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  • 3つの事業は堅調 2025年は新たに2つの事業立ち上げへ

    ■久しぶりの初詣 おみくじは… 明けましておめでとうございます。いつもコラムをご覧いただき、ありがとうございます。今年も事業や野球に関する情報を発信していきます。よろしくお願いいたします。   2025年がスタートしました。私は体調不良でダウンした状態で年明けを迎えました。2024年最後の仕事となった12月28日、地元・石川県で開催した能登半島地震の復興野球イベントを無事に終えて1年間張りつめていた緊張から解放され、体が安心したのかもしれません。   体調が回復してからは、初詣に行きました。例年は行かないのですが、福岡県に行く用事があって太宰府天満宮を訪れました。学問や厄除けの神様で知られていることから、ご利益を受けたい思いでした。おみくじは吉で、仕事に関しては「今のまま続けていけば大丈夫」という前向きな内容が記されていました。もちろん、神様にお願いするだけではなく、目標に向けて日々努力していくつもりです。   2025年の抱負には「2つの新規事業立ち上げ」を掲げています。会社は「年」ではなく「期」で目標を立てるので、正確に言うと来期の抱負となります。イレギュラーなことが起こらない限り、事業を2つ新たに始めます。内容を発表できるタイミングが来たらご報告するので、もう少しお待ちください。   ■現状維持より「挑戦」 道筋見えた事業で勝負 現在展開している3つの事業「野球塾の運営」、「野球経験者に特化した人材紹介」、「バットの開発・販売」は、どれも順調に業績を伸ばしています。以前のコラムでもお伝えしていますが、野球塾は昨秋に小学1年生から3年生を対象にしたジュニアレッスンを新たに始めました。スタートから1、2か月で選手は20人に達し、お問い合わせや申し込みが増えています。レッスンを受けていた選手が所属チームで結果を出して、その選手のチームメートが入ってくるパターンが多いです。   人材紹介も就職・転職希望の登録者が急増しています。企業からの内定や入社の数も増えました。昨秋に執行役員で加わった小林満平の力が大きいですね。彼は社会人まで野球を続け、現役引退後はITコンサルティング会社で働いていました。これまでの知識と経験が、野球経験者のネクストキャリアをサポートする役割でも生かされています。2025年は求職者の方々の選択肢を一層広げられるように、企業側の開拓を強化していきたいと考えています。   バットの売れ行きも好調なので、周囲からは「これ以上、別の事業を増やさなくても良いのではないか」と言われることもあります。確かに、今の事業を継続していけば安定した生活を送れるかもしれません。ただ、新しい事業に挑戦したい気持ちが沸き上がってきます。   そうは言っても、何でも手を付けるわけではありません。将来性があると思った事業について詳しく調べて、自分たちの会社の強みを生かせるのか、どんな戦略で勝負するのかを考えます。事業として進めるのは、考えを掘り下げた上で、勝てる道筋が見えたものだけです。どんな事業にも当然リスクはありますが、成功する確率の高い事業を選んだり、失敗する確率を下げたりすることは可能です。   ■選手時代から変化 経営者の目標設定 選手だった頃と違って、経営者になってからは目標や達成までのステップを明確に描くようになりました。野球をしていた時は「春夏連続で甲子園優勝」といった大きな目標は掲げていましたが、そこに至るまでの細かな目標は定めませんでした。その時に直面する課題を1つずつクリアする考え方を持っていました。   ビジネスや野球塾、講演会などでお会いした方々には、大阪桐蔭高校時代の年末年始の過ごし方をよく質問されます。当時は3~4日の休日があり、実家に帰省していました。普段よりはゆっくり過ごせたものの、年始の全体練習初日から動けるようにランニングや筋トレをしたり、治療院で体のケアをしたりしました。高校生の頃はすねの内側に痛みが出るシンスプリントに苦しみ、疲労骨折寸前と言われていました。亜細亜大学の時も年末年始の休みは3~4日、東邦ガスでは1週間くらいでしたね。   2025年は年始の休みに体調を崩したことで、結果的に体も心も休まりました。充電は完了したので、1年間駆け抜けたいと思っています。

  • これからの野球指導者に必要な要素 小、中学生と保護者の変化

    ■SNSや動画で学べる時代 選手や保護者の熱量アップ 以前のコラムで弊社が展開している野球塾「Amazing名古屋校」についてお伝えしました。今回は指導を通じて私が感じている小、中学生の変化や指導方針を書いていきたいと思います。   野球指導を始めて、約2年半が経ちました。おかげさまで、野球塾は土日に新たな枠を設けるほど選手が集まっています。小、中学生と接していて感じるのは「野球を学ぶ熱意」です。新しい理論や技術、取り組んでいる練習の狙いなど、私の説明を熱心に聞いていますし、積極的に質問する選手も多いです。   私は小学2年生で野球を始めて社会人まで続けましたが、どちらかと言うと選手時代は感覚でプレーしていました。指導する立場になって、体の使い方や練習メニューを掘り下げて考えるようになり、「選手の頃に知っていたら、結果が違っていたかもしれない」と思う時が少なくありません。野球の見方や考え方は引退してから明らかに変わりましたね。   野球塾で驚かされるのは選手たちの熱量だけではありません。保護者の方々が、子どもと一緒にSNSや動画でものすごく野球を勉強していると感心しています。レッスンが終わると、「さっきの練習はどんな意図があるのですか?どのような動きをポイントにしてチェックすれば良いですか?」などと質問を受けます。野球経験がないので勉強しようとしている保護者が増えている印象です。経験がないからこそ、指導者に感覚ではなく言語化を求めているのだと思います。   ■練習に求められる根拠 選手に合わせた指導  私は幸運にも、めぐり合った指導者が練習や戦術について根拠や意図を示してくれるタイプでした。これからの指導者は今まで以上に、選手や保護者の質問に根拠を持って答える知識が求められると感じています。   私たちの説明に納得すると野球塾の選手たちはしんどいメニューでも積極的に取り組みますし、保護者も指導者への信頼が高まります。そこが欠けてしまうと、野球塾もチームも選手が集まらなくなってしまいます。   私の指導は選手時代の経験よりも、野球塾で選手たちと過ごすことで得られる経験がベースになっています。選手を観察していると改善点が見えてきます。そして、どのように修正するとパフォーマンスが向上するのか説明した上で、その動きが身に付くドリルを勧めます。まだ知識や経験が少ない小学生は特に、言葉だけでは完全に理解できないケースがあります。その時、動きが「自然と」身に付くドリルが効果的です。   成長期の小、中学生は体格に差があり、野球経験も違いがあります。同じ動きを教えても、最初からある程度できる選手と上手くできない選手がいます。ドリルは、それぞれの選手に合った内容を組みます。例えば、バッティングで重要な動きの1つに「捻転」を教える場合、私たちの野球塾では捻転のメニューだけでも10種類以上あります。どのメニューが選手にとってベストなのか、1つずつ試して観察しています。   ■情報あふれる時代 高まる指導者の役割 そして、バッティングに関しては、まずバットをたくさん振るように伝えています。その理由は、スイング数の多い選手は体の動きを再現する能力が高く、新しい動きの吸収も早いからです。小学生の段階では正しい軌道でスイングできているかよりも、スイング量が大事だと私は考えています。バットを振る感覚や振る力が養われると、スイングを修正する際に必要な基礎が固まるイメージです。その基礎を覚えた選手が打球をより遠くに飛ばし、より確実にバットの芯で捉えるスイングを身に付ける指導をするのが私たちの仕事です。   私もInstagramやYouTubeで野球の技術や練習法を発信していますが、今の時代は情報や動画があふれています。誰でも自由に発信できることから「間違った内容が多い」、「情報の取捨選択が困難」といったネガティブな意見もあります。確かに選手たちに見てもらいたくない内容があるのは事実です。ただ、私は見聞きする情報が多いこと自体はポジティブに捉えています。   野球経験のない保護者は、動画を見ても本質まで理解できないかもしれません。その疑問や不安を解消するのが指導者の役割だと考えています。動画通りに練習しても上達しない時は、理論や練習法が間違っているわけではなく、その選手に合っていないことが原因の可能性もあります。そこを見極める目と選手に適した練習法を提案する引き出しが指導者になければ、選手に野球が上手くなる楽しさを伝えられません。現状に満足せず、指導力を高めていきたいと思っています。 ■12月28日に開催「GO!能登 応援プロジェクト」 皆さんに1つお知らせです。12月28日に、私が生まれ育った石川県で「GO!能登 応援プロジェクト」と題した野球イベントを開催します。能登半島地震からの復興を目指す石川県を元気づけようと、地元出身のプロ野球選手も参加します。今回は約80人の定員がすでに埋まりましたが、今後もイベントを実施していく考えです。   私は野球を通じて人として大切なことを学び、仲間にも恵まれました。ユニホームを脱いでからも、ビジネスで野球と深く関わっています。お世話になっている野球界に恩返ししていくつもりです。全国各地で開催しているイベントも、その1つです。   「GO!能登 応援プロジェクト」は地元の関係者にご協力いただき、企業の方々に協賛していただきました。野球振興や野球を通じた地域貢献など、同じ思いを持った方々との輪を広げていきたいと思っています。

  • 「弱点が見つからない」 野球人生で出会った「最強打者」

    ■大学1年であきらめたプロ 日本代表の練習で自信喪失  前回のコラムでは甲子園の思い出をお伝えしました。今回のテーマは、私の野球人生で出会った「最強の打者」についてです。   小学2年生で野球を始めてから社会人野球の東邦ガスで現役を退くまで、私は何百、何千の選手を見てきました。プロ野球選手になった選手も数多くいます。中学時代に所属していた石川県の白山能美ボーイズでは、現在DeNAに所属する京田陽太選手が同学年のチームメートでした。亜細亜大学では阪神の木浪聖也選手が同級生です。   大阪桐蔭高校では、米国でプレーしている藤浪晋太郎投手やロッテの澤田圭佑投手が同級生でした。高校3年生の時に選出された日本代表のチームメートには、ドジャースの大谷翔平選手もいました。   私は大学1年生まで、プロ野球選手を目指していました。しかし、ある出来事から夢をあきらめました。それは、日米野球の大学日本代表に選ばれた際の練習です。当時はバッティングに絶対の自信を持っていましたが、2人の選手のフリー打撃を見て愕然としました。   その2人は、ソフトバンクの山川穂高選手とレッドソックスの吉田正尚選手です。スイングスピード、飛距離、ミート全てにおいて格が違いました。吉田選手は私より体が小さいのに、逆方向に柵越えを連発していました。   ■山川選手と吉田選手を超える驚き 「最強打者」は大阪桐蔭の後輩  私は足が速いわけでも、肩が強いわけでもなかったので、プロで活躍するにはバッティングしかないと考えていました。ところが、山川選手や吉田選手とは勝負できるレベルにないと痛感しました。この時、所属していた亜細亜大学での残り3年間はチームの勝利のために全てを尽くそうと決めました。   山川選手と吉田選手は学年が上という要素を差し引いても、私のバッティングでは到底及びません。ただ、この2人以上にすごいと感じた「最強打者」がいます。今までに出会った中で最もすごかった選手を問われたら、私は迷わず「森友哉」の名前を挙げます。   1学年下の森選手は、大阪桐蔭に入学してきた当初からバットの芯で捉える技術が突出していました。芯を外すことはほとんどありませんでした。今振り返ると、タイミングの取り方が上手かったと感じています。   打球の音も1人だけ異次元でした。チームには色んなメーカーの金属バットがあるので、それぞれ音に特徴がありました。でも、森選手だけは、どのバットを使ってもみんなと音が違うんです。金属バットの音ではない、パカーンという聞いたことのない音がグラウンドに響いていました。   ■「弱点が分からない」 森選手にだけ感じたすごさ 練習では、どの選手も自分のバットを使います。ところが、森選手は「バット借りま~す」と先輩に声をかけ、バッティング練習で自分のバットを使っていませんでした。それでも、シート打撃で2打席、3打席連続でホームラン。森選手にはバットの長さや重さは関係ありませんでした。   私が森選手に感じた一番のすごさは「弱点がなく、調子の浮き沈みが小さいところ」です。同じチームでプレーして距離が近くなると、味方の弱点が分かります。日本代表のように一緒に過ごす期間が短くても、普段は対戦して怖さを感じる打者の苦手な球種やコースが見えてきます。同じチームになると、どんなすごい打者でも怖さがなくなるんです。   私は高校、大学、社会人、さらには選抜チームや日本代表で、後にプロ入りした多くの選手とともにプレーしました。その中で、森選手だけは最後まで弱点が分かりませんでした。高校時代は打率だけは負けない思いで練習し、大会によっては森選手の数字を上回った時もありましたが、バッティング技術という面では全く届かなかったですね。   森選手と自分の差を感じたエピソードには「情報共有」があります。大阪桐蔭では、打席で目にした相手投手の投球について選手同士が情報を共有します。当時、森選手の打順は1番で、私は3番でした。森選手がヒットで出塁すると、コーチャーを通じて森選手が打席で感じた印象が私に伝えられました。   ■「球が全然きていない」 森選手の言葉を信じたら凡退 他の選手からは、「真っ直ぐが手元で伸びて、球速表示より速く感じる」、「スライダーの曲がりが小さくてカットボールに近い」といった細かい情報が入ってきます。しかし、森選手からの情報は、いつも同じ内容でした。「真っ直ぐは全然きていません」、「変化球も問題なく見えます」。森選手の言葉を信じて打席に入った結果、真っ直ぐに差し込まれて凡退した時もありました。   森選手からは、相手投手を警戒する言葉を聞いたことはないですね。高校時代は、ずっと「球がきていない」感覚で打席に立っていたのだと思います。   森選手は野球の才能が突出していたのは間違いありません。ただ、その能力に胡坐(あぐら)をかいていたわけではなく、しっかり練習もしていました。自主練習を人一倍やるよりも、全体練習でいかにパフォーマンスを上げていくかを考えながら動いていた印象です。   森選手を含み、大阪桐蔭からは毎年のようにプロ野球選手が誕生しています。チーム内競争が激しい大阪桐蔭では、プロに行けるレベルの選手を目指して練習するので自然と個々の力が上がります。当たり前の基準が高くなっていくわけです。そこに、毎年選手が入れ替わっていく中でも安定した成績を残せている理由があると考えています。

  • 高校卒業以来初の甲子園 よみがえる聖地の記憶

    ■人生で3度目 甲子園のスタンドで観戦 今回のコラムでは甲子園の話をしたいと思います。今夏、甲子園球場に行きました。高校最後の夏に日本一を達成して以来の訪問です。お目当ては、母校・大阪桐蔭と小松大谷の一戦。実は甲子園のスタンドで観戦するのは人生3回目で、大阪桐蔭の試合を見るのは初めてでした。最初に甲子園で試合を見たのは中学生の時、2回目は高校3年生のセンバツで1回戦に勝った後、2回戦の偵察でした。   高校を卒業してから10年以上経ちましたが、母校の試合結果はずっと気にかけています。私たちの頃と違って、今の大阪桐蔭は「甲子園に出るのは当たり前」という目で見られています。ミスをしたり、相手チームがチャンスをつくったりすると、球場全体が大阪桐蔭にとって“完全アウェー”に変わるとニュースで見ていました。実際の雰囲気を確かめたくて、甲子園を訪れました。   購入したチケットは大阪桐蔭のベンチ上でした。まず感じたのは、スタンドとグラウンドで感覚が全く違ったことです。スタンドにいると、「こんなに見られていたのか」、「応援がものすごい」と驚きました。   もちろん、グラウンドにいる時も声援は聞こえます。スタンドを見る余裕もあったので、「お客さんがたくさん入っているな」と感じながらプレーしていました。ただ、スタンドからプレーを見ている方が声援を大きく感じて、高揚感がありました。高校時代に平常心でよく試合ができていたなと思うくらい、スタンドで体感した声援は迫力がありました。   ■“完全アウェー”を体感 高校球界トップに立った証 振り返ってみると、私たちの時のチームは大半の選手が大阪を中心に関西出身者でした。主力メンバーで遠方から来ていたのは、石川県出身の私と愛媛県出身で現在はロッテに所属している沢田圭佑投手くらいでした。今は全国各地から選手が集まっています。   そして、西谷浩一監督が甲子園の通算勝利数で歴代1位に立っていることからも分かるように、日本中の強豪校が「打倒・大阪桐蔭」を掲げています。私たちの頃は関西出身者でチームが構成され、そこまで絶対的な存在ではなかったため、“完全アウェー”にはならなかったのだと思っています。   今回、甲子園のスタンドで“完全アウェー”の空気を感じたタイミングはありました。ただ、大阪桐蔭は決して“悪役”として見られているわけではありません。良いプレーをすれば拍手が沸きますし、得点した時にもため息が漏れるわけではなく歓声が上がります。   アウェーの雰囲気がつくられるのは、チャンスや得点の場面で起こる声援や歓声が、大阪桐蔭に対してよりも相手チームに向けたものの方が大きいからだと思います。これは、大阪桐蔭が高校球界で確固たる地位を築いた証と言えます。   今の大阪桐蔭の選手たちは、スタンドの声にも動じない心が求められています。高校生にとっては低いハードルではありません。でも、常に日本一を掲げている大阪桐蔭は、あらゆる状況を受け入れて、準備や対策を講じているはずです。今夏の観戦では母校の勝利を見ることはできませんでしたが、次回はスタンドで校歌を歌いたいですね。   ■最も印象深い花巻東戦 大谷翔平選手と対戦 私は主将を務めた2012年の春と夏に甲子園に出場しました。仲間に恵まれて、史上7校目となる春夏連覇を成し遂げました。記憶に残っている試合はいくつかありますが、特に印象深いのは2012年センバツの初戦で対戦した花巻東戦です。開幕日の最後の試合に組まれ、私にとって初めての甲子園で初のナイターでした。   試合中は半分夢の中にいるようにフワフワしていて、試合展開がものすごく早く感じました。後にも先にも体験したことのない感覚でした。最終的には9-2と差を付けて勝利しましたが、5回まで0-2でリードを許す苦しい展開でした。当時は「自分たちは強い」と全く思っていなかったので、「やばい、やばい」とものすごく焦っていました。   その中でも、西谷監督は全く動じず、普段通りでした。ベンチでは「この試合は後半勝負になる。耐えていればチャンスがくる」と繰り返していました。花巻東の先発投手は現在ドジャースに所属する大谷翔平選手でした。実は、大谷選手はけがの影響で岩手大会や東北大会にほとんど登板しないまま、センバツに入っていました。   ぶっつけ本番でも好投できるのが他の選手との違いですが、西谷監督は1試合を投げ切れる体力がないと見ていました。その分析通り、6回にチャンスが訪れます。2つの四球と2本の安打で3点を奪って逆転。さらに、7回に4番・田端良基選手の2ランでリードを広げました。   ■ヒットを打っていれば…出塁は人生の自慢 甲子園初勝利は、これまでにない特別な1勝です。ただ、この試合では1つだけ心残りがあります。野球を辞めて社会人になってからも、大谷選手と対戦した話をする機会があります。その時、必ずと言っていいほど、「ヒットを打ったんですか?」と聞かれます。私は大谷選手にノーヒットに抑えられました。あの時、ヒットを打っていれば…。大谷選手からヒットを打ったと言えるか言えないかで全然違ったという後悔があります。   ヒットは打てませんでしたが、1つ誇れるのは6回に選んだ四球です。私が先頭打者で出塁して、結果的に逆転につながりました。この貴重な出塁は自慢です(笑)。

  • 地元・石川県で初の講演 野球でつながる縁に感謝

    ■ 生まれ育った石川県野々市市から基調講演の依頼 私が野球をしてきて良かったと感じていることの1つに「出会い・ご縁」があります。大阪桐蔭高校では遠征が多かったこともあり、全国各地に野球を共通言語にした仲間が増えました。亜細亜大学や東邦ガスでも同様、チームメートだけにとどまらず、所属チームや年齢を超えて様々な人たちと親しくなりました。共通の知人がいたことから話が盛り上がり、距離が縮まったケースも多いです。   2年前に起業してからも、野球を通じた縁に恵まれています。先日初めて経験した基調講演も、その1つです。9月27日、私は生まれ育った石川県野々市市の依頼を受けて、「これまでの野球人生と企業スポーツの支援」をテーマに講演してきました。きっかけは、その3か月前に地元の少年野球チームにバットやグラブを寄贈したことでした。   野々市市で野球を始めていなければ、間違いなく今の私はありません。楽しい思い出や人間的な成長、財産となっている人とのつながりも野球をしていたからです。起業を決めた時、どこかのタイミングで地元や野球界に恩返ししたいと考えていました。   まだ私が経営する会社の規模は大きくありません。ただ、自分にできることから始めていこうと思い、6月に野々市市を訪れて子どもたちに野球用具を手渡しました。その時、野々市市から「機会があったら、今までの経験をお話していただけませんか?」と声をかけていただき、今回の基調講演が実現しました。今後も野々市市をはじめとする石川県で積極的に活動していきたい私にとっては、すごくありがたいお話でした。   ■大阪桐蔭の強さの理由に参加者は興味津々 これまでに取材を受けたり、YouTubeの動画を撮影したりする経験はありますが、講演は初めてでした。地元の企業やスポーツ協会の方々が約100人集まる場で、45分もスピーチできるのか。光栄で楽しみな気持ちがある反面、不安もありました。   まずは、何を話すのか構成を考えました。自分の野球人生を振り返ってメモしていくと、次々に思い出や学びが出てきました。その中から、基調講演の出席者が興味を持ちそうな話題や参考にしてもらえそうなテーマをしぼっていきました。原稿を書いてパワーポイントの資料をつくり、リハーサルしてから本番に臨みました。   本番で心掛けたのは間の取り方です。緊張すると話すスピードが速くなってしまい、一方的に伝える形になってしまいます。しっかり準備できたこともあって、当日は参加者の反応を見る余裕がありました。時間配分も予定通りで、45分の講演と10分の質疑応答を無事に終えられました。   参加した方々の関心が高かったのは大阪桐蔭高校の練習メニューや西谷浩一監督の指導方針、それから選手の体が大きいイメージがあるようで食事に関する質問もありました。私は人一倍きつい練習や寮生活を経験してきたので、その経験が「野球引退後にどのように生きているのか」もたずねられました。   ■ドジャース・大谷翔平選手とのエピソードも披露 その他には、ドジャースでプレーしている大谷翔平選手についての話も反応が良かったです。私は高校2年生のセンバツで初めて甲子園に出場しました。その時に初戦で対戦したのが大谷選手擁する岩手県の花巻東高校でした。試合には勝利したものの、投打で大谷選手のすごさを実感した試合でした。マウンドに立った大谷選手に私はノーヒットに抑えられ、打撃ではライトを守っていた私の頭上を越えるホームランを見せつけられました。   甲子園での対戦は、この一度だけでした。ただ、高校3年生の時に18歳以下の日本代表でチームメートになりました。そこから親交が深まり、大学時代は当時日本ハムに所属していた大谷選手に食事やサプリメントについて聞くために連絡したこともありました。   講演後は全ての参加者と言っても良いくらい、皆さんがご挨拶に来てくださいました。講演の感想をいただいたり、石川県のために力を貸してほしいとお声がけいただいたり、新たな出会いに恵まれる充実した時間でした。講演の依頼をいただいた野々市市や参加していただいた方々には、改めて感謝申し上げます。   講演翌日には、石川県金沢市で小、中学生を対象にした野球指導のイベントを開催しました。石川県での野球イベントは3回目でしたが、今回は募集をかけてわずか1日で定員が埋まりました。できるだけ多くの子どもたちと触れ合いたいので、頻度を増やしていけたらと思っています。   ■石川県に室内練習場の計画 年末は復興イベント 実は今、石川県に室内練習場をつくって、野球塾を運営する計画を進めています。最大のハードルは場所です。室内で硬式ボールを使える場所は、なかなか見つからないんです。雨や雪で練習ができずに悩んでいるチームや選手の声も聞いているので、野球塾の時間以外は一般向けの貸し出しを予定しています。   起業したことで自分のスケジュールを調整しやすくなり、最近は石川県に行く機会を増やしています。12月28日には能登町の「スポーツセンターろくせい」で石川県にゆかりのあるプロ野球選手を招いたイベント「GO能登!野球応援プロジェクト」を開催します。被災地を野球で元気にする目的です。   うれしいことに、基調講演で知り合ったことがきっかけで「GO能登!野球応援プロジェクト」に協賛してくださる企業も現れました。こうやって同じ思いを持った人たちとつながり、輪が広がっていくことが一番の喜びです。   地元への恩返しは一般的に、事業で成功してから行動する人が多いと思います。私も元々、経営者として会社の収益を安定させて、お金や時間にゆとりができてから動き出そうと考えていました。でも、今は事業と地元での活動を同時に進めていく考え方に変わりました。その理由は、いくつかあります。   ■「今を大切に」 地元での活動と事業を同時進行 元日の能登半島地震では、当たり前の日常が奪われました。「そのうち行動しよう」という考え方では、手遅れになって後悔するかもしれません。これまで以上に、「今」を大切にしようと痛感しました。   それから、地元での活動や出会いは仕事の活力にもなります。業績を伸ばせば、それだけ地元に還元できることが増えるわけです。野球用品の寄贈は基調講演につながり、基調講演は野球イベントや室内練習場の計画へと発展しています。今後も石川県の皆さんと交流を広げ、故郷の力になりたいと考えています。   講演は初めての経験でしたが、すごく楽しい時間でした。話し切れなかったエピソードもまだまだあるので、また機会をいただけたらうれしいです。

  • 打率と飛距離を両立 野球塾の指導から生まれたバット

    ■理想のスイングが自然と身に付くバット「Newton」開発 弊社では主に3つの事業を展開しています。今までのコラムで「野球経験者に特化した人材支援」と「野球塾の運営」についてお伝えしました。今回は「バットの開発・販売」のお話を進めていきたいと思います。   弊社では「Newton」と名付けたバットを販売しています。バットの開発に取り組んだ理由は、野球塾での指導経験でした。私たちの野球塾「Amazing 名古屋校」の打撃指導では、「バットの重みを感じるスイング」や「バットを寝かせる動きをつくって遠心力を生かしたスイング」を大事にしています。 打率を上げると同時に、体が小さくても飛距離が出るバッティングフォームを覚える上で重要な動きになるからです。   野球塾に定期的に通っている選手たちは、理想的なフォームを身に付けています。ただ、習得までの時間には個人差があります。特に知識や経験が少ない選手は、私たち指導者の説明をイメージするのが難しいケースがあります。「もっと効率良く選手たちが動きを習得する方法はないだろうのか」。私が考えたのは「スイングするだけで感覚が分かるバットの開発」でした。   ■試行錯誤重ねて実打可能に 実戦向きのバット スイングした時にバットの重さを感じ、バットを寝かせる感覚が分かれば選手の理解度や習熟度は上がります。また、野球塾に来ていない選手たちのバッティング向上もサポートできると思いました。   「Newton」はヘッドの部分に砂が入っています。この砂がスイングする時に動くため、バットの動きを感じやすくなります。試作の段階で砂の重さや種類を色々と比較して、今のバットが完成しました。スイングする時に耳元で砂が動く音が聞こえるので、正しくバットを振れているのかどうか自分で判断できます。   もう1つの大きな特徴は、実戦向きなところです。砂を入れているので、バットには空洞部分があります。開発の初期段階では、バットの強度が落ちて、ボールを打った時に割れてしまいました。   そこで、バットの素材を変えたり、空洞の直径を調整したりして、バッティング練習ができる強度を追求しました。20本くらい試作を重ねた結果、硬式ボールを使ったティー打撃、軟式ボールであればマシン打撃にも対応できるバットにたどり着きました。   ■選手から大好評 一時は生産追いつかず品切れに バットの長さと重さも実戦にこだわりました。種類は「小学1年生から4年生向け(68センチ、750グラム)」、「小学5年生から中学1年生向け(80センチ、820グラム)」、「中学2年生から成人向け(83センチ、960グラム)」の3つで、どれも試合で使うバットとほぼ同じです。   私たちの野球塾でも「Newton」を使っています。選手たちからは「振っていて気持ち良い」、「力いっぱい振らなくても体を大きく使えている感覚がある」、「砂の音でバットが寝ているかどうか分かる」といった声が上がっています。   一番長いサイズは製造が追いつかず一時は売り切れとなるほど、販売開始から多くの方にご購入いただいています。チームで複数本お買い上げいただき、普段の練習で活用しているという声も届いています。   開発には苦労もありましたが、想像を超える納得のバットに仕上がりました。野球塾や野球教室で子どもたちと接していて一番幸せを感じるのは、上手くできた時のうれしそうな表情を見た時です。「Newton」で子どもたちの笑顔を増やせたらと思っています。バットの詳しい特徴や使い方は動画で公開しているので、興味のある方はご覧ください。

  • 上手くなる独自の仕組み確立 大好評の野球塾は拡大中

    ■Amazing名古屋校 ジュニアレッスンも開始 前回のコラムでは、私が起業する理由となった事業「野球経験者に特化した人材支援」の内容やビジョンをお伝えしました。弊社では、この他に「野球塾の運営」と「バットの開発」を事業の柱としています。今回のコラムでは、野球塾の運営についてお届けします。   弊社は名古屋市で「野球塾Amazing名古屋校」を運営しています。Amazingは大阪桐蔭高校野球部の1学年先輩、廣畑実さんが立ちあげた野球塾で、大阪や東京など全国10か所で展開しています。業務委託の形で、弊社は名古屋校で小、中学生に野球を教えています。   名古屋校は口コミで評判が広がり、おかげさまで今は予約が難しいほど、選手が集まっています。元々、小学4年生から中学3年生を対象にしていましたが、今年9月から小学1年生から3年生までのジュニアレッスンも新たに始めました。   ジュニアレッスンの目的はシンプルです。「野球をめちゃくちゃ楽しんでもらいたい」。小学3年生まではフォームにこだわらず、とにかく野球を楽しんでもらいます。ボール遊びの延長で、楽しみながら運動機能を高める狙いがあります。この年代で色んな動きをしておくと、小学校高学年でバッティングを教える時、重要なポイントをスムーズに身に付けられるんです。スローイングやキャッチングにも共通していて、小学生の時に動きのバリエーションを増やすと、その後に生きてきます。   ■経験に基づく豊富な引き出し どのスタッフ質の高い指導 中には園児のうちから保護者の方と野球の練習をしているケースもあるので、その場合は技術的な指導も加えるなど、子どもたちの経験やレベルに合わせてメニューを組んでいます。小学4年生以降になると、技術を習得する指導の比重が大きくなり、「遊びに近い楽しさ」から「上達する楽しさ」に移行する形です。   Amazing名古屋校の最大の強みは、どの指導者が教えても技術を伸ばせるノウハウが確立されているところです。塾長の私だけではなく、他のスタッフでも同じように質の高い指導が可能です。   その理由は、選手の課題をパターンに分けて、改善するために最も効果的な練習を提案できるからです。例えば、指導で取り入れているティーバッティングは50種類以上あります。指導者が選手に修正すべき動きを指摘して、自然と理想的な動きを覚えられるメニューを選べば、効率良くバッティングが上達していきます。   野球塾の塾生は基本的に、チームに所属しています。チーム練習がない日や土日の午後や夕方、野球塾に来ています。愛知県は土日の練習が昼頃に終わるチームが多いんです。個のスキルを向上させたい選手たちが名古屋市だけではなく、愛知県外からも通っています。   ■「塾生は日本一練習」 野球が楽しくなる好循環 おもしろい場面に遭遇した時もありました。ある日、1人の選手がスクールの開始を待っていると、同じ時間のスクールを受けるために現れた別の選手と目が合って、お互いにびっくりしていました。その2人はチームでポジションを争うライバルだったんです。2人とも相手には内緒で定位置を獲るために、私たちの野球塾に来ていました。   他にも、所属するチームを強くしたい一心でチームメートを誘った塾生や、バッティングが急激に向上した選手がAmazing名古屋校に通っていると聞いて入会した塾生もいます。   私たち指導者は塾生を見ていると口をそろえることがあります。「ここにいる選手たちは日本一、一生懸命やっている」。指導では褒めることを大事にしています。選手を上手くする絶対の自信を持っていますし、実際にチームで結果を出している選手は多いです。「練習して上手くなる」→「褒められたり、試合で活躍したりできてうれしい」→「前向きに一生懸命練習する」という好循環が生まれています。   ■チームと野球塾 選手を板挟みで苦しめない方針 他の野球塾に通う選手や保護者からは時々、「チームの方針と野球塾の指導が違って、どちらの言うことに従えば良いのか子どもが困っている」という悩みを聞きます。私たちの野球塾では、ひと昔前とは異なるバッティングフォームを教えています。選手からは「チームで教わった打ち方と違う」という声が上がります。その時、私たちは「チームの監督の指導方針や選手が希望する打ち方」を優先します。   そして、レッスンでは「様々な打ち方を身に付けた方が、色んなピッチャーや球種に対応できるから、引き出しの1つとしてやっておこう」と伝えます。せっかく選手が上手くなりたいと思っているのに、チームと野球塾で板挟みになるのはかわいそうですからね。   Amazing名古屋校では指導者を増員してレッスンの枠を拡大し、できるだけ多くの塾生のサポートをしていくつもりです。ライバルに差をつけたい、ホームランを打ってみたい希望を叶えます。野球が好きで上手くなりたい選手をお待ちしています。

  • ビジネスでも輝ける土俵を 野球人の強みを生かした支援

    ■「力を発揮できていない」 企業でも生かせる野球人の強み 先日のコラム開始のご挨拶では、自己紹介をさせていただきました。実質的に最初のコラムとなる今回は、弊社で展開している事業の1つで、私が起業するきっかけとなった「野球経験者に特化した人材支援事業」についてお伝えします。   この事業を立ち上げた理由は前回のコラムで触れましたが、野球経験者が競技を終えた後に持っている力を発揮できていないと感じたからです。私も含めてですが、野球に没頭した人たちは競技を通して得た強みと同時に、他の人よりも時間をかけてこなかった弱点があります。   一般的に野球経験者は、体力や礼儀正しさに長けていると見られています。ただ、野球経験者の強みは、それだけではありません。例えば、打率3割が好打者の目安とされる野球は「失敗のスポーツ」と言われています。7割は失敗する難題に対して、自分の打撃フォームや相手バッテリーの配球などを研究して少しでも確率を上げる工夫や努力を重ねます。   これは、営業や企画の仕事にも共通します。断られる可能性が高い営業や最初から案が通りにくい企画の部署に配属された際、野球に打ち込んだ人たちは様々な方法で現状を打破する方法を考えます。失敗してもあきらめない継続力や課題を解決する力など、野球で身に付けた武器が社会に出てからも生きるわけです。   ■野球経験者と企業をつなぐ「Ring MATCH」 専門アドバイザーがサポート  一方、部活に所属せず勉強や就職活動に注力してきた人と比べると、専門的な知識やパソコンのスキルは劣る傾向にあります。インターンやアルバイトの経験も圧倒的に少なくなります。   野球経験者が、こうした苦手分野で勝負しようとしても、なかなか勝ち目はありません。野球でも適材適所があるように、個々の特長が発揮できる職種や企業にめぐり合うことができれば、野球経験者も企業も幸せです。そのサポートをしたいと私は起業を決めました。   私たちの会社「Ring MATCH」では、転職を希望している野球経験者に無料登録してもらいます。その後、オンラインやオフラインで面談し、企業に提出する履歴書や職務経歴書を一緒に作成していきます。そこから、求職者に合った企業をピックアップして、エントリーしていく流れです。   求職者をサポートする弊社のアドバイザーたちは、上場企業で豊富な経験を積んできました。全員が野球経験者なので、求職者の考え方や希望を汲み取り、企業へ分かりやすく伝える方法を熟知しています。   ■ 勤務地も業種も様々 企業から需要高い野球経験者 求職者からも野球未経験の社会人からも時々、「野球経験者に特化した人材紹介は需要があるんですか?」とたずねられます。その時、私は自信を持って答えています。「皆さんが想像している以上に需要は高いです」。弊社は2期目に入って知名度が上がってきたこともあり、求職者だけではなく、企業側からの問い合わせも大幅に増えています。需要があると確信しています。   野球経験者を必要としている企業は全国各地にあり、業種も多岐に渡ります。お問い合わせをいただくのは弊社が事務所を構える愛知県、東京都や大阪府といった都市部に加えて、北陸地方や北関東の企業も多いです。これまで内定をいただいた企業の業種は不動産、印刷会社、営業代行など幅広いです。   Ring MATCHの特徴はきめ細かいサポートにもあります。求職者の希望を聞いたり、適性を見極めたりする面談はオフラインやオンラインで複数回行います。遠方に住んでいる求職者には企業まで同行するケースもあります。例えば、北海道で働いていて愛知県の企業で面接を受けた求職者は土地勘がないため、私が企業まで一緒に行き、面接に同席したこともありました。   求職者のサポートは内定を取ったら終わりではありません。入社後も個別にフォローし、求職者にも企業側にも不都合がないか確認します。求職者に伴走する上で難しいのは、気持ちの波に寄り添うところですね。求職者は「現状を打破したい」と熱が高い時と、「転職は怖いから現状維持で良い」と弱気になってしまう時が周期で変わる傾向があります。   ■転職は「ポジティブ」 自分の価値を高める選択肢 私たちは「転職ありき」で相談に乗るわけではありません。取り組み方や考え方を変えれば今の職場で活躍できると感じた場合は、その方法をアドバイスします。ただ、より輝ける場所を見つけたいと前向きな気持ちになり、ふさわしい企業が見つかったにも関わらず、一歩を踏み出せなければ、せっかくのチャンスを逃してしまいます。求職者が1人で悩みや不安を抱えないように、いつでも気軽に連絡を取れる仕組みをつくっています。   事業は5月から2期目に入りました。やはり、最大のやりがいは求職者と企業、お互いが笑顔になるマッチングに成功した時です。私たちは求職者に転職先を押し付けず、希望や適性に合った企業しか紹介しません。そのため、入社後に「良い企業勧めていただき、ありがとうございます」、「仕事が楽しいし、先輩や上司にもかわいがってもらっています」など、感謝される機会が多いです。   企業側からもうれしい言葉をいただいています。中には「良い人材を紹介していただきました。他に利用している転職エージェントは全てやめて、Ring MATCHさん一本にします。紹介していただいた方は100%採用するので、今後もよろしくお願いいたします」と言っていただいた企業もあります。   転職のイメージは日本でも変化し、ポジティブに捉える人は増えています。私はキャリアにおいて、自分の価値を高めていくことが大事だと考えています。何かを達成したら、もう1つ上のレベルや新しいスキルの習得を目指して、自分の市場価値を上げていくわけです。   Ring MATCHの登録者は今すぐに転職したい人から、いずれ就職しようとぼんやり考えている人まで様々です。企業との出会いはタイミングもあります。キャリアアップを描いている野球経験者は、弊社までお気軽にお問い合わせください。野球人を求めている企業は皆さんが思っている以上にたくさんあります。ユニフォームを脱いだ後も野球人の可能性は広がっています。

  • 甲子園春夏連覇 大阪桐蔭の元主将が起業したワケ

    ■26歳で現役引退 2023年5月に「Ring MATCH」起業 株式会社「Ring MATCH(リングマッチ)」の代表・水本弦です。今月からコラムをスタートします。私の人生に不可欠な「野球」をテーマに、私の考えや経験をお伝えしていきます。現在野球をしている選手や保護者、野球経験のある社会人、野球観戦が趣味の人たち、「野球」をキーワードに皆さんとつながったり、参考になるお話をお届けしたりできればと思っています。   まずは自己紹介です。私は石川県野々市市で生まれ育ち、小学2年生で野球を始めました。高校は大阪桐蔭高校に進学。指導者やチームメートに恵まれ、主将を務めた3年生の時に甲子園で春夏連覇を成し遂げました。高校では藤浪晋太郎投手が同級生、森友哉捕手が1学年下の後輩でした。   高校卒業後は亜細亜大学、東邦ガスで野球を続けました。怪我の影響もあって26歳で現役を引退。野球部を離れてからも東邦ガスで2年ほど社業に専念してから独立し、名古屋市に「Ring MATCH」を起業しました。会社は2024年5月から2期目に入っています。   起業した理由はいくつかあります。その中で最も大きかったのは、東邦ガスでの会社員の経験でした。野球部に所属した時は午前中に営業マン、午後から野球部員という生活でした。ユニホームを脱いでからはガス管の工事を手配したり、施工を管理したりする部署に異動して社業に専念しました。   ■会社員生活で「適材適所」痛感 野球人の就職・転職支援を決意 営業の仕事は自分に合っていて、勤務時間が短いながらも一定の成果を出せていました。ところが、土木や理系の知識が全くない私は、工事や施工管理の業務で全く力になれませんでした。周りへの申し訳なさが大きくなると同時に、「野球と同じで、仕事にも適材適所がある」と強く感じました。   野球をしていた頃は明確な目標を持ち、苦しさの中にも充実感や達成感を抱いていたにもかかわらず、社会に出たら自分と同じように居場所を見つけられない人は多いのではないか。野球人には引退後も輝ける場所、情熱を注ぐ仕事と出会ってほしい。そうした思いから、「野球経験者に特化した人材支援事業」をやりたいと考えました。 弊社では就職や転職を希望する野球経験者と、野球経験者の採用を希望する企業の橋渡しをしています。社名の「リングマッチ」には、それぞれがふさわしい「リング(土俵)」で活躍できる企業と「マッチ」させる意味を込めています。   その他にも、「野球塾の運営」や「バットの開発・販売」といった野球関連の事業を展開しています。選手を退いてからも野球と深く関わっているのは、野球を通じて広がった人脈や野球で得た経験が大きいです。野球をして過ごした時間は技術の向上や勝利だけではなく、社会に出てからも財産になっています。野球に育ててもらった1人として、その魅力をコラムでも発信していきたいと思います。

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