ホームランを打ってみたい希望を叶えます。野球が好きで上手くなりたい選手をお待ちしています。