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- なぜ多い? 亜細亜大野球部が教員免許を取る意外な本音
■亜細亜大学4年時 母校・大阪桐蔭で教育実習 前回のコラムでは、私が教育実習で大阪桐蔭高校へ行った際に交流した巨人・泉口友汰選手について書きました。今回は、教育実習の続きです。 通常、大学生が教育実習に行くのは4年生の春か夏頃です。ただ、高校側の配慮で、秋のリーグ戦が終わってからの時期に調整していただきました。その時点で、私は東邦ガスへの入社が決まっていました。大学卒業後に教員を目指す人たちとは事情が違ったため、準備を含めて授業に目いっぱい時間をかけるよりも、野球部の手伝いをしてほしいと西谷先生から依頼されました。 そこで、教育実習ではクラスごとに全て異なる授業をするのではなく、プランをいくつか立て、それをベースにアレンジしていくやり方で授業を進めました。授業の準備時間を減らす分、放課後は野球部の練習をサポートしました。 担当したのは社会科の授業です。教壇に立って感じたのは、生徒が授業に集中しているのか、内容を理解しているのか、表情や動きを見ると意外に分かるということです。自分が高校生の頃は上手く取り繕っているつもりでしたが、先生たちには見抜かれていたんでしょうね。 教育実習で訪れた母校・大阪桐蔭高校 ■放課後は野球部のサポート 藤原恭大選手のスピードに驚き 西谷先生の接し方も高校生の頃とは全く違いました。私を大人として扱っている感じを受けました。野球部の練習に参加していると、質問や相談を受けました。当時、私が所属していた亜細亜大学の野球部は強かったこともあって、練習内容や戦術について聞かれましたね。 放課後の部活で紅白戦をした際は一方のチームの監督を任され、試合後は「投手にクセはあった?」、「選手の動きで気になるところはなかった?」など、色々と尋ねられました。西谷先生は私の意見や考えも参考にし、常にチームを強くするヒントを探している印象を受けました。 教育実習に行ったのは11月だったので、1、2年生の新チームで始動していました。特に目を引いたのは、1年生だった藤原恭大選手です。肩を痛めていてコンディションは万全ではありませんでしたが、全身がバネのようでスピード感がありました。大阪桐蔭の中でも突出していて、確実にプロに行くと思いました。 グラウンドの練習だけではなく、寮でミーティングにも参加しました。教育実習には私のほかに、同級生で大阪桐蔭OBの妻鹿聖も来ていました。ミーティングでは苦しい練習の意味、その先に得られる財産、さらに自分たちが甲子園で春夏連覇した頃の話などを後輩たちに伝えました。西谷先生からは「お前たちが部活に来てから、チームが良くなった」と感謝の言葉をいただきました。教育実習で一緒に過ごした選手たちの動向は気にしていますし、藤原選手の学年は甲子園で春夏連覇を達成したのでうれしかったですね。 ■日本一の厳しさが… 教職課程の履修で練習を回避 亜細亜大学の野球部は教職課程を履修して、教育実習に行く選手が多いです。ただ、実際に教師になるのは数えるほどでした。私の同級生は1人もいませんし、先輩や後輩も1学年で数人だったと思います。 教員免許を取るには修得する単位が増え、授業数も多くなります。勉強が大変になるにもかかわらず、なぜ野球部員が教職課程を取るのか。もちろん、教員を志している選手もいますが、一番の理由は授業や教育実習で練習に行かなくて良いからです。 私の1つ、2つ上の先輩たちは、ほぼ全員というくらい教員免許を取っていました。亜細亜大学の練習は「日本一厳しい」と言われています。その練習時間を少しでも減らすため、教職課程を履修している選手が圧倒的多数でした。 その魂胆を監督やコーチが感じたのか、私の学年は「教員になるつもりがないなら、教員免許を取るな。野球に集中しろ」と釘を刺されました。ただ、私は大学入学前から、生田勉監督に「お前は教員免許を取った方が良い」と進言されていました。同級生の中には教職課程を履修するつもりですと報告して怒られた選手もいましたが、私は何も言われませんでした。 私は今のところ、教員になろうと考えたことはありません。もしかしたら将来、心境が変化するかもしれないという思いはわずかにあったとは言え、亜細亜大学の野球部ではなかったら教職課程を履修していないと思います。勉強は好きではありませんが、あの練習をするよりは耐えられるという気持ちが勝って教員免許を取りました。
- 巨人・泉口友汰選手は“教え子” 大阪桐蔭で見せた非凡さ
■藤浪投手や中田選手 今季のプロ野球は大阪桐蔭OBが話題 プロ野球はソフトバンクの日本一で幕を下ろしました。プロ野球がシーズンオフに入ると、秋の終わりを感じます。 今シーズンのプロ野球は、大阪桐蔭出身の選手が話題になりました。まずは、藤浪晋太郎投手の日本球界復帰です。高校の同級生でチームメートだった藤浪投手の動向は、常に気になります。メジャーでは思うような結果を残せていませんが、投球を見る限りは力が衰えたようには思えません。まだ、31歳。もう一度、華やかな舞台で活躍すると信じています。 中田翔選手の現役引退も大きなニュースでした。中田選手は私の5歳年上です。大阪桐蔭の知名度を一気に上げた存在で、私も甲子園で活躍する姿をテレビで見ていました。私たちが甲子園出場を決めた際に差し入れをしていただき、電話でお礼を伝えましたこともあります。中田選手を含めてOBの方々には、甲子園に出る度に記念Tシャツをつくってもらったり、飲み物や食べ物を差し入れしてもらったりしました。 もう1人、注目された選手は巨人・泉口友汰内野手です。大阪桐蔭卒業後に青山学院、NTT西日本を経て、2023年のドラフト4位で巨人に入団。プロ2年目の今シーズンは133試合に出場し、リーグ2位の打率.301をマークしました。今では、チームに不可欠な存在となっています。 今季のプロ野球は大阪桐蔭出身選手が話題に ■タイミングの取り方が抜群 泉口選手は教育実習で交流 実は、大学時代に教育実習で大阪桐蔭へ行った際、泉口選手は2年生で在籍していました。私は社会科を担当し、泉口選手のクラスでも授業をしました。グラウンド外の泉口選手は、おとなしいタイプでした。和歌山県出身ですが、関西っぽさがなく、自己主張をせずにマイペースな印象を受けました。 私は大阪桐蔭でプレーしていた頃、同級生には藤浪晋太郎投手や澤田圭佑投手、1学年下には森友哉捕手がいたので、将来プロに入る選手のレベルを肌で感じていました。教育実習で泉口選手を見た時、プロに行くとは想像していませんでした。タイミングを取るのが抜群に上手い打者と感じた一方、フィジカルの強さやスピード感に欠ける印象を受けたためです。打撃も守備もクセがなく、動きがきれいでセンスを感じさせる選手だったので、社会人まで長く野球を続けるのかなとイメージしていました。 ところが、泉口選手はプロに進んで巨人のレギュラーとなり、打率3割をクリアしました。近年は投高打低の傾向が強く、今シーズンは打率3割を超えたのは両リーグ合わせて泉口選手を含めて3人しかいません。短い期間とは言え、教育実習で一緒に過ごした選手が活躍するのはうれしいですね。 泉口選手の姿は、喜びと同時に学びにもなっています。現在、野球塾を運営する立場となり、タイミングを上手く取れる選手は将来“化ける”可能性があることを泉口選手から学びました。打撃指導ではタイミングの取り方を教えるのが一番難しいんです。感覚を掴めないまま、野球を終える選手もいます。 タイミングは個々の感覚による部分もあります。それでも、指導者は上達のきっかけやコツを伝えることができます。大阪桐蔭時代はそこまで目立つ存在ではなかった泉口選手がプロで結果を出す姿を見て、打撃におけるタイミングの取り方の重要性を改めて実感しました。今まで以上に、指導で大切にしています。
- 極限の緊張感 「日本一厳しい」亜細亜大野球部の練習
■東都秋季リーグ終了 亜細亜大学は5位 東都大学野球は今年度の秋季リーグを終了しました。青山学院大学が6季連続優勝を果たし、私の母校・亜細亜大学は6チーム中5位で終えました。亜細亜大学も2011年秋から2014年春にかけて6季連続で優勝した時期もありましたが、2022年春を最後に優勝から遠ざかっています。 私は大学を卒業して8年が経ちました。亜細亜大学の野球部出身と話すと、大学野球の経験者からは「あの亜細亜ですか?大変でしたよね」、「逃げ出さずに4年間続けたんですか?」などと驚かれます。亜細亜大学は「日本一厳しい野球部」と知れ渡っているためです。 大変と言われる理由には、練習量が挙げられます。しかし、それ以上に過酷なのは緊張感やプレッシャーです。ウォーミングアップから全く気を抜けません。例えば、指示を出す人の拳が開いた瞬間にスタートを切ったり、体を回転させてから走り出したりするメニュー「反応ダッシュ」では、1人でも動きを間違えば、全員でやり直しとなります。「ウォーミングアップ=体を温める・ほぐす」という考え方を覆されました。 亜細亜大学時代の水本 ■伝統の「2カ所バッティング」 試合を上回る緊張感 伝統となっている「2カ所バッティング」は、試合以上の緊張感があります。内容自体は打撃投手の投球を2カ所で打つメニューなので、他の大学も取り入れています。ただ、亜細亜大学では、全てのポジションに守備がつき、一塁から三塁まで走者もいます。そして、打撃投手が1球投げるごとに全員が反応します。カバーリングの動きも全力ですし、安打が飛んだ時は中継プレーまで完結させます。 2カ所バッティングで守備をするのはベンチ外の選手、打者と走者はベンチ入りメンバーが務めます。次戦の相手投手を想定し、開始前のミーティングで「アウトコースの変化球には手を出さない」、「フライは打たない」といったルールを決めます。そのルールに反したバッティングをした際は、守備陣から容赦ない怒号が飛んできます。監督が様子を見ているため、打撃内容によって打者は交代を命じられたり、緊張感を欠いた動きがあれば連帯責任で全員が罰走したりすることもあります。 守備は各ポジションに3人前後の選手がいます。順番で守備につきますが、出番ではない選手もずっと中腰で待機します。中腰以外の姿勢は許されません。腰が浮いている選手を監督が見つけると、全員で罰走となりました。試合前のシートノックで亜細亜大学の選手たちが中腰で両手を前に出し、大きな声を出している場面を見たことがある人もいると思います。中腰は基本姿勢です。 ■走るメニューで精神力強化 髪型は自由でも… 練習メニューに、走る内容が多いところも特徴の1つです。ウォーミングアップで何キロも走りますし、インターバル走もあります。練習メニューや攻守の切り替えなども全力疾走です。夏に北海道・釧路で実施するキャンプでは、宿舎からグラウンドまで片道6キロの距離を行きも帰りもランニングしました。監督も走るため、当然ながら手を抜けません。 走るメニューが多かったのは、精神面を鍛える目的だったと感じています。おそらく、監督は走っても野球が上手くならないと考えていたはずです。きつい練習を継続することで、あと一歩頑張り抜く強さや苦しい状況でも弱気にならない精神力を養いたかったのだと思います。 「日本一厳しい」という他に、亜細亜大学野球部には「五厘刈り」のイメージも強いようです。髪形についても、よく質問されます。野球部に髪型のルールはありませんでした。ただ、髪が長いと「色気づいている」と判断され、何らかの理由をつけられて髪を切ってくるように言われます。五厘刈りの選手は試合の大事な場面でバントを失敗したり、ストライクを見逃したりして反省を示すケースが多いです。監督やコーチから「プレーに覇気がない」と指摘され、髪を剃ってくる選手もいます。 亜細亜大学出身のプロ野球選手の中には、「何億円もらっても、大学時代には戻りたくない」と話す方もいます。私たちの頃よりも厳しい時代があったのかもしれませんし、今は私たちの時代と変わっているかもしれませんが、私は大学の練習以上にプレッシャーがかかる場面は今まで経験したことがありません。
- 「野球経験者=営業向き」とは限らない 適性と活躍の秘訣
■面接の手応えが勘違いのケースも 野球経験者の就職・転職をサポートする事業は3年目に入り、求職者からの問い合わせが増えています。転職者希望者を対象にスタートし、現在は新卒の登録も多くなっています。 野球経験者に希望職種を尋ねると、大半が「営業」と答えます。高校や大学時代の野球部の先輩は営業職の割合が高く、「挨拶と礼儀は野球を通じて学んだので、何となく営業ならできそう」という感覚を持っているのだと思います。私も東邦ガスで野球部に所属していた頃は営業でした。 たしかに、元気の良い挨拶や礼儀正しさは営業職に求められる要素です。ただ、商品やサービスを売る営業には、その他にも求められる適性があります。自分では営業に向いていると感じていても、企業側は真逆の判断をするケースが少なくありません。 弊社では登録している求職者が面接を受けた後、合否の結果だけではなく、フィードバックも受けています。求職者は面接後に手応えを得ていたにもかかわらず、企業側からコミュニケーション能力の不足を指摘されることも多いです。求職者が面接は上手くいったと感じるのは、企業側が話しやすいように合わせてくれているわけです。 ■雑談やメールにも表れる営業職の適性 自己分析と企業の評価が一致しているとは限らないため、まずは面接で生じたギャップを求職者に伝えるところからサポートをスタートします。現実を正確に把握しないと、効果的な対策を講じられません。面接に自信があった求職者が企業側のフィードバックを受け入れられるタイミングを見計らって内容を伝え、現状の課題を整理して一緒に改善していきます。 人材事業は現在、執行役員の小林満平を中心に進めています。私は最初の面談を担当するケースが多いです。あまり堅苦しくない、雑談の延長のような雰囲気で今までのキャリアや就職先の希望などを聞いていきます。この時の会話のやり取りからも、営業職の適性をチェックします。 例えば、「私の質問に対して的確な答えが返ってくる」、「相手の話を遮らない」など、営業に向いているかどうかは雑談でも分かります。営業は「話す仕事」と捉えられがちですが、相手の話に耳を傾けて求められていることを正確に理解し、会話のキャッチボールができるタイプの方が企業から求められます。おしゃべりが好きで、自分の話ばかりする人は営業向きとは言えません。 雑談や面談のほかに、LINEやメールも判断材料になります。私とのやり取りは営業先のお客さまとは異なりますが、「文章の最後に句点を付けているか」、「質問に対して簡潔に回答できているか」、「相手を気遣う一言が添えられているか」など、一通のメールでも些細な違いで受け取る側の印象は大きく変わります。中には、「はい」と一言で返信を終わらせる求職者もいます。 ■企業のフィードバック+弊社の助言 弊社では、特定の企業の入社試験を受けてもらうような強制はしません。求職者に合っていると判断した複数の企業を選択肢として示しますが、どの企業を受けるかは求職者次第です。提案する企業は求職者の適性だけではなく、年収や家族との時間といった仕事の軸など、様々な要素から導き出しています。仕事が合わないという理由で退職した人は、今のところ1人もいません。 仮に求職者が希望する営業職に適性がないと感じても、まずは、営業を募集している企業を受けてもらいます。私たちが最初から否定することはありません。求職者自身が面接の経験から感じることがありますし、求職者が面接で得た感触、企業のフィードバック、弊社の意見やアドバイスと3つ視点があった方が、求職者がより納得する企業に入社できます。営業の中でも既存客を中心としたルート営業の方が向いているとアドバイスしたり、野球で培った分析力や課題解決能力を生かしてマーケティングに携わる仕事を勧めたりする時もあります。 希望の職種に就くために必要な意識や知識を伝えることも大切ですが、むしろ求職者本人が気付いていない適性を発揮する企業や、より活躍できる可能性が高い職種を提案することが私たちの役割だと思っています。学生時代、野球に打ち込んできた人たちは世の中にどんな業種があるのか、自分に合った業務は何なのかを分からないまま就職活動をしている印象です。 私たちが定めるゴールは「就職」ではありません。企業も求職者も幸せを感じる「マッチング」です。外野手から投手に転向したら輝いた選手がいるように、求職者が力を発揮できる企業を一緒に見つけています。入社後も話す機会を設けてアフターフォローを欠かさないのも、「就職が決まったら終わり」と考えていないためです。
- 打撃向上メソッド確立 野球塾の進化と選手からの学び
■選手の成長が変わる 助言や指摘のタイミング 小・中学生を中心に野球指導を始めてから、早いもので3年が経ちました。名古屋市にある野球塾だけではなく、全国各地から依頼をいただく野球教室でも子どもたちに指導する機会が増えています。現在、私の地元・石川県で新たな野球塾開校に向けて準備中です。 指導歴を重ね、選手に伝えるアドバイスや提案するドリルの引き出しが増えています。直面している課題が同じでも、選手の体格、野球歴、性格などによって、選ぶ言葉やドリルは変わります。最近は野球塾が増えている中、私たちの野球塾が定員いっぱいになるほど多くの方に選んでいただけているのは、個々の選手に合ったドリルの提案、そして提案したドリルが必要な理由を説明しているところにあると思っています。 私は野球指導をスタートした当初から、選手の打撃を向上させる自信がありました。スイングを見れば、どこに課題があり、どんなドリルをすれば改善するのか、成功までの道筋が見えたからです。ただ、野球指導は、そんなに簡単ではないと痛感しました。 指導を始めたばかりの頃、私は気付いた課題や弱点をすぐに選手へ伝えていました。即座に受け入れて修正しようとする選手もいますが、弱点と認識していない選手は納得しません。同じ指摘であっても、タイミングを誤ると、選手は聞く耳を持ってくれないんです。すぐに答えを与えることが、指導の正解とは限らないと知りました。 スイングを見て個々の選手に最適な指導法を選択 ■課題修正する豊富なドリル 指導の幅も強み 例えば、ゴロが増える打ち方をしている選手がいるとします。その打ち方が憧れの選手を真似したものだったり、試合ではゴロが野手の間を抜けて安打が出ていたりしたら、すぐには修正しません。選手には「試合で内野ゴロのアウトが増える時期が来るかもしれないから、その時は相談して」などと声をかけます。 まずは、選手が望む打撃フォームで打たせて、気分良く野球に取り組んでいる時は、あえて何も言わずに見守ります。気分や調子が良い時に指摘すると、不信感を招く可能性があります。選手がアドバイスを求めているタイミングで的確な言葉をかけることで、素直に話を聞いてもらえますし、そのアドバイスで課題が解決すると信頼関係が深まります。 選手への声のかけ方の他にも、「指導の幅」は私が指導者として成長した部分です。例えば、打撃で体が開くクセのある選手に対して、指導開始当初は主に3つのドリルを提案していました。今は5種類に増えています。 また、クセを直す時に体の部位の動かし方を修正するだけではなく、打球方向といった体以外のところに意識を向けさせるなど、指導の幅が広がりました。具体的には、「左側のネットに当てないように打って」、「上のネットを狙って」と条件を付けて、ティー打撃をします。どこに打球を飛ばすのか意識させることで、自然とクセを修正する体の使い方が身に付きます。 ティーの上げ方も、私たちの野球塾ではバリエーションが豊富です。真正面、斜め、真横といった角度、速さやコースも指導する選手によって変えています。個々の選手の特徴を正確に把握し、豊富な選択肢から最適な方法を提案できるのが私の強みです。さらに、選手のどこを見て、どのドリルを選ぶのか重要なポイントをスタッフ全員で共有しているため、野球塾全体で質の高い指導ができるところも自信を持っています。
- 高校野球のルール変更は必然? タイブレークやDH制を考える
■先攻と後攻どっちが有利? タイブレークの難しさ 高校野球は変化の時期を迎えています。投手の球数制限や低反発バットについては、過去のコラムでも触れました。私たちが高校の頃にはなかったルールの1つに「タイブレーク」があります。 タイブレークは社会人野球の時に経験があります。野手だった私の立場からすると、投手は割り切って投げられるのではないかと感じています。無死一、二塁から始まるタイブレークは、投手が許した走者ではありません。投手の性格にもよるかもしれませんが、「2点は仕方ない」、「1つずつアウトを取れば良い」と精神的なゆとりを持てると、好結果につながるのかもしれません。 タイブレークでは先攻と後攻どちらが有利か議論されます。個人的には後攻の方が戦いやすいと感じます。先攻は最初の送りバントが定石で、攻撃パターンが限られます。 そして、無死一、二塁で犠打を決めるのはものすごく難しいです。サードはタッチプレー不要なフォースプレー。相手守備は極端なバントシフトを敷くケースも多く、打者には技術が必要でプレッシャーもかかります。バントは「決めて当たり前」と思われがちですが、状況次第でかなり難易度の高いプレーとなります。 タイブレーク決着した試合も多かった今夏の甲子園 ■甲子園の初戦は「先攻」 大阪桐蔭・西谷監督の戦略 私が後攻に優位性を感じるのは、何点取れば良いのか戦略を立てやすいためです。1点取ればサヨナラ勝ちできるのか、3点取らなければいけないのか、ゴールが決まっていると選手は迷わず自分の役割に集中しやすくなります。 今夏の甲子園でもタイブレークまでもつれる試合が多数ありました。各学校の監督は普段からタイブレークを想定した練習をしたり、タイブレークも見越して先攻と後攻を決めたりすると思います。 私は大阪桐蔭時代に主将を務めていたので、試合前は先攻と後攻を決めるじゃんけんをしていました。甲子園では、西谷浩一監督からは初戦だけ先攻を取るように言われました。その理由は、どのチームも初戦は浮き足立って、投手がコントロールを乱したり、守備が崩れたりしやすいと考えていたからです。 西谷監督は相手が甲子園の雰囲気に慣れる前に得点し、自分たちは攻撃している間に甲子園の空気になじんで裏の守備に落ち着いて入る意図を持っていました。 優勝した2012年夏の甲子園では狙い通りに先攻を取って、初回に3点を先制しました。その裏は相手を0点に抑え、最終的に8-2で勝利しています。ただ、じゃんけんにプレッシャーを感じていませんでした。負けて後攻だったとしても大差はなく、どちらでも勝てる自信がありました。もし、当時も今のようにタイブレークがあったら、先攻と後攻を決めるじゃんけんに重要度が増したかもしれませんね。 ■選手の出場機会増やすDH制 7イニング制は議論必要 その他にも、検討されている新たなルールには「DH制」や「7イニング制」があります。DH制は投手の負担軽減や選手の出場機会拡大につながります。近年は「エースで4番」が減っている印象はあるものの、高校野球は投手が打線で中軸を担うチームが少なくありません。DHを活用するのか、投手が打席に入るのか選択肢を増やすのは良い方向だと思っています。 一方、7イニング制は、もう少し議論を深めてほしいと感じています。一度7イニングに変更すると、9イニングに戻すのは難しくなります。例えば、ビジネスに置き換えると、給料を変えずに労働時間や勤務日数を一度減らし、その後に「やっぱり元に戻す」というのはハードルが高いです。 7イニング制にするのであれば、根拠や理由を明確にして、選手や関係者の理解を深める必要があります。選手の熱中症を考慮して試合時間の短縮を目的とするのであれば、まずは7回コールドを導入するなど、別の方法があると考えています。 試合の流れを変える可能性もある審判のジャッジ ■ビデオ判定の導入も賛否 1つのジャッジで変わる試合の流れ 賛否が分かれているビデオ判定の導入も今後、議論が進められるとみられます。個人的には、ビデオ判定はあっても良いと思っています。今大会も映像で見直したいプレーはありましたし、私が選手の時もジャッジが間違っていると感じた場面はありました。 高校時代は判定によって勝敗が左右されるとは思っておらず、仮に自分たちに不利な判定となっても試合には勝てると自信を持っていました。それでも、野球には流れがあるので、得点に結びつかなくても1つのプレー、1つの判定が影響する可能性もあります。 審判の判定に関しては、西谷監督が怒っている記憶がありません。伝令を出すケースはありましたが、不満を言ったり、判定を覆そうとしたりする目的ではなく、判定の内容や理由を確認するだけでした。審判に対して「しっかり見ていますからね」とメッセージを伝えるイメージです。両チームに後味の悪さを残さないために、ビデオ判定は導入しても良いのではないでしょうか。 ここ数年、高校野球のルール変更は加速しています。これまでのやり方を変えると、必ず反対意見も出てきます。しかし、時代に合わせた変化自体は歓迎すべきことだと思っています。どんな問題や課題を解決するための変更なのか、誰のためのルールなのか。明瞭な目的や理由が示されれば、「改悪」ではなく、「改善」へと向かっていくはずです。
- 高校野球は進化中 甲子園で感じた低反発バットと体づくり
■2年連続で夏の甲子園観戦 選手が低反発バットに順応 今夏も甲子園で試合を観戦しました。昨夏、高校3年生以来10年以上ぶりに甲子園を訪れており、今年で2年連続です。 昨夏は母校・大阪桐蔭の試合に合わせてチケットを取り、桐蔭ベンチのすぐ近くの席に座りました。グラウンドに近くて臨場感があった一方、ずっと日向でものすごい暑さでした。高校生の時にプレーしていた時は、甲子園の暑さがきついと感じたことはありません。スタンドの方が断然、暑いですね。 今年は暑さを避けるため、バックネット裏上段の席を選びました。臨場感は昨夏より劣りましたが、聖地の雰囲気は存分に感じられます。甲子園全体が見える景色は新鮮でしたし、日陰で風も通っていたので快適でした。 甲子園はテレビでも観戦していますが、昨夏と比べて選手たちが低反発バットに順応してきたと感じました。それでも、打った瞬間は外野の頭を越えると思った打球が定位置で捕球されるケースもありました。やはり、かつてのバットとは違うと感じています。 ■花巻東や山梨学院など フィジカル重視するチーム増加 私も昨年、低反発バットを試した経験があります。バットの芯に当たった時は、私たちが使っていた頃の金属バットと飛距離に違いは感じません。ただ、詰まった時は打球の初速が鈍く、飛距離も出ない感覚がありました。 低反発バットが導入された昨春のセンバツでは、大半のチームが長打を狙わず、スイングをコンパクトにして内野の間を抜く打球を意識しているように見えました。その傾向は昨夏の甲子園でも大きく変わっていませんでした。 ところが、今夏の甲子園では「バットによって飛距離が落ちるなら、それを補う体をつくる」というフィジカル強化に重点を置くチームが増えてきた印象を受けました。中でも、花巻東の選手たちは目を引きました。花巻東は低反発バット導入前から選手の体格の良さが目立ち、私たちが対戦した頃とは明らかにモデルチェンジしたイメージです。 花巻東の他にも今大会は山梨学院や仙台育英など、フィジカルを重要視していると感じさせるチームがありました。全国トップレベルのチームは、選手の体が大きい。厚みがあり、威圧感を漂わせています。 私たちの頃の大阪桐蔭も、体つきから相手を圧倒する雰囲気がありました。大阪桐蔭の試合は大阪大会から気にかけて見ていますが、最近は体格にやや物足りなさを感じます。大阪桐蔭がフィジカルを軽視しているわけではなく、その重要性に気付いて力を入れているチームが増えているのだと思います。 沖縄尚学の優勝で幕を下ろした今夏の甲子園 ■もう高校球児に戻れるなら…見せ方に工夫の余地 今夏は東大阪大柏原と尽誠学園の試合を甲子園で観戦しました。東大阪大柏原は尽誠学園の左腕・広瀬賢汰投手を攻略できず、0-3で敗れました。大阪桐蔭出身の私としては、やはり大阪代表はどの学校が出場してもベスト8くらいまでは勝ち進んでほしい思いがあります。大阪桐蔭不在の甲子園にも寂しさを感じました。 ただ、純粋に高校野球ファンの1人として、球児のプレーや甲子園の雰囲気を楽しませてもらいました。高校を卒業して10年以上経ちますが、高校野球を見ていると、もう一度、甲子園でプレーしたい気持ちが年々大きくなっています。 自分が高校生だった頃は、グラウンドの中で全力を尽くすことだけに集中していました。スタンドを意識することはあまりなく、「お客さんが多いな」というくらいの感覚でした。2年連続で甲子園のスタンドから観戦して観客の目線を知った今は、見せ方を工夫できたと思っています。親や友人をはじめとするアルプスの応援や高校野球ファンの視線を感じながらプレーできたら、また違った感覚を味わえたと想像しています。 もし、高校生に戻って甲子園のグラウンドに立てるのであれば、プレー以外でも注目を集める方法を考えたと思います。例えば、打席に入る前のルーティーンや球場を沸かせる攻守交替の全力疾走など、名物をつくるのも一案です。試合前のノックで特徴を出すのも良いですね。個人やチームをブランディングすれば、相手にプレッシャーをかけたり、観客を味方につけたりする効果を期待できます。少しビジネス的な発想で、高校球児らしさには欠けるかもしれませんね。
- 3ミリ差の丸刈りやSサイズの美学 大阪桐蔭は見た目も勝負
■サイズはSかM 小さめのユニフォームが伝統 夏の甲子園は佳境を迎えています。残念ながら母校・大阪桐蔭が甲子園出場を逃しましたが、今夏は1点を争う好ゲームが多く、テレビ観戦を楽しんでいます。 甲子園は普段あまり野球を見ない人たちの関心が高いこともあり、試合以外の部分が注目されるケースが少なくありません。私たちの年代の大阪桐蔭では、ユニフォームが話題になりました。 大阪桐蔭では体にピタッとフィットしたユニフォームを着用します。おそらく、そのスタイルが始まったのは私たちの4学年先輩の代だと思います。現在、東北楽天イーグルスでプレーしている浅村栄斗選手を擁して、夏の甲子園で優勝したチームです。そこから小さめのユニフォームを着るのが大阪桐蔭の“伝統”となっています。 選手が着るユニフォームのサイズは大半がSかMです。大阪桐蔭に入学して最初に採寸した際に「少しきついかな」と感じましたが、担当者の方から「先輩たちはSかMを選んでいるよ」と言われたので、そのサイズ感に納得しました。ウエイトトレーニングで筋肉がついてくるとユニフォームがきつくなってきますが、当時は「いかに小さく着るか」にこだわっていましたね。 大阪桐蔭は出場できなかった今夏の甲子園 ■横は6ミリ、上は9ミリ 丸刈りにもこだわり ユニフォームの下に着るアンダーシャツにも、大阪桐蔭のスタイルがありました。高校野球ファンの方は、大阪桐蔭の選手がタートルネックのアンダーシャツを着ている印象がありませんか?ノースリーブでタートルネックという熱いのか寒いのか混乱するスタイルが、自分たちの少し上の世代では流行っていました。他の高校では見かけなかったので、既製品ではなくオーダーだったのかもしれません。 自分たちの代では一時期、ピチピチの半袖アンダーシャツが流行しました。ユニフォームもピッタリしていて袖が短く、その袖から少しだけアンダーシャツが見える着こなしに、かっこよさを感じていました。 見た目に関しては、実は髪型にもこだわりがありました。大阪桐蔭の野球部は全員が丸刈りです。ただ、何ミリにするかのルールはありません。それぞれが長くなってきたと判断して、バリカンを使って自分で短くします。 私は長さ6ミリの丸刈りを基本にしていました。そして、一見しただけでは分からないと思いますが、横は6ミリ、上は9ミリに整えます。少しだけ高さに差をつけた髪型が当時の大阪桐蔭では“おしゃれ”とされていました。やはり高校生なので、ルールの中で少しでもかっこよく見せたい気持ちがありましたね。 ■角を立たせた形が流行 帽子には洗濯ばさみ 帽子は角を立たせた形が流行りでしたね。これは大阪桐蔭だけではなく、当時の高校野球界全体の主流だったと思います。入学当初から先輩たちを見ていたので、きれいに角ができていないとイケてない感じがしました。寮では全選手が帽子に洗濯ばさみをつけて、角をつくっていました。 最近の高校野球では丸型の帽子が多くなっていますし、髪型も自由な学校が増えています。私が高校を卒業して10年余りですが、見た目の面でも時代の変化を感じます。
- 4番を意識しすぎて迷走 亜細亜大の夏練習と教訓
■高校と異なる大学の夏季練習 「個のスキル向上」がテーマ 前回のコラムでは「大阪桐蔭時代の夏休みの練習」をテーマにしました。今回は亜細亜大学野球部の夏休み期間についてお伝えします。 高校野球は春と夏の甲子園に照準を合わせるのに対し、大学は春と秋のリーグ戦で優勝を目指します。高校野球において夏休みは大会の真っ最中であり、大会直前は大切な練習や調整期間になります。 一方、大学はリーグ戦の合間になるので、高校とは位置付けが変わります。亜細亜大学では、個のスキルを高める期間と捉えていました。普段は選手の在籍する学部によって練習時間は異なりますが、夏休みは授業がないため全員が同じ時間に集まります。 夏休みの全体練習は午前6~7時に始まり、午後3~4時まででした。その後、夜7時頃まで自主練習となります。リーグ戦が近づくとノックで守備の連係を高めたり、投手のタイプ別に盗塁したりする実戦的なメニューになります。一方、夏休みはスイングする力をつけたり、走るスピードを高めたり、プレーのベースとなる部分を強化しました。 亜細亜大学でプレーしていた頃の水本 ■大学では4番で起用 長打力を求めて見失った長所 リーグ戦が終わると、ベンチ入りしていたかどうかも関係なくなるため、全員に同じ練習メニューが課されます。ただ、同じティー打撃やフリー打撃であっても、個々にテーマを持って取り組むことができます。 私の場合は、春のリーグ戦で見つかった課題を改善する時間にしていました。1、2年生の夏休み期間であれば、「長打力」をテーマに掲げました。大阪桐蔭ではバットの芯に当てるコンタクト率の高さを武器にしていたので、打順は主に1~3番を任されていました。 ところが、亜細亜大学に入学してからは4番や5番で起用されるケースが増えました。そこで、打球の飛距離を伸ばそうとスイングを大きくしたり、長いバットを試したりしました。 課題と向き合って試行錯誤すること自体は成長につながります。ただ、今振り返ると、違う方法や考え方があったと感じています。当時、私は今までのスタイルを捨てて、とにかくスイングを大きく豪快にする練習を繰り返しました。その結果、自分の打撃を見失い、スランプに陥りました。 ■長打力アップの方法は1つではない 失敗から学んだ教訓 社会人野球を経験し、現役引退後は野球指導の道を歩んだ今、フルモデルチェンジする必要はなかったと考えています。自分の長所を生かしながら、4番の役割を果たす方法もありました。打撃フォームは変えずにウエイトトレーニングでフィジカル強化するやり方も1つですし、打球方向を変える選択肢もあります。もし、当時の自分と同じ悩みに直面している選手がいたら、打率か長打かの一方に絞るのではなく、打率を残しながら長打力をアップさせる考え方を伝えたいですね。 前回のコラムで触れたように、大阪桐蔭では夏休み期間に暑さに慣れる練習もします。夏の大会に向けた対策の一環です。それに対し、亜細亜大学では暑さをしのぐ取り組みを積極的に進めていました。 例えば、夏場の練習ではソフトボール用のユニフォームが支給されました。ソフトボール用はハーフパンツなので、風通しが良くて野球用よりもかなり涼しいです。また、帽子もマラソンランナーがかぶるネットカバー付きのものでした。首の後ろが日に当たらないので、暑さをしのげます。チームを率いる生田勉監督は考え方が柔軟で、選手のパフォーマンスや練習環境を向上させるために、新しいことを取り入れようとしていましたね。
- 甲子園春夏連覇よりも強烈な記憶 大阪桐蔭“地獄”の夏練習
■年2回の強化練習 夏は厚着で走り込み 学生たちは夏休みに入りましたね。高校野球は夏の甲子園出場に向け、全国各地で熱戦が繰り広げられています。今回のコラムでは、野球関係者に質問されることも多い「大阪桐蔭高校の夏季練習」についてお届けします。 私が大阪桐蔭高校を卒業したのは2013年なので、今は野球部の練習が変化しているかもしれません。10年以上前とは言え、夏が来ると1年で一番きつかった練習を思い出します。 大阪桐蔭では夏休みと冬休みの年2回、強化練習期間が設けられています。練習は量も質も普段以上になる“地獄の期間”です。特に、夏は暑さとの戦いもあります。 他の高校と違う特徴として、大阪桐蔭の野球部は夏休みが長いです。他の生徒より早く夏休みを迎え、「追い込み」と呼ぶ強化練習に入ります。期間は5日から1週間を1クールとして、3~4クールありました。 この間、まずは暑さに慣れるところからスタートします。ユニホームの上にグラウンドコートを着て、マスクを着用して練習します。全体練習は朝から夕方まで続きます。練習メニュー自体は実戦を想定したノック、打撃や走塁など大きく変わりません。しかし、ウォーミングアップや全体練習後に走り込みが加わるなど、ランニングの強度が上がります。厚着をして練習しているので負荷も大きくなります。 大阪桐蔭では3年生の時に甲子園春夏連覇を達成 ■対策の成果 甲子園でも暑さ気にならず 追い込みを経験しているため、夏の大会でも暑さが全く苦になりませんでした。大阪大会でも甲子園でも、頭がボーっとしたり、足を吊ったりすることはなかったです。強化練習に参加するのは2、3年生に限られますが、離脱する選手はいなかったですね。 入学してから3か月ほどしか経っていない1年生は、夏までは環境に慣れる時期と位置付けられています。強化練習中は2、3年生より早めに練習を終え、先輩たちが寮に帰ってくる前に食事も済ませます。追い込みの最終クールだけ走り込みに加わるなど、段階を踏んでいきます。 甲子園切符をかけた大阪大会が近づくと、練習の目的が「調整」に変わります。全体練習の主なメニューはノック、シートバッティング、フリーバッティング、5カ所バント、守備課題。ベンチ入りメンバーは昼過ぎに練習を終えます。疲労を残さず、大会に向けてコンディションを整えます。 夏の追い込み期間が終わると、引退が見えてきたという感覚になります。それくらい、やり切った気持ちが大きいです。私は高校3年生の夏に甲子園で優勝しましたが、その時よりも追い込みを乗り切った瞬間の方が達成感は大きいかもしれません。今でも大阪桐蔭時代の思い出を聞かれると、甲子園の春夏連覇よりも先に、追い込みのきつさがよみがえります。
- 努力家・人間力・天才肌 心に残る最強のチームメートベスト5
■グラウンド内外で心強い仲間 1位の選手は「人生の師」 5月に投稿した「打席で驚いた投手ベスト5」のコラムの反響が大きかったので、シリーズ第2弾をお届けします。今回は「心に残るチームメートベスト5」です。 打席で驚いた投手ベスト5の時と同様、5人に絞り込むのは難しい内容でした。ランキングは高校や大学が同じだった選手だけではなく、日本代表など短期間のチームメートも対象にしています。 【5位:森友哉捕手(オリックス)】 森選手は大阪桐蔭高校で1学年後輩でした。打撃がセンスの塊で、「天才」の一言に尽きます。2024年11月に投稿したコラムでも森選手の打撃については触れましたが、体が強くて技術も高い。弱点が見当たらず、フリー打撃をしていても1人だけバットから響く音が違いました。 森選手が打撃に悩んでいる姿を見たのは一度だけでした。最終的に優勝を果たした2012年選抜高校野球大会の開幕直前、「調子が悪い」といって室内練習場に残って打撃練習をしていました。 森選手は打線の中心を担っていたので心配していましたが、センバツ初戦では花巻東の大谷翔平投手から逆方向への長打を放つなど、3打数2安打、2四死球と打線を牽引しました。その後も準々決勝の浦和学院戦で3安打、準決勝の健大高崎戦で本塁打を記録するなど大活躍でした。 【4位:吉田正尚外野手(レッドソックス)】 大学は違いましたが、大学日本代表で一緒にプレーした1学年先輩です。決して体は大きくないにもかかわらず、飛距離がずば抜けていました。しかも、コンタクト率が高く選球眼も抜群。どんな投手に対してもタイミングを合わせるのが上手かったですね。 それから、自らを客観視する「メタ認知」にも長けていました。自分自身を知り尽くしているので、全員がウォーミングアップでランニングしている時、吉田選手だけはフェンス際でチューブを使って内転筋を刺激するメニューに取り組んでいました。どんな練習や準備をすれば試合でベストな結果を残せるのか、大学生の時点で熟知していたのだと思います。 意外だったのは、ウエイトトレーニングをしていなかったことです。日本代表では同じ部屋で2週間くらい過ごしましたが、一度もウエイトをしていませんでした。おととし、一緒に自主トレする機会をいただいてジムに行った時も、ベンチプレスやスクワットでも軽い負荷で下半身と上半身を連動させるメニューがメインでした。吉田選手はマッチョマンと呼ばれていますが、そのイメージとトレーニング内容にギャップを感じました。 【3位:坂本誠志郎捕手(阪神)】 坂本選手も1学年上で大学は違いましたが、大学日本代表でチームメートでした。坂本選手とも代表の部屋が同じでした。3位に挙げた理由は観察力です。グラウンド内外で、どの選手が何をしているのか、どんなクセがあるのかなど見ていました。 私は外野手だったので練習中の接点は少なかったものの、部屋ではよく会話しました。坂本選手は「あの投手はブルペンで投げ過ぎたらダメなタイプ」、「あの投手はスライダーでストライクを取れなくなったら交代のタイミング」など、限られた期間で投手の特徴を詳しく理解していました。監督のような存在でしたね。 【2位:木浪聖也内野手(阪神)】 亜細亜大学の同級生です。グラウンドに一番早く来て、最後まで練習する努力家でした。亜細亜大学の練習は「日本一厳しい」とも言われています。その中で、木浪選手は全体練習の後も自主練習で個人の課題に取り組む並外れた体力と精神力がありました。チームの模範となる選手でしたね。野球塾を運営する立場となった今、私は木浪選手を思い出しながら「練習できる体力がないと上手くなれない」と子どもたちに伝えています。 木浪選手は走力や肩の強さも突出していません。体は私より細いくらいでした。けがもあってレギュラーに定着できない時期があり、そこまで目立つ選手ではありませんでした。正直、大学時代はプロになる選手とは想像していませんでした。 ところが、Hondaに進んで社会人野球で対戦した時、あまりの変化にビックリしました。打撃が大学時代と比較にならないほど、スケールアップしていたんです。亜細亜大学では長距離砲がいたこともあって、木浪選手はバットを短く持って、つなぎ役に徹していました。Hondaではバットを長く持つスタイルに変え、飛距離も柔らかさも格段に向上していました。大学を卒業してから開花したのは、それまでの努力の積み重ねがあったからこそだと思っています。 【1位:嶺井博希捕手(ソフトバンク)】 亜細亜大学で3学年上の先輩でした。嶺井選手のすごさは、人間性です。細かいところまで目配り、気配りができる先輩で「嶺井さんのような人間になりたい」と思わせる存在でした。 社会人になってから嶺井選手の教えが生きた場面が多々あります。例えば、亜細亜大学では納会や祝勝会で、会場にいる関係者の方々に挨拶回りをします。その際、嶺井選手に同行していた私は、関係者と会話をしながらグラスを見てお酒を注いだり、灰皿を用意したり、取り皿を交換したりするなど、相手を見て一歩先に行動する大切さを学びました。相手の行動を観察し、気持ちや考えを想像する姿勢はビジネスの場で大切にしています。 大学の1年生と4年生は一般的に直接話をする機会がほとんどありません。特に嶺井選手はグラウンド内で厳しく、2、3年生もあまり話しかけているところを見かけませんでした。私はオフの日に治療院へ連れて行ってもらったり、2人で食事に行ったり、目をかけてもらいました。生田勉監督から「水本の面倒を見てほしい」と頼まれたのか、私が1年生から試合に出ていたからなのか、理由は分かりませんが、嶺井選手の近くで過ごした時間は人生の財産になっています。 以上、「心に残る最強のチームメートベスト5」でした。私は東邦ガスで社会人まで選手を続け、野球を通じて多くの人たちと出会いました。まだまだ紹介したい選手がいるので、コラムでも伝えていきたいと思います。
- 野球と起業がつないだ縁 人前で語る“失敗談の価値”
■5月に名古屋市で卓話 「野球から得た財産」を披露 先日、名古屋市で卓話の機会をいただきました。5月で起業して丸2年が経ちましたが、最近は講演や卓話など、人前で話す依頼が増えました。今回の卓話は参加者に経営者が多く、依頼を受けた際は「まだ経営者の経験が浅い自分で大丈夫なのだろうか?」と少し不安がありました。 しかし、実際に卓話を終えると、わざわざ多くの参加者から「すごく良い内容だった」、「講演を仕事にできるんじゃない」などと声をかけていただきました。自分の経験や考え方が、年齢や職種の異なる方々にも参考になったのであれば、すごくうれしいですね。 今回の卓話では「野球から得た財産」がテーマでした。参加者の興味を最も惹きつけられたのは、大阪桐蔭高校時代の話だったと思います。「春夏連続で甲子園優勝」という結果は、間違いなく私の人生で大きなターニングポイントになりました。選手だった頃はもちろん、野球を引退してからも「甲子園春夏連覇」と「大阪桐蔭元主将」の肩書きは、私の強みです。初対面の人たちと会話のきっかけになり、顔と名前を覚えてもらいやすいです。人脈を広げる上で、強力な武器になっています。 ただ、大阪桐蔭時代を振り返ると、一番の思い出は甲子園優勝ではありません。よみがえるのは、きつかった練習ばかり。痛みや疲労で動かない体に鞭を打って泣きながらトレーニングしたり、暑さ対策として真夏に厚着をしてマスクをつけてフラフラになる中でボールを追ったりした記憶を真っ先に思い出します。実は春夏連覇を成し遂げた直後も、達成感や喜び以上に沸き上がった感情がありました。 「ようやく、高校野球が終わった。きつい練習から解放される」 名古屋市で卓話の機会をいただきました ■成功の裏にある苦労や失敗 ビジネスや人生にも共通点 甲子園優勝を目標に掲げるのは簡単です。でも、高い目標を達成するには文字通り「血のにじむような努力」が求められます。それを高校生で経験できたのは、その後の人生に役立っています。成功を収めるには必ず理由があり、成功の裏には周りの人からは見えない苦労や失敗があると知っているからこそ、起業してからも課題に対して前向きに取り組めています。 野球を通じた苦労話や失敗談は、ここで書ききれないほどあります。人前で披露する機会が訪れるとは想像していませんでしたが、他の競技やビジネスにも共通する部分があるので、講演で好まれているのだと思います。 卓話や講演は話す時間が長いので、“箸休め”になる話題も入れています。反応が良いのは、やはり大谷翔平選手の話。春のセンバツでの対戦や高校日本代表でチームメートだった時のエピソードは、参加者の興味が一段階上がっているのが分かります。 ■講演は新たな出会いの場 輪が広がるワクワク感 初めて講演を打診された時は引き受けるか迷いましたが、何度か回数を重ねる中で「挑戦して良かった」と感じるようになりました。その理由は、いくつかあります。一番の理由は、新たな出会いの場になるところです。 経歴や考え方、今後の目標など自分自身について1時間も人前で話し続ける機会は日常生活でほとんどありません。「私がどんな人間なのか」を知ってもらった上で関心を持ってくれた方々と講演後にお話すると、親近感を持って接してもらえます。野球談議や共通の知人、同じような苦労話や失敗談で盛り上がります。 また、講演の中で触れた弊社の事業に興味を持ち、「野球経験者に特化した人材紹介について、改めて詳しくお話を聞かせてください」という連絡も受けました。野球をしていた頃にも感じていましたが、交流が広がっていくのはワクワクします。 卓話では野球を通じて得た学びや出会いについてお話しました ■恩師の話し方も参考に 継続する重要性を実感 それから、継続する大切さも実感します。私は大阪桐蔭高校でも亜細亜大学でも野球部の主将でした。全校生徒が集まる激励会や報告会など、大勢の前で話すことに慣れていました。ところが、社会人になって人前で話す場が全くなくなりました。社内で発表する機会が訪れたのは、選手を引退して社業に専念してからです。ブランクがあったため苦手意識が芽生えていました。 起業してからは営業先の限られた人数の前でプレゼンをするくらいでした。そのため、最初に講演の依頼を受けた時は自信がありませんでした。ただ、講演を重ねるうちに、参加者の表情や反応を見ながら話すペースや内容を調整するなど、感覚が戻ってきました。今は苦手意識もなく、迷わずに依頼を受けています。やはり、継続や慣れが何事にも大切だと感じています。 振り返ると、大阪桐蔭の西谷浩一監督や亜細亜の生田勉監督は人前で話すのが上手かったですね。西谷監督は「謙虚」、生田監督は「強気」とタイプは異なりましたが、報告会や納会などで聞いている人たちを惹きつける話し方をしていました。自然と周りが応援したくなる、周りを味方にしていく印象を受けました。 私は学生時代に偉人の自伝を読むのが好きでした。失敗を乗り越えたり、崖っぷちから這い上がったりするストーリーを読むと活力が湧いてきます。私も失敗を恐れずに挑戦を続け、講演では参加者の方々の心を動かすお話ができるように努めていきたいです。











